自分は一体、どんな人間なのか? 本当の自分を表現できているのだろうか? 公開中の香港映画『私たちの話し方』(アダム・ウォン監督)は、そんな誰もがぶち当たる問いに3人のろう者の若者が直面し、成長していく姿を瑞々しく描く。
主人公は、聴覚に障がいのある20代の3人。3歳で聴覚を失ったソフィーは、人工内耳を装着し、口話(発話と口の形を読む読話)を習得、 “聞こえる人”として”普通”の生活を送ろうとしている。
人工内耳を推奨する慈善団体のアンバサダーをしているソフィーは、同じアンバサダーのアランと出会う。人工内耳をつけながら、手話も使えるアランは、口話と手話のバイリンガルで、広告プランナーとしてやりたい仕事にまい進する明るい青年だ。
ある日、ソフィーとアランは、人工内耳を促進するためのイベントに出席。その場には、アランの幼なじみで、ろう者の家庭に生まれ、手話話者であることに誇りを持っているジーソンもいた。しかし、スピーチの壇上でソフィーは、「科学が発展すれば、この世からろう者はいなくなる」と発言。ジーソンは激怒して出ていってしまう。
最悪の出会いをしたソフィーとジーソンだったが、アランの仲介もあり、互いの考え方や取り巻く環境を理解していく。やがて3人の関係性にも変化が生じ、それぞれが自分の生き方を見つめ直していく。

© 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
「聞こえない」ことの静寂ではなく、「話す」ことの饒舌さを描く
丁寧なリサーチを経て作られた映画のクオリティもさることながら、聴者にとっては非常に気づきの多い作品だ。
たとえばタイトル。原題は「看我今天怎麼說」(私をみて。今日どう話すか)という。
日本公開に合わせて来日したアダム・ウォン(黄修平)監督は、タイトルに込めた意図について次のように説明した。
「タイトルについて手話コーチに意見を求めたところ、『聴者は“サイレント”“ボイス”といった私たちが持っていない部分を強調したがる。でも、私たちは自分たちが得意なこと、 つまり“見る”ことを考えている』と言われてハッとした」
たしかに、日本のドラマや映画でも、ろう者を主人公にした作品の場合、沈黙や静寂を連想させる言葉がタイトルに使われがち。知らず知らずのうちに聴者の視点でしか物事を見ていなかったことを認識した。

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筆者も含めて、これまでろう者と接する機会がなかった場合、ろう者の中にもグラデーションがあることに思い至らなかった人も多いはずだ。
幼い頃から手話を覚えることを禁じられ、口話を使うことで“普通の人”として社会に適合しようとするソフィー。「手話は母語」だと、手話を使うことにプライドを持っているジーソン。そして、人工内耳を使いながらも、ジーソンから手話を学び、相手によってコミュケーション方法を使い分けるアラン。
映画に登場する3人の若者は、一言で「ろう者」といっても、それぞれコミュニケーションの方法に違いがある。育ってきた家庭環境も違えば、将来の夢も三者三様だ。
早期社会適応のため、ろう学校で手話教育が禁止されていたという歴史があったという事実にも驚く。香港だけではなく、手話がろう教育において世界的に排斥されていた歴史があり、「ろう教育はすべての伝達方法を受け入れる」として手話の復権が実現したのは2010年の第21回国際ろう教育会議(カナダ・バンクーバー)だった。
ろう者の“アイデンティティに対する自信”に感銘
製作のきっかけについてウォン監督は、「6年ぐらい前に読んだある短編映画の脚本の中に水中で手話をするシーンがありました。以前は聴者がマジョリティのこの社会において、手話を使う人たちは不利な立場にあるのだと思っていましたが、水中ではその人たちこそが最も円滑にコミュニケーションがとれると知り、ろう文化に興味を持ち始めたのです」と語る。

アダム・ウォン監督
最初はなぜ“ろう文化”と“文化”をつけて呼ぶのか疑問に思ったそうだが、今では、なぜ文化となり得るのか理解できたという。
「ろう者には共通の生活習慣があり、何より重要なのは手話という独自の言語があることです。そして過去には手話も外部からの抑圧に直面していました。手話は単なる代替手段に過ぎないと思われたり、手話を使う聴覚障害者への支援が十分でなかったり、だからこそ、彼らは自分たちの言語を守らなければならなかった。
ろう者としての生き方が、一つの文化になっていて、その核心である“ろう者としてのアイデンティティ”と、それに対する自信に深く心を打たれました」

「手話は母語」だと誇りを持っているジーソンはダイビングのインストラクターを目指している
自分は何者か? “普通”って何?
監督が強調する「ろう者としてのアイデンティティに対する自信」。主人公のソフィーはまさに、そのアイデンティティの危機に直面している。
ソフィーの母親は、ソフィーが聴覚を失った幼い頃から、口話で話すことを強要してきた。幼い頃に娘が話していたことを覚えている母親は、ソフィーが“普通の人”として生きられるようにと必死であり、ソフィーもまた、そんな母親の期待や、慈善団体からの支援にも応えようと人一倍勉強し、努力してきたのだった。

