『LISTEN』後編

お金を払ってまで占いに行くのはなぜ? 私たちは「自分の話なんて迷惑」と思っている

お金を払ってまで占いに行くのはなぜ? 私たちは「自分の話なんて迷惑」と思っている

『ニューヨーク・タイムズ』を中心に米英の有力紙で活躍するジャーナリストのケイト・マーフィさんの『LISTEN』(日経BP/監訳・篠田真貴子、訳・松丸さとみ)が8月9日に発売されました。

「コミュニケーション」というと、伝え方や話し方ばかりに意識が向けられがちですが、本書は「聞く」に焦点を当てた内容。聞く姿勢とスキルを身につけることの重要性を説いています。

本書の発売を記念して、第1章「『聞くこと』は忘れられている」の一部を抜粋して紹介します。

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「自分の話なんて他人には迷惑」だと思う人は多い

本書を執筆するにあたり、私はあらゆる年齢、人種、社会階層の人たちに、「聴くこと」についてインタビューしました。

取材先は、専門家もそうでない人も含まれます。

インタビューの中で、私はよく「あなたの話を聞いてくれるのは誰ですか?」という質問をしました。

すると相手は、ほぼ例外なく、一瞬、沈黙してしまうのです。ためらいですね。聞いてくれる人がいると答えた人は少数派でした。

そして、聞いてくれる相手は配偶者、親、親友、きょうだいなど、1〜2人でした。その上多くは、正直に言うとちゃんと話を聞いてくれる人は誰もいないように思う、と答えてくれました。結婚している人や、友人や仕事仲間が大勢いると言った人でさえもです。

他には、聞いてくれる相手としてセラピスト、ライフコーチ、美容師、さらには占星術師などをあげた人もいました。

つまり、お金を払って話を聞いてもらっているというわけです。牧師やユダヤ教の指導者に話を聞いてもらいに行くと言った人もわずかながらいましたが、聞いてもらうとしても重大局面のときだけ、とのことでした。

「家族や友人に話を聞いてほしいとお願いするのは、相手に負担をかけると思う」

驚くほど多くの人が、そう言っていました。悩みを聞いてほしいというだけではありません。通常の社交辞令や軽い冗談よりも深い話になると、どんな内容であれ相手への負担を心配すると言うのです。

ダラス在住でエネルギー関連株を扱うトレーダーは、会話は軽くしておかないと「失礼だ」と言いました。さもないと、聞き手に多くを求めすぎることになると。シカゴの外科医は、こんなふうに話してくれました。「ロールモデルと見られるようになるほど、部下が増えれば増えるほど、胸の内を吐き出したり、自分の悩みを話したりできなくなります」

携帯電話を見るのは、退屈で面倒な他人の話を聞かなくてすむから

インタビューでは、自分は良い聞き手だと思うか、という質問もしました。

すると多くの人は率直に、そうではないと認めました。

ロサンゼルスにある舞台芸術の組織で役員を務める女性は、「もし私が日々関わりのある人たち全員の話を真剣に聞いたら、自分が本当はほとんどの人を嫌いだという現実に向き合わなければならなくなる」と話してくれました。

そしてこんなふうに感じたのは間違いなく、この女性だけではなかったのです。

人の話に耳を傾けられないほど忙しいと言った人や、そんなのは面倒だと言った人もいました。この人たちは、テキスト・メッセージやメールの方が効率的だとも言いました。

メッセージごとに、どれだけ時間をかけるか自分で決められるし、おもしろくないとか嫌だと感じたメッセージは、無視したり削除したりできるからです。

直接会っての会話は、面倒なことが多すぎます。中には、こちらが知りたい以上の話をしてくる人や、どう反応していいかわからない話をしてくる人もいるかもしれません。

デジタルでのやり取りの方が扱いやすい、というわけです。

カフェやレストラン、喫茶店、さらには家庭の食卓で、会話を楽しむよりも自分の携帯電話に見入るという極めて21世紀的なシーンは、こうして生まれます。

もし会話をしていたとしても、私たちは、まるでテーブル・セッティングの一部のように携帯電話をテーブルの上に置き、ナイフやフォークのようにときおり何気なく手に取ります。一緒にいる人たちにはそこまで興味が湧かない―と暗に示しながら。

