アラフィフ作家の迷走生活 第63回

性というものは、どこへ行くのだろう

性というものは、どこへ行くのだろう

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新型コロナウイルスによって社会は以前と大きく変わってきています。森さんは「性の在り方」についても変化を感じているのだそう。アフターコロナの時代、私たちが生きることに貪欲になり、もし孤独を恐れなくなったなら、性に対する価値観はどのようなものになっているのでしょうか。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2020年5月16日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。

令和2年ももう5ヶ月が経過しようとしている。旧正月があけた頃から自粛の日々で、もはや地球規模の引きこもりだ。世界が、政府が「#STAYHOME」を制定しているような昨今、外出恐怖症になってしまった人もいるだろう。そうした中、このエッセイでも前回、前々回とコロナウイルスについて語ってきた。今回は、コロナウイルスによって変化していく性の在りようを見つめてみたい。

あらゆることをひとりで行う時代

いよいよ感染者が増えはじめた3月初旬から、私は「もう世の中からセックスは消え、性というカテゴリーもなくなるのではないか」と真剣に考えていた。もともとかなり前から草食系とかポリアモリーとかアセクシュアルとか、性も自由化していたのだ。たぶん、古来より自由化はしていたのだが、政治やら身分の差やら様々な縛りがあって、自由化を叫べないでいたのだろう。

ここにきて、だいぶ風通しがよくなってきた、と思った途端に、人と人が密着できない事態の到来である。なんと、人を離れて「性」そのものが自由になってしまった。これからはもう、ひとりで勝手気ままに「性」を謳歌するしかない。

それってどういうこと? と首を傾げた人もいるだろうか。つまり「性」に付随するあらゆることをひとりで行う時代なのだ。授精や出産ももう単独でできるのだから、快楽もひとりでどうぞ、な勝手気ままな時代。自慰行為だってバーチャルでやれるし、ホログラムな恋人や配偶者、ロボットの愛人、なんでもござれ。無理に人を相手する必要もないだろう。そしたら人を介して罹患する病気は消滅してしまうのだ。

かつ、性に付随する全ての悩みから解放される。恋愛、結婚、不倫、不妊、LGBT、等々。異性はおろか人と会わないのだから、美醜についてもどうでもよくなる。ひとり信仰万歳。会話は全部SNSで、文句垂れ流し。これがあたりまえになれば、傷つくこともなくなるだろう。

私達はモンスターに飲み込まれている

 
こういった世界を孤独とするか、孤高とするかは、その人次第だ。まあ、生まれてからすぐに独り立ちするのは無理だから、成人したら否応なしに「個」として放り出され、個人住居を与えられて、人との接触はもう一切アウト、な法律になったらどうだろうか。「ありえない、無理!」と拒絶する人が大半だろうけど、「それもいいかもね」と受け入れる人もいるのではないか。それほど、人は人に翻弄されている。正確にいえば、人が発する情報に翻弄され過ぎているのだ。あげく発信した大元を無視して、情報だけが拡大し、成長している。もはやモンスター状態で、私達はモンスターに飲み込まれている。

話を最初に戻せば、性に関してだってそうだ。目の前にいる異性に聞かずして、AVやインターネットで得た情報を鵜呑みに行為に挑む。されたほうもされたほうで、嫌だとか感じないといか言えずに、AVやインターネットで得た情報を鵜呑みに、嫌だ、感じないと思う自分がおかしいと自らを陥れる。お互いがお互いを見つめることなく、入り込むことなく、上っ面だけでセックスしている。偉そうに書き連ねている私にだって、思い当たるふしがあるのだ。それも、一度や二度ではない。

これってちょっとおかしいよね、私の快楽ってどこにあるの? と快楽を探す旅に出る人はいい。たとえ望む快楽が見つからなくても、自分独自の快楽を知りたいって欲求が芽生えたのだから。もっとも、快楽なんて人それぞれ。別に失神しなくても失禁しなくても、なんとなく心地いいな、がその人にとって最上ならそれでいいのだ。失神や失禁や中イキだけが本物! だなんて、それこそ頭でっかちな情報なので気にする必要はない。

私が危惧するのは、情報として得た快楽をむりやり自分に植えつけようとする人達だ。「好きな人が、こうすると気持ちがいいはずだと言ったから、そうに違いない」と思い込み、悶々とした気持ちに蓋をする。こういう人達って、やった人数を自慢したり、不倫した回数を勲章のように思っている(人もいる)。相手に巧みに合わせられる、というタイプではなく、自分そのものがないのだ。

ビフォーコロナとは明らかに人は変わる

コロナウイルスなんて悪いところしかないし、悪いことしか起こらないと、物事の側面しか見ようとしないのは愚かだし、皆、ここからいくつもの教訓を学ばせてもらっている。今この時ほど、「生きる」意味を考えた時期ってある?

立身便(りっしんべん)=心に生きるで「性」。なんか、国語の授業のようになってきたけれど、「性」って生きる源なのだ。故に快感はとてつもなく大切である。その人独自の生き方のあらわれだから。今この時、人と会えない時期に、「もっと自分だけの快感を突き詰めておけばよかった」や「今後もうセックスできないとしたら、私の身体が可哀想」など、快感について後悔している人もいるのではないか。

これを書きながらも、私はアフターコロナを視野に入れている。「打倒コロナ(なんて言い方、私はしたくありませんが)」で全世界がひとつになっている今、遅かれ早かれ終息はするだろう。ていうか、うまく共存していく世の中になるだろう。

するとどうだろう、ビフォーコロナとは明らかに人は変わる。生きることに貪欲になって、孤独を恐れず、孤高になっていくかもしれない。人を過剰に気にしなくなり、情報に踊らされなくなる。「いつ死ぬかわからない」「いつ(間接的に)人を殺してしまうかわからない」という経験をした私達、自分でも気づかぬうちに強くなっているだろう。

だから今度こそ躊躇なく、自分だけの性=生きる源、快感を探しに行こう。恐れずに、目の前の人に聞いてみたり、言ってみたりしよう。「こうしていい?」「こうしてくれる?」等々。

乗り越えたら絶対に強くなっている

現時点で、「仕事や収入が減って快感どころじゃないよ!」って人も、コロナDVやコロナ離婚に直面している人も、それを乗り越えたら絶対に強くなっている。あとから振り返って、「コロナのせいで散々だったけれど、コロナのおかげで生き方が変わった」と言える日が来るだろう。アフターコロナにはきっと、本当に大切な人との濃いセックスが見なおされるんじゃないかな、と私はワクワクしている。

明日感染するかもしれない、明日死ぬかもしれない、ってなったら、1回だって無駄にできないもんね。身体に究極の快感を覚えさせ、脳内を溶かしてしまいたいと熱望するでしょう。それにはやっぱり、テキトーな相手ではだめだ。今は会えない恋人や想い人と、自粛中に熱烈な言葉を送り合い、妄想をふくらませておこう。恋人や想い人がいない人は、アプリを駆使して心がつながれる人をつくろう。

やっぱり人には、密着が必要だもの。アフターコロナで濃い密を過ごすために、今はひとりで「生きる源」を煮詰めていきたい。

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アラフィフ作家の迷走生活

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴る連載です。

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