ひがみ、ねたみ、そねみなのか、無邪気なのか。アドバイスかクソバイスか……。私たちをモヤっとさせる言葉を収集する「モヤる言葉図鑑」。
作家のアルテイシアさんと一緒に「モヤる言葉」を観察していきます。今回は「繊細な人だよね」です。
理不尽なことに怒れない人はダメじゃない
「繊細な人だよね」は人に呪いをかける言葉だと思う。
たとえばセクハラやパワハラに遭って傷ついたと話した時に「あなたって繊細な人だよね」と言われると「私が気にしすぎなのかな」「私の心が弱いせいかな」と思わされてしまう。
自分が受けたことを被害だと認められなくなり、抗議の声を上げたり、支援につながることも諦めてしまう。
ただでさえ日本人は「理不尽な校則にも黙って従え」と教育されて「人権侵害だ!」と怒れない人が多い。
理不尽なことをされて「ひどい、許せない」と感じるのは、まともな人権意識がある証拠なのだ。
理不尽に対して抗議の声を上げられる人は、むしろ強い人だと思う。
もちろん、声を上げられない人は弱いからダメというわけじゃない。かくいう私もかつては声を上げられなかった。
20代はセクハラパワハラのセ・パ両リーグな職場で、上司に理不尽なことをされても言い返せなかった。
上下関係がある場合、どんなに強い人でも「KILLナリよ」とブッコロ助にはなれないだろう。
20代の頃に刷り込まれたジェンダーの呪い
また、当時の私は「女は笑顔で愛想よく」「セクハラされても笑顔でかわせ」とジェンダーの呪いを刷り込まれていた。
上の世代の女性たちも「いちいち気にしすぎじゃない?」「そんな大げさに騒がなくても」「そんなんじゃ、やっていけないわよ」みたいな人が多かった。
今の私だったら「あなたたちがそんなんだからセクハラやパワハラが永遠になくならないのでは? 次世代に地獄を引き継がないために声を上げるべきでは?それが大人の責任では?」とゴリゴリに詰めると思う。
でも20代の私は「私が弱いからダメなんだ……」と自分を責めていた。
男社会で生き残るには、強くならなきゃいけない。セクハラされて傷つくなんて弱い女だ、いちいち気にしないのが強い女なんだ……。
とみるみる洗脳されていき、感覚が麻痺していった。
殴られても痛みを感じないように、感覚を麻痺させないと生きられなかったのだ。
でもそれは「感じないフリ」をしていただけだった。攻撃を無効化するスタンド能力があるわけじゃないので、無意識にダメージは受けていた。
自分では傷ついてないつもりだったけど、不眠や過食嘔吐に苦しみ、酒とセックスに依存して、パンチドランカー状態になっていた。
「私、怒ってよかったんだ」
そんな時にフェミニズムに出会った。私に田嶋陽子さんの本を貸してくれたのは、アメリカの大学で女性学を学んだ先輩だった。
帰国子女の彼女は「それ環境型セクハラですよ」とか、おじさんたちにビシビシ注意していた。
「つよつよやんか……トゥンク」と痺れて憧れた私は、フェミニズムの本を読むうちに、自分を苦しめる呪いの正体がわかった。
「私、怒ってよかったんだ」と気づいて「痛いんだよ、足をどけろよ!」と抗議できるようになった。
押し殺していた感情を解放することで、長年の便秘が解消されたようにスッキリした。
私が奪われた自尊心を取り戻すことができたのは、その先輩のおかげである。
わきまえない女オブザワールドみたいな先輩は「面倒くさい女」「あいつはガイジンだから」とおじさんたちに陰口を叩かれていた。
男尊女卑を煮込んだミソジニー鍋みたいな職場にうんざりした彼女は、外資系企業に転職して今もモリモリ働いている。
そんなふうに優秀な女性たちが離れてしまう。たたでさえ人手不足のヘルジャパンなのに、泣きっ面にビーである。
それで「女性の管理職が少ないのは女性自身の責任だ」なんて、どの口が言う?冗談も休み休み言えオブザデッドやぞ。
私もあのままミソジニー鍋の中で働き続けていたら、「今の若い子は繊細すぎる」「私が若い時はもっと大変だった」とかいう女王蜂になっていたかもしれない。
理不尽センサーがガバガバで、人の痛みもわからない人間になっていたかもしれない。ウィークネスフォビア(弱さ嫌悪)に陥って、弱いものを叩く人間になっていたかもしれない。
そんなの終わらないナイトメアである。終わらないナイトメア、ビジュアル系の歌詞みたいでかっこいいので積極的に使っていきたい。
アルテイシア、時々、ブッコロ助