その結果、私たちは痛烈に孤独を感じます。でも、なぜ孤独を感じるのか、よくわからないのです。

一方で、自分は聞き上手だと言った人もいました。ただし、運転しながら携帯電話越しに―。

たとえば、あるヒューストン在住の法廷弁護士は、ラッシュで渋滞中の車を運転しながら、折り返しの電話をくれました。

「自分はかなり聞き上手だと思うよ」と言うと、こう続けました。「ちょっと待って。別の電話が入った」。正直、あまり説得力を感じませんでした。

それから、話を聞くのは得意だと言ったすぐそばから、まったく関係ない話題に話を変えた人たちもいました。これも、本当に聞くのが得意なのか、首を傾げてしまいます。

思わずニューヨーカー誌にあった挿絵を思い出してしまいました。カクテル・パーティでワインを片手に、とても限られた領域の自分の関心事しか話さない男性を風刺したものでした。

他にも、私が言った言葉を、まるで自分が思いついたことのようにその場でそっくりそのまま繰り返した、自称「聞き上手」もいました。

「話を聞く」とは相手のおしゃべりを待つことだと思っている人が多い

繰り返しになりますが、聞くのがへたな人が、必ずしも、悪い人や無作法な人だと言っているわけではありません。あなたが話し終わらないうちに言葉を補う人は、それが助けになっていると本気で思っているのです。

あるいは、言葉をさえぎって話してくる人は、自分が思いついた何かをあなたもきっと聞きたいだろうと思ったか、もしくは待てないくらいにおもしろいジョークだったのかもしれません。

聞きべたの人たちは、本気で考えているのです。人の意見を聞くとは、相手の唇が動くのをやめて自分が話せるようになるまで、礼儀正しく待つことだ、と。話を早く進めてもらうためにせわしなくうなずいたり、時計や携帯電話をちらりと盗み見たり、テーブルをトントンと叩いたり、他に誰か話し相手がいないかとあなたの背後に目線を走らせたりするかもしれません。

積極的に自己アピールしないと存在価値がないのではという不安に駆り立てられる今の風潮では、黙っていることはつまり、遅れをとることを意味します。人の話を聞くとは、自分のブランドを押し出して名をあげるためのチャンスを逃すことになるのです。

でも考えてみてください。オリバー・サックスとのインタビューで、もし私が自分の聞きたい話で頭がいっぱいになっていたら、一体どうなっていたでしょう。そうであるならば、短いコラムだったので、話題にそった数問に簡単に答えてもらえれば十分でした。サックスが心の天気について詩的に語る言葉や、方向感覚がない中での暮らしがいかに大変かといった描写を聞く必要などありませんでした。

彼の言葉をさえぎり、要点を言うよう促すこともできました。もしくは、自己主張して印象づけたいあまりに、思いきって私の人生や経験を話すこともできたでしょう。

でもそんなことをしていたら、会話の自然な流れを邪魔し、ふたりの間に生まれていた親近感は深まらず、やりとりから生まれた喜びもほとんど失っていたのではないでしょうか。

彼が与えてくれた英知を、今このときまで抱き続けることもなかったでしょう。

とはいえ、常に聞き上手でいられる人などいません。自分の中で考えたり感じていることに気をとられてしまうのが、人間の性です。

「聴くこと」には努力が必要です。

読書と同様に、状況に応じてじっくり聞くときもあれば、軽く聞くだけというときもあるでしょう。

しかし注意深く読む能力と同じように、注意深く聞く能力もまた、それなりの頻度でやらないと低下していきます。

あなたがもし、まるで芸能ゴシップ・サイトの見出しをざっと眺めるような態度であらゆる人の話を聞くようになってしまったら、相手の中に潜む美や英知を見つけ出すことはできなくなるでしょう。

そしてあなたを愛してくれる人、もしくは愛してくれるかもしれない人がいちばん欲しがっているプレゼントを差し出すことなく、あなた自身の中にしまったままにしてしまうことになるのです。

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