サムソン高橋×ジェーン・スー対談・第3回/止

「未婚」を背負わされたくない…“当事者性”を背負わない矜持って?【ジェーン・スー×サムソン高橋】

「未婚」を背負わされたくない…“当事者性”を背負わない矜持って?【ジェーン・スー×サムソン高橋】

「未婚」を背負わされたくない

スー:サムソンさんたちにも同じようなことが起きてるなぁと思っていまして。LGBTQという言葉が一気に浸透したじゃないですか。でも、そこに該当する人たちは、言葉が生まれる前からずっとそこにいたわけで。ひとまとめにしていいのか? と。

サムソン:LGBTQって言葉がキャッチーだったんだよね。「サンドイッチ」みたいな言葉でしょ。プライドパレードというセクシャル・マイノリティのパレードが世界的にあるんですけど、日本でもたしか1994年から始まりまして。ところが、僕も深くは知らないけど、当時いろいろ、それこそ内側でコンフリクトが起きてしばらくパレードが中断してた時期もあったようです。LGBTとかLGBTQって、それぞれ事情が違う人たちをひとくくりにすることによる問題が起きたりもするようね。

スー:属性が該当しない人にとっては、LGBTQという言葉のおかげで理解が進んだ部分もあるのだろうけれど。言葉として親しみやすくなればなるほど、そこからこぼれていく人がいるというのはLGBTQに限ったことではないというか。SDGsだって、地球の資源の話と女性の権利向上を同じ俎上(そじょう)で語っていて、ちょっとあれには乗っかりきれない。

サムソン:そうよ。LGBTQだって志向はさまざまだから。交わらないわけなんですよ。

スー:あとマイノリティに関してなにか発言すると、当事者じゃない人がいきなりいきり立つ感じとかにも少し警戒があります。アライってそういうことなのか? と。

サムソン:当事者じゃない人が何言ってるのっていうのは前々からありますね。マイノリティをかわいそうにと思ってマジョリティ側から発言する人は、自分のことを何も疑わずにマジョリティだと思ってるんですよね。

スー:そうそう、それは自省も含めてすごくある。マジョリティと言われるグループの中にも、当然グラデーションがあるわけで。同じ理屈で、マイノリティと言われているものをひとまとめにするのはどうなのかと思います。

サムソン:かといって代替品みたいなものも思い浮かばない状態なんですよね。それでプライドパレードとかそういう機会は表向きだけでも仲良くしましょうって感じになってます。

スー:最近とみに思うんですが、メディア側が自分たちの責任において意見表明をするのではなく、個人に、とくにマイノリティの当事者個人に自分たちの意見を背負わせて発信させがち。あれは良くない。さっきの話でいうと、私は「未婚」を背負わされたくないんですよ。それぞれ事情は異なるから。サムソンさんもそういう意味では当事者ですけど、背負わないようにしてますか? そうだとしたら、その矜持はなんですか?

サムソン:え? 背負わない矜持? 何かしらか背負ったら、足腰が弱いのですぐグラグラになっちゃうのよ。バタンって倒れちゃう。なので、重みのあるものはなるべくのっけないというのが人生の一番の基本、信念としてあります。

スー:それは昔からですか?

サムソン:はい。スーはちゃんと受け止める人よね。

スー:いやいや。

サムソン:そーお? えらいと思うよ。文章にしても、世の中を良くしようとする意識が感じられるし。

スー:多少はね。どっかの政党から立候補しろって言われない程度に(笑)。

サムソン:私は世の中は良くなっていくんじゃないかって楽観的に思っているところがあって。たまに揺り戻しはあるものの、長い目で見たらだんだん良くなっていくんじゃないって思ってます。

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