20代の時より知識も経験も身について、どんどん仕事が楽しくなってくる30代。ついつい心の声を無視して頑張りすぎてしまうこともしばしばです。そんな働き女子の力みがちな肩を、精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生がゆるーく揉みほぐしていく連載エッセイ。一生懸命だけど頑張りすぎない働き方のヒントが見つかるかも。
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「この人には勝ちたい/負けたくない」という相手が、みなさんにも一人くらいいますよね? 同級生とか、職場の同僚とか。「勝ちたい」と「負けたくない」。似たような言葉ですが、精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生によると、どちらの姿勢でいるかによって、心のありようは大きく変わってくるのだそう。どういうことなのでしょうか?

ピークの裏側に潜むもの

前回「最高に「成功」している時期というのは、逆に最も大きな「失敗」の危機を作り出している」という法則の話をしました。

この法則は、あらゆるところで見られるんです。

勝利のピークを迎えている時こそ、その陰で、最も悲惨なピンチが芽を吹き出しているわけです。人間の栄枯盛衰、人間の運命も、やっぱりすべて同じことだと思う。そこに、例外はない。

つまりは昔、お釈迦様が「無常」とおっしゃった世の習いですよね。万物は有為転変、とどまるものはひとつもない。まさに鴨長明の随筆『方丈記』です。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。

河って僕らの眼にはいつも同じように見えるんですね。昨日も今日も、もしくは明日も。だけど、違うねん。一瞬たりとも同じ水は流れていない。利根川の美しい風景はいつも同じに見えるのに、実は秒単位で川の水がどんどん移り変わっている。

そんな両極端な面を、いつも携えているのが現実じゃないですか。変化が日常的に起こる場合には、あたかも何の変化もないように見える。

この「無常」って、理屈としては「なるほど」って皆さん思うでしょう。思想としては、おそらく一番の基本ですよね。ところがそれを本当に実感して、それに基づいて、自分の立ち振る舞いを決めていくというのは、よっぽどの修練が必要なんですよ。だから兼好法師だって鴨長明だって、繰り返し、戒めるように自分なりの言葉を書いてきたんだと思うんです。

「勝とう」より「負けない」という心構え

さて、ここで再び、前回の冒頭で紹介した『徒然草』の一節、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり」に戻りますと――。

単純に言うと、こういうことですよ。「勝たん(勝とう)」というのは一点集中的でしょう。瞬間じゃないですか、「勝った!」という高揚は。ゴルフでいうと最後に球がホールに入る瞬間であったり。バトミントンやテニスだって、最後の一打で勝利を決めて「よっしゃあ!」とか。

「負けじ」というのはそうじゃなくて、常なる心構えなんですよ。一時の他人の大勝とか好調不調にまどわされない、自分が自分のペースで戦っていくための心のありようのことなんです。

負けたら、そこで終わりかもしれない。でも負けないうちは試合は続いていく。だけど「勝たん」の精神でいくと、勝つと同時にピークが訪れる。ピークがあると、必ず減退が始まる。あるいは減退そのものになる。ピークにとどまることはありえない。ピークのあとは、必ず墜落に向かうんですよ。

「頂点を避ける」生き方がいい

ちょっと余談めくかもしれませんが、たとえばこんな話もあるんです。

子育てについての話です。

幼い子供をあやしている時に、先進国の親は、とかく子供を頂点まで喜ばせてしまいがちなんですね。ガラガラを鳴らしても、子供が「キャーッ!」って喜ぶまであやし続ける。かわいい満面の笑顔を目にして、「ああ喜んだ、喜んだ」ってホッとする。でもすると、次には何が起こると思います? 

その子は、次にはむずかりだすんですよ。喜びの頂点に達したら、子供は「違う感情を持ちたい」ってなるわけ。

本質的に喜怒哀楽を繰り返すのが人間の感情で、「わ~っ、かわいい。もっと笑って!」って周りの大人が盛り上がる頃には、子供はもう「喜びに飽きる」んです。そうすると泣きだしたり、むずかりだしたり、怒りだしたりする。

ところが、ある途上国ではね、子供がばーっと喜びだしたら――たとえばお母さんの乳房をもっとむしゃぶりつこうとしたら、ふっとそらすの。「ほら、ちょうちょだよ」とか言って、わざと。子供に喜びの頂点を味わわせないで、寸止めするわけ。で、またむしゃぶりつこうとすると、今度はガラガラをちょっと振ってみたり。

「頂点を避ける」。それによって子供は、ずっと機嫌が悪くならない。そこそこの上機嫌で、何時間でもあやし続けられる。その国では普通のお母さんとか乳母が、無意識でそういう子育てをやっているらしいんです。自然な文化の中で、人間の幸福な時間を長続きさせる知恵が伝承されている。

これはね、僕たち大人の普段の生活にも応用できる、人生のものすごく大切な知恵なんですよ。

「勝たん」より「負けじ」のほうが、良い状態が「長続き」する。

これをひとつの心構えとして気に留めておくだけで、けっこう動じない心が作られていくように思うんです。

たとえば会社の中の同期の仲間が、すごい業績を挙げて、優秀な人材としてスポットが当たっているように見えても、別に妬んだり、変にあせったりする必要はない。「あの人に比べたら今の私なんて」って腐ったり、メゲたりせずに、それよりも自分のやり方で地道に、着実に、自分のやるべきことを粛々とやっていけばいい。

そのほうが、実は長い目で見た時の「勝ち」とか「成功」につながる気がするんですよね。

名越康文(なこし・やすふみ) 1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析などさまざまな分野で活躍中。