小田慶子のオンナ目線のドラマ評

“ハイパー長女”の常子は幸せだったのか?「おおかみこども」との意外な共通点【とと姉ちゃん最終期レビュー】

“ハイパー長女”の常子は幸せだったのか?「おおかみこども」との意外な共通点【とと姉ちゃん最終期レビュー】

10月1日でついに最終回を迎えたNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。全156話の平均視聴率は22.8%で、「あさが来た」「さくら」に次いで、今世紀の朝ドラで歴代3位という大ヒット作に。しかし、「仕事で成功した女性」を描くドラマとしては、もの足りないまま終わってしまいました。残念ながら、最後まで男性にとって理想的な女性像を描いたに過ぎず、名作にはなれなかったように思います。

ラスト・ミッション達成と、大事な人の死

9月放送分では、高畑充希さん演じるヒロイン・常子の創刊した雑誌「あなたの暮し」が、生活家電の商品テストを開始。企画が評判となって雑誌はどんどん売れ行きを伸ばしていきます。その商品テストがメーカーや新聞社から公平性を疑われ、公開試験をするなどのピンチはありましたが、「あなたの暮らし」は目標だった発行100万部を達成! 社員も50人近くいる立派な会社に。

そして社長の常子は、自分に課したラスト・ミッション「家を建てる」を達成しました。一方、常子たち三姉妹の母親、君子(木村多江)と編集長の花山(唐沢寿明)が亡くなり、フィナーレにふさわしく別離の悲しみに満ちた展開でもありました。

「家族の犠牲になる生き方」は幸せか?

このドラマの脚本を書いた西田征史さんは、常子のモチーフとなった大橋鎭子さんが10歳の時に父の葬儀で喪主を務めたという事実を知り、「それならドラマになると思った」そう。つまり、脚本家のモチベーション、そもそもの着想はそこにあるわけです。

女の子でまだ10歳なのに家長になったヒロイン。ドラマでは、父が死ぬ際に「かか(母)と鞠子(次女)と芳子(三女)を守ってやってほしいんだ。約束してくれないか? 『とと(父)の代わりを務める』と……」と慟哭しながら言われ、一生を家族のために捧げることを約束し、母親と妹2人を養い続ける。一見、美談に思えますが、そんな常子の生涯は本当に幸せだったのでしょうか?

第25週で、常子の母、君子が余命わずかとなり、編集長の花山が見舞いに来て、「常子さんを仕事だけに邁進させてしまって申し訳ない」と謝るシーンがあり、それに対する君子の答えが常子の人生を総括していました。

母の君子
「あの子は幼い頃からずっと無理をして生きてきたように思います。他人に頼るのが下手で、なんでもひとりで抱えて……。花山さんに出会って、叱られて、ようやく常子は心から誰かに頼って生きることができた」

夫と子に恵まれた妹2人と違って、母親の君子からも、仕事上のパートナーである花山からも「無理して生きている」ように見えていた常子。それが亡き父にかけられた“呪い”のせいだとしたら……。最終回、「ただひとり頼れる存在だった」花山を失った44歳の常子は、亡き父・竹蔵(西島秀俊)の姿を夢に見ます。夢の中で33年ぶりに会った常子に竹蔵はこう言います。

父の竹蔵
「僕が常子に父親代わりを託したために、大変な苦労をさせてしまった。すまなかったね。常子、頑張ったね。ありがとう」

常子は竹蔵のねぎらいに涙を流して喜び、「私は“とと姉ちゃん”で幸せでした」とけなげに言うのですが、ここまで来るとスーパーを超えた“ハイパー長女”。「家(イエ)制度」の具現者であり犠牲者とも言えます。もちろん当時は、戦争で多くの父親が亡くなり(竹蔵は戦死ではありませんが)、その娘や妻が背負った宿命だったのでしょう。

それが戦後の少なくないリアルだったというのは理解できるのですが、それを半世紀も経った今、美しく描いてしまうと、「家族の犠牲になる生き方」まで肯定することになってしまうのでは?

亡霊からの感謝は脚本家の言い訳?

今回のラストから連想したのが、アニメーション映画「おおかみこどもの雨と雪」(細田守監督)です。この物語のヒロイン、花(はな)はオオカミ男と出会い、子どもを2人産みますが、男は第二子が生まれて間もなく死亡。ただでさえシングルマザーは大変なのに、花はオオカミに変身してしまう子ども2人を抱えて、病院にもかかれず、都会にも住めずに、山奥の村に隠れるようにして子どもを育てていきます。

大学卒業も、人並みの就職と結婚も、恋愛も友人づきあいも諦め、ひたすら「母」として生きた花は、ラストで彼の幻影を見ます。愛しい彼に駆け寄って「私、頑張ったよ」と言うと、彼は優しくこう言います。「ごくろうさま」。

筆者はこの映画を見た時、幼児の子育て中でしたが、オオカミ男の彼に「ふざけるな」と言いたくなりました。勝手に先に死んでおいて、子育ての苦労は共有せず、「おつかれさま」のひと言で許されるとでも思っているのでしょうか。しかも、ホラーのように恐ろしいのは、「とと姉ちゃん」の最終回と同じく、彼らは死んでいるわけですから、そのなけなしの感謝や謝罪さえも幻影にすぎないということです。

そんなふうにリアリティを無視してまで登場する夫や父は、まるで男性である脚本家や監督の化身であり、彼らが「ヒロインに苦労をさせてしまった」と思う後ろめたさを代弁しているかのようです。

そもそも、常子には、父の亡霊に感謝してもらうしか救われる道はなかったのでしょうか?

頼れなかったんじゃなく、頼ろうと思わなかっただけ

モチーフとなった大橋さんの生涯を振り返ると、アメリカ国務省の招待でアメリカ視察旅行に出かけたり、連載エッセイで東京都文化賞を受けたりと、多くの人から讃えられる華々しい瞬間もありました。著書の『「暮しの手帖」とわたし』(暮しの手帖社)によると、常子のように「誰にも頼れなかった」のではない、「男性にも誰にも全く頼ろうという発想の全くない」(横田泰子さんの文より)のが大橋さんだったのです。

家父長制度の下で、あるいは戦禍のために、多くの女性が家の犠牲になってきたことは、歴史の事実です。しかし、それは現代の映像作品でなくても、「おしん」など昭和の朝ドラや山田洋次監督の映画などで、さんざん描かれてきました。今さら、時代に逆行するように献身的なヒロインを美化するより、現代的な困難に立ち向かう女性を見たいものです。

10月3日にスタートした新作「べっぴんさん」も戦後に起業する女性の物語ですが、何かを背負うことなく仕事を楽しむヒロインの姿が描かれることを希望します。

(小田慶子)

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