もうすぐGWですね。今年はコロナ禍で行けなかった旅行に行くのですが、「本当に行っていいのだろうか?」と思っています。普段は激務で会社の雰囲気も良いとは言えません。休暇中に連絡がきて何か対応することはおそらくないのですが、休み中は旅行なんかに行っていないで仕事のためのスキルを磨いたほうがいいのかなとか頭をよぎります。後輩には「しっかりリフレッシュしてね」なんて言っていますが、対自分で考えると「そうも言っていられないのでは」と思ってしまいます。オンとオフの切り替えができない自分が情けないです。
「休むこと」が難しくなる前に…
仕事中や勉強中は最も脳が活動しているときですよね。
脳にも体と同じく「疲労」というものがあって、疲労が蓄積するとうまく機能してくれません。
まず情報処理や判断が雑になりミスが多くなっていき、怒りっぽくなったり、過剰に感傷的になったり、自分自身を制御することが難しくなっていきます。
ちょっとした酩酊(めいてい)状態と似たような症状ですね。
そしてさらに脳に疲労がたまると、今度は「思考を止める」ということが難しくなっていきます。
仕事中ではないのに、ずっと仕事のことを考えてしまったり、部屋でくつろいでいても全く気持ちが休まらなかったり、布団に入ってもなかなか寝付けなかったり、「いったん考えるのをやめる」というコントロールが効かなくなってしまうんです。
この症状が続くとついには「休むこと」が難しくなってしまいます。
休むことに罪悪感を覚えてしまったり、布団で横になっているだけなのに、頭の中は思考がフル回転していてヘトヘトだったり、「自力で思考を止め、自力で休む」という当たり前のことができなくなってしまうのです。
これがいわゆる「鬱(うつ)」という病であり、そうならないためにも自力で思考を止めることができるうちにしっかりと脳を休め、自力で休むことができるうちにきっちりと休息を取るということが必要なのですよ。
休みの日は好きなことに「怠けない」
「怠惰」とは「仕事を怠けること」みたいな意味だと思うじゃないですか。
でも七つの大罪における「怠惰」とは、もともとは「休息日を取らないこと」だったみたいですよ。
「礼拝も行かずに働いているとはけしからん!」という意味での「怠惰」だったらしいのですが、私たちには祈る神はいなくても崇拝する推しがいるじゃないですか。
だったら推しに祈りを捧げる休息日が必要なんじゃないですかね?
それで心身の健康が保たれるのなら願ったりかなったり、これといった推しがいない人でも何かしらの信仰があるじゃないですか。
お布団大好き教でもスイーツ大好き教でもなんでもいいので、自分の信じるものに身も心も委ねて心身を健康に保つことは仕事より大切なことだと思いますよ。
仕事のための休日ではなく、あくまでも休日のための仕事ですからね。