性差別的な表現が批判された際に「不快な思いをされた方がいるなら、申し訳ありませんでした」という謝罪をよく目にする。
「不快な思いをされた方がいるなら」は、屁をこいた時に使う言葉だ。屁は意志とは無関係に出てしまうけど、表現はそうじゃないのだから。
相手の感じ方の問題にしてごまかすんじゃなく、なぜそれが性差別的だと批判されたのか考えて、自分の中にある差別意識と向き合うべきだ。
それをしないから、何度も同じような炎上が繰り返されるのだ。
「この表現は性差別的だ」と批判の声が上がると“繊細ヤクザ”だの“お気持ち”だの言って、口をふさごうとする人々がいる。
私もアンチフェミの皆さんからさんざんからまれてきた。
彼らは「表現の自由ガー」と金太郎飴みたいなクソリプを送ってくるが、表現の自由は批判されない権利じゃない。
単純に、彼らは声を上げる女が気に入らないのだ。「女は黙ってろ」「男社会に都合のいい、わきまえた女でいろ」と言いたいのだ。
声を上げる女が気に入らないのは、怖いからだと思う。脅威に感じて怯えているから、必死に黙らせようとするんじゃないか。
だからってナウシカみたいに「ほらね、怖くない」とよしよししてやる義理はない。指を嚙まれて破傷風になったらどうしてくれる。
「弱い女でいてくれよ~ぶるぶる」と震えてかわいいのは、ちいかわだけだ。
私はクソリプにうんざりしているので「怯えていただけなんだよね……バキィィ!!」とクルミを握り潰したい。
クルミは金玉のメタファーである。ちなみに嫌がらせでペニスの画像を送ってくる奴もいるが、今度やったら法的に対処するので首を洗って待っていろ。
地獄の果てまで追い詰めるナリよ?
とたまにブッコロ助になるけど、私は元気です。毎日快便で健やかに暮らしています。
なぜならクソリプや汚棒を送ってくるのはごく一部の人間で、リアル社会にはまともな善人の方がずっと多いから。
繊細で何が悪い
若い人は特に人権意識やジェンダー意識が高いと感じる。
私はリアルで若者と接するたびに「何といういたわりと友愛じゃ……」と合掌している。みんな優しい孫みたいに親切だし、他人を傷つけない気づかいや思いやりがある。
「最近の若者は傷つきやすくて繊細すぎる」とボヤく老人には、繊細で何が悪いと言いたい。
繊細でいることは、自分と他人を大切にすることだと思う。
男も女も繊細でいいし、傷ついていいし、泣いていいし、弱くてもいい。自分の弱い部分を認められて、助けを求められることが強さなのだ。
この強さとは人に勝つための強さじゃなく、生きる力としての強さなのじゃよ。
と私はほうぼうで書いている。老人なので同じことを何度も言って申し訳ない。
人権意識やジェンダー意識が高い人ほど、ヘルジャパンのヘルみを感じることが多いだろう。
終わらないナイトメアにうなされて、黒薔薇色のため息に埋もれることもあると思う。
何を言ってるのかわからないと思うが、俺もわからないポルナレフ状態*だ。でも幸せならオッケーです。
*漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するポルナレフという人物が、理解を超えた事態に混乱する状態を指す。
「男尊女卑を守るのが俺の使命だ」みたいなおじさんにドストレートな差別発言をされたら、ブッコロ助になれる。
むしろ仲のいい友達に微妙な発言をされた方が、モヤモヤしてつらい。「自分が気にしすぎなのかな」とつい思ってしまう。
でもモヤれること、違和感を抱けることは、アップデートできている証拠なのだ。差別に敏感でいる方が、無意識に誰かを傷つけずにすむ。
また誰もがアップデートの途中だから、うっかり誰かを傷つける発言をしてしまうこともあるだろう。
かつての私もうっかりやらかしマンオブデストロイヤーだった。だからこそ、耳の痛い意見に真摯に耳を傾ける姿勢が大事だと思う。
もしモヤる発言をされた場合は、相手に真摯に耳を傾ける姿勢があるかを見極めよう。それがある相手であれば「あの発言にモヤったんだよね、なぜなら……」と説明するといいと思う。
そこでろくに聞く耳を持たずクソリプを返してきたり、「丁寧に説明して俺を納得させてみろ」と上から言ってくる奴には「興味があるならカスれググ」と返そう。
誰と対話するかを決める権利は自分にある。そのことを忘れずに、どうか幸せに暮らしてほしいナリ。
(イラスト:飯田華子)