夫の腎臓をもらった私 第15回

「できません」が言えなかった私が、移植経験をSNSに投稿して気づいたこと

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「できません」が言えなかった私が、移植経験をSNSに投稿して気づいたこと

「夫の腎臓をもらった私」
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中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は、「できない」と打ち明けられるようになった、気持ちの変化についてつづっていただきました。

気合でなんでも乗り越えられると思っていた

夫婦間移植を決断する少し前のことです。あの頃の私は、自分を見失ったように仕事をしていました。刻一刻と、自分の腎機能が失われていくのを感じつつも、気合と根性があれば、どんなことでも乗り切れると信じたかったのです。しかし、気持ちだけではどうにもならないと思い知るのにそう時間はかかりませんでした。

昨年の夏、私はある雑誌のお仕事で、育休体験記を担当することになりました。自分と違う生き方をしている人たちの話を聞くことができるのは取材の醍醐味の一つ。同世代で活躍するワーママさんたちの話は、驚きと感動の連続でした。

しかし、6人分の取材を重ねる中で、私の体調の不安定さから迷惑をかけてしまうことがありました。同じ質問を繰り返してしまい、「その質問には先ほどお答えしたと思うのですが…」と戸惑わせてしまったのです。録音したデータを聞けば、ひどい取材であったことは明らかでした。

私はひどく落ち込みました。追い討ちをかけるかのように、沈んだ気持ちは、ダイレクトに体に現れました。息苦しくなり、食事が喉を通らなくなり、夜も眠れなくなり、腎臓悪化により血液中のpH (ペーハー)が酸性に傾き、そのまま入院することになってしまったのです。

いつの間にか先を行く姉、必要とされない喪失感

それでも入院中は、個室をとり、消灯時間後も原稿を書き続けました。育休体験記の記事は、なんとか穴を開けずにすみましたが、ギリギリの状態で書いた原稿が良いわけありません。余裕のなさがそのまま原稿に出ていたと思います。なんて情けないんだろう……。

いけないと思いながらも、「赤ちゃんを育てながら働いている人もいるのに私は、あれもできない、これもできない。だめな人間だ」「できる人は世にたくさんいるし、もう私に仕事の依頼はないかもしれない」と誰かと自分を比較しては落ち込むことを繰り返していました。

そもそも体調が不安定とわかっていながら、なぜ仕事を受けるのか。「実は病気なんです」「体が弱いです」なんて言えば、仕事がこなくなると思い込んでいたからです。それに、もう二度と、自分の居場所を失いたくないという思いもありました。

私は、26歳になるまで姉と組んで音楽制作をしていました。16歳で単身渡米して音楽修行をする姉とはレベルは雲泥の差でしたが、姉と音楽を作っている時が一番しあわせでした。

しかし常に全力疾走する姉は、自分のスキルアップとともに、どんどん新しい世界の扉を開いていきます。そして、自分と同じレベルで音楽活動をするアメリカ人男性と出会い、彼と一緒に制作した楽曲で、世界的な音楽賞を受賞したのです。

ある時、姉は私に申し訳なさそうに告げました。「彼と結婚して、音楽制作を一緒にしたい」と。

ついにきたかと思いました。「もう私は必要じゃない」ということです。私たちは、姉が音源を作り、私がメロディと詞を書いていました。姉が作る音源がなければ、私たちの曲はもう生まれない。私は姉とは違う世界で生きていきたいと思うようになりました。

そうして見つけた、ライターの仕事は、なんのコネもなく一人で飛び込んだ世界でした。はじめて仕事の依頼を受けたときは、「ここにいていいんだよ」と認めてもらえた気がしました。自分の手でつかんだこの世界を絶対に手放したくないと思ったのです。

心のしこりをとってくれた医師の言葉

傾いたpHは入院治療によって、元に戻すことができましたが、退院後も透析へのカウントダウンは続いていました。

(また、取材で迷惑をかけるかもしれない。もう諦めたほうがいいのかもしれない)

