後味が悪く、救いのない、バッドエンドの映画を「鬱映画」と呼びます。
しかし、ただ絶望を描いただけの映画に惹きつけられる人はいません。人が惹きつけられるのはジャンルを問わず「美」であり、絶望の中でしか見ることのできない「美」を携えた鬱映画のことを私は「鬱くしい映画」と呼んでいます。
夏にはサマーソングを聴くように、クリスマスにはクリスマスソングを聴くように、鬱屈とした気分になってしまったときにはこの鬱映画を観賞することをお勧めします。
きっとその「鬱くしさ」に胸を打たれることでしょう。
今回はダーレン・アロノフスキー監督の『ブラック・スワン』(2010年、日本公開2011年)をご紹介します。
安心して不安になれる鬱映画『ブラック・スワン』
バレエを題材にしたサイコスリラーになるわけですが、鬱映画にありがちな深い考察はあまり必要なく、古典的で分かりやすい作りになっているので間口は広いかなといった印象。
アクション映画で言うところの『ロッキー』のような、ホラー映画で言うところの『13日の金曜日』のような、王道で期待を裏切らない、良い意味で予想どおりの展開を繰り広げてくれるので、安心して不安になれるという鬱映画です。
初見でも十分に楽しめるのですが、予備知識として『白鳥の湖』のあらすじを頭に入れておいたほうがより没入できるでしょう。
「白鳥の湖」あらすじ
悪魔ロットバルトに呪われ白鳥になってしまったオデット姫がジークフリート王子と出会い恋に落ちる。オデット姫にほれ込んだジークフリート王子はオデット姫の呪いを解くために「永遠の愛の誓い」を約束するが、悪魔ロットバルトがオデット姫にそっくりなオディールという娘(黒鳥)を作りだし、ジークフリート王子を誘惑するようにそそのかす。そして翌日の舞踏会でまんまとオディール(黒鳥)にだまされ『永遠の愛の誓い』を立ててしまうジークフリート王子。その場でだまされたことに気付くジークフリート王子だったが、運悪くその場をオデット姫に見られてしまう。絶望したオデット姫は湖に身を投げるのでした、というお話。
お察しのどおり、ブラックスワンのストーリーも白鳥の湖の物語にリンクしています。オデット姫(白鳥)は主人公であるニナ(ナタリー・ポートマン)。ジークフリート王子はプリマドンナ。
悪魔ロットバルトはニナの母親であるエリカ(バーバラ・ハーシー)。
そして黒鳥であるオディールも主人公のニナ。
そうやって見ると、より分かりやすくなるので、予備知識としてインプットしておくことをおすすめします。
真面目な優等生・ニナを演じたナタリー・ポートマン
主人公のニナの役どころというのは、真面目で汚れのない優等生で少女のような女性が、奔放で官能的な黒鳥を演じる葛藤にあるわけですが、これって当時のナタリー・ポートマンそのものなんですよね。
映画『レオン』でマチルダというハマリ役を演じて以来、賢くて学級委員長的なキャラが定着してしまい、イマイチ大人の女性としての艶っぽさを演じることができなかった役者としての葛藤とリンクしているのが面白いところ。
落ち目のプリマドンナであるベスをウィノナ・ライダーが演じたのも作為的なキャスティングを感じます(物を盗まれる役で笑ってしまった人も多いはず)。
ダーレン・アロノフスキー監督は前作の『レスラー』でも落ち目のプロレスラー役にミッキー・ロークを起用するなど、キャスティングに悪意があるんじゃないかと勘繰ってしまいます。
役者さんが持つ背景もあっていや応なくハマり役になってしまうのはさすがとしか言いようがありません。意地悪ですね(笑)。
映画『ブラックスワン』を一言で表現すると、詰まるところは「ニナの独り芝居」になるわけですが、どこまでが現実で、どこまでが幻覚なのか、その境界線が限りなく曖昧に作られていて、ほぼニナ目線の主観で映し出されているので、見ているほうも混乱してしまうのが面白いところ。
疑似的鬱体験と言ってもいいほどクオリティの高い数々の幻覚描写
故・今敏監督作品『PERFECT BLUE』(1998年)のオマージュと言われている、壁の絵が一斉にこちらを見るシーンはもちろんのこと、指の逆剥けが根元まで剥けてしまうシーン(ひいいい…)もしかり、そして圧巻なのがリリー(ミラ・クニス)と共にクラブで踊るシーン。
ストロボがたかれて分かり難く、うっかり見逃してしまう人も多いのかもしれませんが、サブリミナル的に無数の幻覚描写が映し出されているんです。客の全員の顔がニナであったり、黒鳥化したニナであったり、悪魔とニナだったり、もう鬱描写が盛りだくさんすぎる。
肉眼で捉えることは無理なんじゃないかと思うところまで目いっぱい鬱描写を詰め込んでいるシーンなので、暇な人はコマ送りでひとつひとつ確認するのも面白いのかもしれません。
“毒親”っぷりが光るバーバラ・ハーシー
その他の見どころとしては主人公ニナの母親であるエリカ。
それほど出番があるわけではないのですが、何げにニナをぶっ壊した黒幕なんですよね。
自身もバレリーナであった過去を持つエリカは、ニナを妊娠してしまったことによりプリマを諦めその夢をニナに託したわけですが、その毒親っぷりがすさまじいんです。
完全管理型の毒親であり、部屋に鍵を掛けることを許さないし、ニナの帰りが遅いと即鬼電、友達と遊びに行くこともダメ、挙げ句の果てにはベッドで寝ているニナを脇で監視するといった徹底ぶり。おかげでニナは成人にも関わらず少女のままなんですよ。
部屋もぬいぐるみに溢れ、服装もピンク系が多く、12歳のまま大人になってしまった感じ。
劇中でミスターセクハラこと演出家のトマに「恋人と付き合った経験はあるのか?」と尋ねられ「はい」と答えたニナでしたが、おそらくこれは嘘(うそ)なんですよね。
あの母親の監視下で恋人と付き合うことは不可能に近いイメージ。
ニナは恋愛の経験もなくもちろん処女であると見たほうがいいでしょう。まさに汚れを知らない白鳥そのもの。
エリカは母親という絶対的な権力を最大限に行使してニナを白鳥に育てたと言っても過言ではありません。
もっとも、その過剰なまでの抑圧の水面化で、皮肉にもニナの内面を黒鳥化してしまったことにもなってしまったわけですね。
そしてこれはよく見ないと分からないポイントなのですが、ニナが落ち込んでいる場面では母親のエリカは少しうれしそうで、ニナがうれしそうにしている場面では少しイライラしているんです。
もちろん表面上はニナに同調しているのですが、ニナにバレない程度に逆の感情を表現しているんです。
これって「毒親あるある」らしいですね。
目立たない場面ですがバーバラ・ハーシーの怪演が光る場面ですのでお見逃しなく。
母親の支配下にある白鳥のニナ、そして母親の支配下から抜け出したい内在化された黒鳥のニナとの戦い。
ある意味「遅すぎた反抗期」を白鳥の湖という古典バレエで表現している作品とも言えます。
最後のシーンである観客席にいる母親の顔を見てから飛び降りるシーンは、支配的な母親との決別(自立)を意味していたのかもしれません。
黒鳥に覚醒するシーンは“鬱くしく”もあり胸スカでもあります。万人におすすめできる数少ない鬱映画なのでぜひ一度ご賞味ください。
映画『ブラック・スワン』はディズニープラスの「スター」で配信中。
■映画情報
作品名:『ブラック・スワン』
コピーライト:(C)2023 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
ディズニープラスの「スター」で配信中。