恋愛経験をある程度積み重ねてきても、新しい恋の始まりにはちょっとした高揚感があるもの。そんな「ピュアな気持ち」をくすぐってやまないドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系、土曜午後11時15分)が放送中です。
自身も「ハマっている」という、ライターの吉田潮さんに男男の恋愛バトルに胸を締め付けられる理由を考察していただきました。
男女の恋愛模様に1ミリも共感できないというのに…
恋愛はすっかりハイリスク・ローリターンになった現代(いや、もはやノーリターンかな)。テレビドラマ界でも純愛モノはほぼウケない。各局が尻込みしている今、まさかの「王道ラブストーリー」が話題になっている。ただし、王道だけど、登場人物はおっさん。おっさんたちがわちゃわちゃと繰り広げる胸キュンドラマが「おっさんずラブ」である。
ちょっと解説しておこう。主人公は、美しい筋肉とベビーフェイスが人気の春田(田中圭)。不動産会社の営業マンだが、義理人情に弱く、仕事ができるほうではない。田中の上司・黒澤はやり手部長の吉田鋼太郎。妻の蝶子(大塚寧々)と結婚30年を迎えた熟年夫婦のはずが、実は「はるたんが好き」という気持ちが暴走してしまう。そう、鋼太郎が恋する相手は、部下の田中なのだ。
一方、田中の後輩・牧(林遣都)は、カミングアウトはしていないものの、ゲイである。仕事がデキて、家事と生活管理能力も万能。ひょんなことから田中の実家に住まわせてもらうことになり、天真爛漫で素直な田中に恋心を募らせていく。
部長と後輩から告白されて戸惑う田中。「モテ期キターッ」と素直に喜べないのは、田中はヘテロセクシャル(異性愛者)だから。しかも「ロリで巨乳」が好きと公言している。
つまり、突如巻き起こる恋の三角関係に翻弄される田中の困惑と覚醒の物語なのだ。しかしだな、このところ男女の恋愛模様を見ても1ミリも共感しないのに、男男の恋愛バトルに胸をきゅんと締め付けられているのはいったいどういうことか。
社内恋愛が舞台なので、ある種「セクハラ・パワハラ・モラハラ」の危険性も嗅ぎ取れるのだが、少なくとも私の周りでは性別に関係なく、このドラマを楽しんでいる。「世間体よりも、自分らしく生きる」に向かっていく姿に、自己投影できるからかもしれない。
条件ばかり要求する自分のあさはかさ
それぞれの登場人物が抱える葛藤と苦難に、クローズアップしてみよう。
まずは田中圭。彼女いない歴5年、運命の恋に巡り合えると信じているものの、根本的には甘えん坊で、発想は中二レベル。生活における他力本願度が強く、実家の母が男と出て行った今は、同居人の林頼み。朝食・弁当・夕食まで作ってもらい、掃除・洗濯もまかせっぱなし。よく泣き、よく愚痴り、へべれけに酔っぱらう。そりゃあ女性にモテるはずがないわな。
ところが、男性にはモテる。急にモテ始める。「人として好き」な相手から好意を寄せられて、困惑してはいるものの、田中はうっすらと気づき始める。
「快適で楽しい毎日とはなんぞや?」と。顔だの巨乳だのと、好みの女性の理想像を掲げていたが、そこ、実は重要じゃないんじゃね? どうでもいいんじゃね? と。
男とか女とか上司とか部下とか、性別や肩書を抜きにして、フラットに人間関係を見つめ直すこと。年収だの顔だの身長だの体の相性だのと、条件はいろいろあるだろうけれど、「人として好き」かどうか、ずっと「人として好きでいられる」かどうか。そんな教訓を田中と一緒に私たちも学んでいるのかもしれない。
田中はぜひ同性愛に目覚めてほしいという願いも、あるっちゃある。田中が悩みながらも、今後、自らの意志で選択と決断をしてほしいと思う。
思いを伝える勇気と覚悟
で、お次は吉田鋼太郎。「遅咲きのゲイ(バイセクシャル)」は巷でもよく聞く話だ。結婚して子供もできて、「絵に描いたような家族」を形成してきた男性が、自分の本当の性的嗜好や心の在りように正直に生きたいと一歩踏み出す。築いてきたものを壊してしまう可能性もあるが、素のままありのままに生きてみたい。鋼太郎はまさにその渦中にいる。
ドラマの中では過剰にガーリー&ラブリーな演出によって、ダンディな鋼太郎を乙女チックに描いている。が、彼の覚悟と勇気はかなりハードルが高い。下手に動けば、セクハラとパワハラとモラハラで訴えられる可能性もある。そして妻からも確実に離婚訴訟を持ち出される案件でもある。仕事も家庭も失い、生活が一変する危険性も大きい。
それでも踏み切った鋼太郎。そして田中から穏便に、でも確実にフラれた鋼太郎。事実を知った妻・寧々からは口もきいてもらえず、離婚も進まず。ただただ山盛りの千切りキャベツで怒りを表現される食卓。家の中ははりのむしろ。フラれた悲しみ、妻に申し訳ない気持ち、でも自分に噓はつけない……なんたる葛藤、なんたる苦悩。不倫という道ならぬ恋に陥った人は、鋼太郎の決死の覚悟を我が事のように見守っていることだろう。
今後、鋼太郎がどう動くかが気になるところだが、誰も傷つけずに生きるなんて到底無理。聖人君子じゃないんだから。バカな恋をしたと自嘲して終わるのもよし、次の恋に積極的に動くもよし。少なくとも傷つけた妻の尊厳を誠心誠意回復させることは責務だが、恋心の行方は誰にも止められない。ハートマークに彩られた鋼太郎を痛々しいととらえるか、自分で尻ぬぐいできる大人はどう振る舞うべきか。これも実は教訓になる。
拒まれる切なさと相手を思う優しさ
最後は林遣都だ。ノンケの田中の無意識&無神経な言動に、林は頻繁に傷つく。ドラマ内で最も小さな傷をたくさん負うのが林である。田中へのほとばしる愛情、都合のいい男になっちゃう自分の不甲斐なさ、異性愛に対する引け目、愛した男の幸せを願って身を引く優しさ。最も若い林が、実は「王道の純愛物語」をひとりで担っているのだ。
観ている側は、男とか女とかどうでもよくなっていて、性別なんて頭からすっぽり抜けている。ただただ林の切ない表情を見守り、時に涙する。拒まれたときの悲しみ、冷静に振る舞おうとする強がり、林の表情に「成就しない恋」の切なさを感じ取っているのだ。
惚れたはれたの教訓に性別は関係ないわけで
つまり、登場人物がほぼ男性、ほぼおっさんというだけで、恋心と愛情の機微は支障なく描かれている。「恋愛を描くのに女性は不要」という驚愕の真実が発覚しちゃったのだが、惚れたはれたの教訓と共感に性別は関係ないわけで。
ただの浮かれポンチなラブコメだったら、ここまで話題にならないだろう。土曜夜のTwitter界隈がまるっとジャックされるドラマって、そう多くはない。
おっさんたちが「異性愛&家族至上主義」の世界に対して、ひそかに、あるいは激情的に反論を唱えている。そこに共感を覚える人がこぞって「おっさんずラブ」にハマった気もする。おっさんを盾に、「自由な恋愛への欲望」を吐き出しているのかもしれないねぇ。
(吉田 潮)