そんな私を救ってくれたのが、「僕の腎臓をあげる」と言ってくれた夫であり、長くお世話になっている主治医だったのです。

それは、入院から数週間後のこと。私と夫は夫婦間腎移植を決断し、主治医に報告しに行くことにしました。この時、先生がかけてくださった言葉は、私にとって生涯のギフトとなりました。

「お二人ともよく決断されましたね。旦那さん、聞いてください。はるかさんは、これまで本当によく頑張りましたよ。医師である私が証明します」

先生は、月一の診察で、私の雑談にとことん付き合ってくれました。流産で、落ち込んでいたこと。そこから、フリーランスになりたいと言いだし、学校に通い始めたこと。才能はないけど人には恵まれ、いろんなお仕事をさせていただいていたことを、腎機能の低下とともに、見届けてくれていました。

先生は、私の腎機能が落ちても、「仕事をセーブしなさい」とは言いませんでした。病を持つ人にとって働くことが、どれだけ重要なのかを理解してくださっているからです。

だから、誰でもない、私をよく知る先生に「頑張った」と言ってもらえたことに大きな意味があったのです。

私は、頑張っていたんだ。挫折してばかりのだめ人間ではなかったのかもしれない。

凝り固まった心がスルスル溶けていくのがわかりました。

そして、一つの決意をしました。移植後は、病気のことも、弱い自分も、全てさらけ出すと決めたのです。

できない自分も、まるごと愛する

考えてみたら、私は、人と比較していたわけではなかったんです。音楽にしても、ライターにしても、「できる自分」という幻想を抱き、本当の自分である「できない自分」を比較して、勝手に絶望していたのです。

ですから、移植後は考え方を変えることにしました。
できないというポテンシャルごと愛することにしたのです。

最初に行ったのは、「夫婦間腎移植をしました」と、Facebookに投稿すること。持病を抱えていることを隠していましたが、仕事関係者とたくさんつながっているとわかっていて、自己開示しました。これまでの「明るいもろずみはるか」のイメージが崩れて、疎遠になる人も出てくるかもしれない。仕事の依頼をためらう人も出てくるかもしれない。闘病なんて公表しなくてもいいだろうと思われるかもしれない。でも、それでもいい、それが私だから。

しかし、返ってきたのは意外な反応でした。

「おめでとう!」「よく頑張ったね」といったポジティブなコメントがたくさん届いたのです。もっと驚いたのは、投稿した数日後にこの連載「夫の腎臓をもらった私」が決まったこと。さらに有名WEBメディアにも取材してもらい、イベントに登壇させていただく機会までいただくようになりました。

依頼してくださるとき、みなさんがこんなことをおっしゃってくれるのにも驚きました。「もろずみさんが体験して思うことをそのまま表現すればいいですよ」と。移植前の私には考えられないことでした。いちライターとしてお仕事をいただくことはあっても、私が語るなんて、考えたこともなかったからです。

恥を承知で言います。私はこの連載に穴を開けたことがあります。筆力が足りず、筆がまったく進まなくなったのです。悩んだ末、編集者さんに「書けません」と伝えました。

とても勇気のいることでした。だって、「じゃあ、連載を終わりにしましょう」と言われても仕方がないことだから。しかし、編集者さんは、そうは言いませんでした。私の言葉に耳を傾け、いろんな質問をしてくださり、「わかりました。書けるまで待ちます」と言ってくださったのです。

プロとしてあるまじき行為ですが、「できない」のであれば正直に伝えて、じゃあどうしたらできるようになるのか必死で考える。

それは、相手を信頼していないとできないことです。その人を信頼すると決めるのは、自分が自分を信頼していないとできないことだと思うんです。

夫の腎臓をもらうという究極の信頼をした私は、自分の選択に「これでいいんだ」と、だんだん自分のことも信頼できるようになっています。

やっと私の人生が動き始めた。そんな気がするのです。

どんな自分も許せるようになりました

どんな自分も許せるようになりました

【イベント情報】
11月30日(金)19時半から新宿でもろずみさんが登壇するイベントが開催されます。詳細はこちら

(もろずみはるか)

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夫の腎臓をもらった私

中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になった、もろずみさんに健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。手術を終えた彼女がいま思うこととは——?

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