50 to 100 11冊目

中高年「可能性」とどう向き合う? 中尾ミエ、稲垣えみ子、方向性の違う二冊を読んで

中高年「可能性」とどう向き合う? 中尾ミエ、稲垣えみ子、方向性の違う二冊を読んで

50代から100歳以上の著者の本から人生後半のA to Zを考えてみる本連載「50 to 100」。

11冊目に紹介するのは、歌手で女優の中尾ミエさんの書き下ろしエッセー『76歳。今日も良日 年をとるほど楽しくなる70代の心得帖』(アスコム)です。

「悩まず、明るく、貪欲に。老いを楽しむ生き方のヒント!」の帯のとおり、ポジティブでパワフルな中尾さんの言葉がぎっしりと詰まっている本書。この本を読んだ作家の南綾子さんは、以前この書評コーナーで読んだある本を思い出したと言います。

令和の極暑の中、昭和のさわやかな風が通りすぎた

中尾ミエさんといえば、昔、一緒にテレビを見ていた家族が画面に映る彼女をさして、「和田アキ子に口喧嘩で勝てるのはこの中尾ミエだけらしい」と言ったことが、なぜか妙に印象に残っている。

本書の中でも言いたいことははっきり口に出す人柄を表すエピソードがいくつか出てくるので、口喧嘩が強いのも本当なのかもしれない。気になって「和田アキ子に口喧嘩で勝てるのはこの中尾ミエだけ」が事実なのかググってみたところ、ウィキペディアの記事がヒットし、言ったのは美川憲一だと書いてあった。令和の極暑に苦しむわたしの前に、昭和のさわやかな風が通り過ぎた瞬間だった。

ところで本書を読んだ後、わたしは以前、この「50to100」でとりあげた稲垣えみ子さんの『家事か地獄か』を思い出した。

暮らしのベクトルが真逆なふたり

稲垣さんと中尾さんには20歳ほどの年齢のギャップがあるが、どちらの著書も”老い”に向かってどう幸せに、楽しく、快適に生きるかをテーマにした本だった。しかし、二人が実践している暮らしの中身はまるで違う。

はっきりとわかりやすいのは、”モノ”の扱い。稲垣さんの本は欲望や可能性からの解放が基本理念なので、”モノ”も限界まで捨てていく。一方、中尾さんは古いものを捨てるのが苦手で、何年も前に買った洋服をとっておいて、今でも大切に着ているそうだ。

コロナ禍をきっかけにメルカリなどを利用してかなり処分したようだが、それでも、中尾さんは本書を読む限り、好きなモノ、お気に入りのモノに囲まれた暮らしを大切にしているように思える。

もう一つ対照的なのは仕事、キャリアに対しての考えや取り組み方だ。稲垣さんは著書の中で”可能性”は危険物である、と説いていた。高度経済成長期に育った稲垣さんは、自分の可能性を最大限広げるための努力を惜しまず、その末に様々なものを手に入れた——高いステイタス、高い給与所得、高級マンション、高価な洋服。しかしそれらを手に入れたあと、今度はそれらを維持するための努力が必要になってくる。そんな生き方は、自分の欲望を叶えるために自分自身の使用人になるのも同然だ、とあるとき気づいた。だから稲垣さんはまず、会社を辞めたのだ。誰もがうらやむような高ステイタスを、あっけなく捨ててしまったのである。

一方中尾さんは、70代に突入しても、活動の幅を広げることを厭わない。中尾さんが73歳のときに週刊誌のグラビアを飾ったことはわたしもネットニュースで見た覚えがある。それだけではない。同じ73歳のときにブロードウェイミュージカル『ピピン』にて主人公の祖母役を演じた際は、演出家の指令のもと厳しいトレーニングを積み、芝居の中でなんと空中ブランコに乗って歌ったのだという。可能性の塊のようなエピソードだ。中尾さんにとっては何かに挑戦すること、可能性を広げることこそが、楽しく老いるための何よりの秘訣のようだ。

年齢ってときどき首をもたげて「もう〇〇歳だからね」と人の耳に意地悪くささやくようなところがあるでしょ。(中略)それで、自分の世界を制限して狭めたら、年齢の思うつぼなのね。

本書の中で中尾さんはこう語っている。これは稲垣さんの主張と真っ向から対立する考え方だと思う。稲垣さんは自分の世界を狭くして、すべて自分の手の届くところにまとめることによって、快適に、軽やかに生きることを提唱していた。

違う暮らしでも、目指していることは同じ

しかしこの二冊を読んでも「どっちも違うことを言ってるじゃん、どうすりゃいいんだ」とは案外ならなかった。なぜなら、この二冊は正反対の暮らしを実践している一方で、同じところを目指していることが明確だからだ。

それは、できる限り長く”一人きりで老いる”ということ。
 

年をとれば介護が必要になるという前提で、物事が語られているけど、年をとっても自分の力で生きていける世の中になったらいいなと思うんです。

 
可能な限り、自分のことは自分自身で支える。最後の最後まで、自分の世話は自分でする。家族を含め、他人は決してあてにしない。二つの本に共通するのはそれで、そこを目指したい人であればあとはこの二冊を比べて、どちらが自分に合いそうかどうかで判断すればよいだけである。逆に、老後は誰かに支えられて生きていきたい、そのための秘訣をしりたいというような人には合わないだろう。

そしてもう一つ、この二冊に共通する点がある。それはあくまで同世代の読者を想定しているということだ。この「50to100」は、五十歳以上の著書の本を読んで、それより下の世代が今後どう生きるべきかを考えたり学んだりするのが趣旨だが、二人ともそんなことしったこっちゃないので、下の世代に向けて何か具体的なアドバイスをくれるわけではない。

そして二人とも、今の幸せで快適な暮らしを、若いうちから手にしていたかというとそうでない。それなりに苦労し、悩みながら今の年齢、そして境地に達したのだ。ひたすら同世代に向けてのメッセージがつづられた本書を読みながら、そもそも上の世代の人の本を読んで三十代、四十代にするべき苦労をすっとばそうとするのは、あまりにも浅はかすぎるのだろうか、という思いに駆られ、わたしは途方に暮れてしまった。

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