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誰かの期待に応えるため、環境に適応するため、“普通の人”になるため。常に人の発話に神経を集中させ、その場になじもうとするソフィー。自分の言葉で話すこと、自分を表現することを忘れてしまったかのような彼女のつらさは、聴者であっても共感するところだろう。
実際、人工内耳を使っているろう者の方には、ソフィーと同様の傾向があるのだろうか? ソフィーの人物設計のインスピレーションについて、監督にうかがった。
「ソフィーのキャラクター設定は、複数の事例を参考にしているのですが、香港のろう文化の事情に詳しい人なら、この映画を観た時、ソフィーをある実在の人物と即座に結びつけることができるでしょう。
その女性は幼い頃に高熱を出し、適切な治療を受けられなかったため、聴覚を失いました。裕福な家庭ではなかったため、彼女の父親は、十分なケアができなかったせいで娘が聴覚を失ったという罪悪感から、すべてを犠牲にして娘の勉強を支えました。彼女も一生懸命努力して優秀な成績を修め、修士号を取得したのです。20年くらい前のことで、当時はろう者が修士課程に進学すること自体が稀なケースでした。
でも、就職は困難でした。彼女自身は、ごく普通の仕事、低賃金の仕事でも構わないと思っていたのですが、修士号を持っているため、多くの職場が雇用を躊躇してしまった。おまけに聴覚の問題もあったので、社会にうまく溶け込めませんでした。
やがて、香港で手話がより受け入れられるようになり、いくつかの教育団体が香港の教育現場で手話を推進し始めると、彼女はその団体に就職して手話を学び始め、手話を使って自分を表現することに心地よさを感じるようになります。でも、その頃に出会ったろう者の人々もまた、『本物のろう者ではない』と彼女を拒絶したのです。
そして、彼女はビルから飛び降りてしまいました。彼女が遺した最後の手紙には、“もう一度人生を選べるなら、手話をきちんと学びたい”と書かれていました。この女性のケースは、父親が本を出版し、すべてを公に語っています。
自死の理由は非常に複雑で、アイデンティティクライシスだけではなく、多くの要因がありました。脚本執筆にあたっては、この映画のコンセプトはろう文化の核心を描くということなので、他の問題までは扱えないと判断。最終的に、ソフィーはぎりぎりまで追い詰められますが、そこで勇気を出して生きる方向に戻ってくるというイメージで現状のような結末にしたのです」

ソフィーは希望の会社に就職するが、疎外感を抱いている
ソフィーは手話を学ぶことで自分を表現できるようになっていく。この映画の細やかなところは、だからといって人工内耳をつけて口話を使うことも否定せず、社交的なアランが人工内耳のおかげで自分の夢を実現している姿を、どちらも肯定的に描いているところだ。
自らの志望を貫き、やりたいと思っている職業に就ければ言うことはないが、求められる場所や居心地の良い場所に移るほうが輝けるという考え方もある。その選択は人それぞれで、聴者であっても一度は直面する悩みではないだろうか。

口話と手話を使いこなすアランもまた、自分の夢を追っている
違いや“分からない”を受け入れるーー「相手の立場に立つ」ことの実践
違いを認めること、受け入れることは難しい。「相手の立場で考えなさい」と幼い頃から言われて育つが、そこにも自分は対象より恵まれているという優位性を少なからず内包していることがある。
“何を話しているのか分からない人たち”に対する不安や恐れも無視できない。それは誰の心の中にも巣くうものであり、特に昨今、外国人に対して排他的で冷ややかな目を向ける人が増えた日本に暮らしていると濃厚に感じる空気だ。

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この映画の制作を通して、ウォン監督の中で、他者への想像力や違いを受け入れることに対する考え方に何か変化はあっただろうか?
「徐々に変化していくプロセスだと思います。脚本執筆の間も、監督している時も、サウンドデザインや宣伝活動においても、ろう者の視点や考え方を反映させるように心がけてきました。彼らは異なる知覚を持っているので、自分が彼らの立場に立って配慮できているか、愛を持って接しているか、何か見落としている部分はないか、常に省みる必要がありました。今でもまだ細かい点で不十分だと思うところがあると認めざるを得ません。
たとえば、ろう者であるがゆえに教育を十分に受けられなかったジーソンは、よく字を間違えます。その誤字を、聴者の感覚で同音異義語にしてしまった場面がありました。よく考えたら、聞こえない彼がそんな間違いを犯すはずはないのに。
『共感する』と言うのは簡単です。それはただの感覚ですから。誰もが善人でありたいと願っているけれど、相手の立場に立って考えること、相手の状況を理解することは、そう簡単ではありません。この映画製作とプロモーションを通して、現実的で実践的なものとして、どれほどの努力が必要なのかを実感しました」
“映画を楽しむ権利”を誰からも奪わない取り組み
『私たちの話し方』では聴者の俳優がソフィーとジーソンを演じているが、そのことにひっかかる観客もいるかもしれない。筆者も、可能であれば当事者の俳優が演じるべきだと思っている。しかし、そもそも映画製作を取り巻く環境が厳しく、人口も少ない香港で、当事者の俳優を映画にキャスティングするのが非常に困難であるのは理解できる。彼らのメイキング映像が公開されているので、その綿密な準備の過程をご覧になって、ぜひ劇場に足を運んでほしい。
また、本作は全劇場バリアフリー日本語字幕で上映される。劇場によっては、音声ガイド・字幕読み上げシステムを使って鑑賞することも可能で、見えにくい人でも楽しむことができる。
聴者である観客は日頃、気に留めることは少ないと思うが、バリアフリー字幕上映や音声ガイド上映は、一部作品でこれまでも実施されてきた取り組みだ。
聞こえにくいから、見えにくいからと、一方的に「あなたが見られる映画はこれだけ」と鑑賞の機会を制限されるのではなく、誰もが見たい映画を楽しめるようになってほしい。その権利は平等にあるはずだ。
(ライター:新田理恵)
■映画情報
『私たちの話し方』
新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国公開中
配給:ミモザフィルムズ
公式サイト https://mimosafilms.com/thewaywetalk/
© 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.


































