『村雨辰剛と申します。』インタビュー・後編

「これだけはやっておきたかった」をなくす…「他人任せにしない」村雨辰剛の生き方

「これだけはやっておきたかった」をなくす…「他人任せにしない」村雨辰剛の生き方

スウェーデン出身の庭師で、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」に出演するなど俳優としても活躍中の村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)さんによる著書『村雨辰剛と申します。』(新潮社)が6月1日に発売されました。

前作『僕は庭師になった』(クラーケン)から約3年ぶりとなる2作目の著書で、留学できる日本の高校をスウェーデンから電話して探した16歳の日々から、日本に帰化した現在の暮らしぶりまでを描いた本格自伝。村雨さんのこれまでのさまざまな“冒険”が記されています。

前編に引き続き、後編では「行動力」や「群れないこと」などをテーマにお話を伺いました。

「これだけはやっておきたかった」がない人生がいい

——前編では、環境を変えること、いろいろなことに挑戦してみることの大切さについてお話しいただきました。ただ、やっぱりいろんなしがらみや不安から、なかなか思うように踏み出せない人もいると思います。村雨さんの行動力の源はどこにあるのでしょうか?

村雨辰剛さん(以下、村雨):でも、僕はどっちかというと不安症なんですよ。

——えっ、そうなんですか?

村雨:そう見えないかもしれないけど、めちゃくちゃ不安症なんです。ただ、大きなチャレンジをすることへの不安というよりは、「10年後、大丈夫かな」「このままいって、大丈夫かな」という遠い目で見たときの不安ですが。

——失敗したらどうしよう……という考えも、あることはあるわけですよね。

村雨:ものによってはあります。でも、やりたいことならどんどんやったほうがいいと思いますね。僕が昔から大事にしているのは……人生の最後に振り返ったとき、「これはやって後悔したな」はあってもいいと思うんです。でも「これはやっておけばよかった」と思うことだけはしたくない。最後にはもうどうにもできないから。「やらなかった後悔より、やった後悔」のほうがマシだと思っているので「これだけはやっておきたかった」がない人生がいいですね。何かで迷ったら、それを考えるんです。

——ただ、人生には自分だけの力ではどうにもならないこともあり、村雨さんも著書の中で徴兵制度の廃止やお父様が空軍を辞めたお話などに触れていました。そうした「自分の力では解決できないこと」にはどんなふうに対処されているのでしょう?

村雨:起きたことを受け入れて、プラスになるものを見つけるとか、自分なりに意味づけすることが大事だと思っています。僕は、父親が空軍を辞めたことで軍隊に行くモチベーションを失ったけど、逆にそれを「日本に行きたい」という気持ちにつなげて、「行きなさい、という意味かな?」と捉えてみた。探っていけば探っていくほど、何かにつなげられる要素は絶対にあると思うんですよ。

周りからの助けを借りることに抵抗がなくなった

——著書の中でご自身のことを“一匹オオカミ”と表していたのも印象的でした。

村雨:昔から「そのほうがかっこいい」みたいな、曲がっている性格だったので(笑)。今のほうが丸くなりましたね。例えば昔は、自分だけでやりたい主義だったんですけど、今は人からの助けを借りることに抵抗がなくなりました。

——ご自身では今の「丸く」なった姿のほうがお好きですか?

村雨:今のほうが、無理していないと思います。庭師として、昔は「全部覚えて、全部の資格を取って、全部やる」と考えていたんです(笑)。でも、たとえば頑張って重機の操縦がうまくなったとしても、自分よりもうまくできる人が知り合いにいるなら、助けを借りる。素直にそう思うようになりました。

——そのように考え方が変化したのはなぜでしょうか?

村雨:経験ですね。若いときって「自分は無敵だ、何でもできる」という考えがあるじゃないですか。でも、経験を重ねて「違うな」と分かるようになる。どれだけ頑張っても自分よりうまくできる人はいますからね。それに、群がることが好きじゃなかったとしても、結局人間って群がる生き物ですから(笑)。昔は「群がる」ことをディスってたし、批判的でしたけど、受け入れるようになりました。もちろん、だからと言ってそういう自分の本心を排除しなくてもいい。周りにとらわれずに自分の考えを持ってやってきたからこそ、今の自分がいるわけだから。

聞きたくないことをシャットアウトする世界は危険

——「群れる」と主体的に動かないので、受け身になりがちです。村雨さんも著書で、「指示待ち」な受け身の姿勢について「活力が感じられない」と指摘されていましたが、そうした意識を変えようと思ったら、必要なことは何だと思いますか?

村雨:変えるのは難しいと思うんですよね。生活パターン、性格、育った環境など、いろいろ関係してくるから……ただ結局、自分の成長って自分次第だから、僕は「そこを他人任せにしたくないなあ」という単純な思いがあります。その思いを持っているなら、もう自分がなんとかするしかないですよね。

環境によって引っ張られるところもあると思います。小さいころの例でいうと、クラスメートはお酒を飲みだすのが早いし、タバコも吸うんです。でも自分はなんとなく「そっちに行ったら良くないな」と思っていました。「群れる」って良くないな、と。何も自分で決めずに流されていくのは良くないのかなって、小さなころから感じていたと思います。

——「群れる」ことで言えば、内輪で褒め合うだけで終わってしまうことももったいないですよね。「日本スゴイ」とか。

村雨:一時すごくありましたよね。海外に褒められるVTRを見て「やっぱり日本スゴイ」という番組。出演している側の僕が言うのは良くないですけど(笑)。スゴイことはスゴイけど、良くないですよね、たぶん。やっぱり客観的な、外からの影響は大事だと思うんです。「日本、なんかスゴイって言われているらしいぞ」という声だけ聞いて「スゴイスゴイ」となるのは良くない。「これは悪いぞ、こういう声もあるぞ」と全部の声を聞いたうえで総合判断することが、成長につなげるためには大事だと思います。

今、キャンセルカルチャーってよくあるじゃないですか。聞きたくない内容を言うのなら、もうそいつは仲間はずれ、という。それは本当に良くない。もちろん言い方とか、いろいろ気をつけなければいけないんですけど、聞きたくないことをただシャットアウトするような世界は危険だと思うんです。だから日本においても、やっぱり良いも悪いも全部聞いたうえで決めたほうがいいと思います。

帰化して強まった日本への思い

——26歳のときに日本国籍を取得して帰化して以来、何か変化を感じることはありましたか?

村雨:帰化するまでは、「日本にいる外国人」というか……周りから見れば、たぶんどっちみち“外国人”にしか見えないんですけど、帰化して、僕の中では「もう日本人になった」という気持ちがありました。日本人として、日本に生きる。「今までとは違う生き方をしなきゃいけない」というより、むしろそうしたいから帰化したんです。日本人的な精神も磨いていきたい。日本人らしさを全部取り入れることは難しいですけど、帰化してからよりそういう気持ちになりましたね。

——最後に読者に向けたメッセージをお願いします。

村雨:僕の人生はすごく自由で行動力があるように見えるかもしれないけど、僕にとっては当たり前のことなんです。したいことがはっきり分かっていなくても「何かしたい、変えたい」と思っている方がいたら、ぜひ読んでいただきたいですね。少しでも読んだ人が行動するためのプッシュになったり、ヒントになってくれたらとてもうれしいです。僕は最後に「やっぱりやっておけばよかった」と思うことだけはない人生を送りたい。みなさんもぜひ、踏み出してみてください。

(聞き手:河鰭悠太郎、写真:宇高尚弘)

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