『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』オダギリジョーさんインタビュー

自分を貫くって難しくないですか?オダギリジョーさんに聞いてみた

自分を貫くって難しくないですか?オダギリジョーさんに聞いてみた

オダギリジョーさんが脚本・演出・編集を手がけ、自身も出演するドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』(NHK総合)。シーズン2が9月20日から始まっています。

シーズン1に引き続き、主人公である鑑識課警察犬係・青葉一平を演じるのは、池松壮亮さん。警察犬のオリバーはオダギリジョーさんです。シーズン2では、一平とオリバーのもとに、またもや不可解な事件が発生。これまでベールに包まれていた謎にも迫ります——。

©NHK

先日公開した、池松さんと少女の遺体を発見したスーパーボランティア・小西さんを演じた佐藤浩市さんのインタビューに続き、オダギリさんのインタビューをお届けします。

シーズン1の意外な評価に戸惑い

——「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」シーズン2 おめでとうございます! シーズン1放送前に行った前回のインタビューでは賛否あることを予想されていましたが、好評でしたね。

オダギリジョーさん(以下、オダギリ):はい。否が多いくらいがいいだろうと思っていたのですが……。「うわ、意外と、みんな……いいって言ってくれてるんだ」という感じになりましたね(笑)。自分で蒔いた種ではありますが、大きくなりすぎて予想外のところから“火の粉”が降ってきたら嫌だなという気持ちと、続編は下手したら痛い目を見るぞというのが正直な気持ちでした。

僕自身がそうなんですが、大多数が良しとするものに対して居心地の悪さを抱いてしまうんです。シーズン1が図らずも高評価を頂いたことで、それに対する反発は免れないだろうと覚悟しました。

なので、作品の面白さを認められたいとか、もっと大きな反響を生みたいとかそんな余裕は全くなく、「とにかく誠実に作品に向き合いたい」の一心。誰かに向けて作るのではなく、とにかくシーズン1よりも自分が面白いと思えるものにしよう!と、シーズン2は様々なプレッシャーの中で転がり始めました。

——そのプレッシャーはどう乗り越えたのでしょうか?

オダギリ:乗り越えられないです(苦笑)。やるしかない。誰かに代わりを頼むこともできないので、とにかく頑張りました。

「自分らしくない」と思っていたけれど…朝ドラ出演で気づいたこと

——連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(以下、カムカム)撮影中にオリバー2の脚本を書いていたと伺いました。プレッシャーと忙しさと、すごく大変そうです……。ところで、朝ドラに出演するのは「自分らしくない」と思っていたそうですね。

オダギリ:大河ドラマや連続テレビ小説は、NHKの看板作品です。老若男女、幅広い層に届くように作るというのは、僕が今までやってきたこだわりとは真逆なんですよね。僕は、刺さる人にだけ刺さればいいという、狭く、しかし刺さった人にはとことん深く届くようなものづくりを目指していたので。だから、自分が関わることは一生ないだろうと思っていました。

芝居に置き換えて話すと、幅の広い層に向けて伝える芝居は、どうしても“最大公約数”を求められることが多いんです。人間的な魅力を細かく深掘りする事よりも、誰が観ても分かりやい芝居を求められるような…そんなドライな現場を想像していたんです。

——『カムカム』に出てみて何か変化はありましたか?

オダギリ:意外な驚きがありました。朝ドラは、東京制作と大阪制作が交互に作っているのですが、『カムカム』は大阪のチームが作っていたんです。それぞれが切磋琢磨して作っていることもあり、大阪制作のチームからはいい雰囲気の「負けたくない」「面白いものを作りたい」という気概を感じたんですよね。

たとえば「テレビ的なセオリーでは、この場面では(カメラが)寄るのが普通ですが、うちは引きで勝負します!」とか。看板番組である『朝ドラ』にあぐらをかく事なく、その中でちゃんと挑戦する人たちが作っているんだな、と共感する事ができました。

制作意図と解釈と…物語の持つ力

——予想外の発見ってうれしいですよね。予想外といえば、シーズン2。「そう来るか……!」と思うところが多くて、ぶっとび感が増しているように思いました。圧倒されるというか、押されているうちになんだか通り過ぎていったぞ?と。だけど、落ち着いて考えてみると、おかしさの中にも社会を風刺するようなものも込められている気がして……。

オダギリ:えっ、そんなところありました(笑)?

——たとえば、「テレビ的にこういうシーンよくあるよね」というところが誇張されていると、ほかの作品を見たときにも気づいてしまうと思うんですよ。「あ! これは『オリバー2』で見た、いわゆる“テレビのセオリー通りの演出”だ」って。

オダギリ:ああ、なるほど(笑)。

——オダギリさんの監督映画『ある船頭の話』を見たときにも似たようなことを感じて。行き来するのに川を渡る必要があった村に橋ができることで「みんな」は喜ぶけれど、その橋に仕事を奪われてしまうひとりの船頭がいる。そのことに一度気づいてしまうと、気づかなかったときの視点には戻れません。そういう視点の変化って、ものづくりの際に意図していますか?

オダギリ:いいえ。特に考えていません。だけど、新たな価値観の発見というのは、多々あることですよね。それが、映画やいろんな芸術を見る面白さのひとつですし。作り手の意図と解釈が違ったとしても、それは決して悪いことではないと思います。

人生の捉え方が変わるような経験ってそんなに多くあることではないので、ひとつの映画やひとつの作品からそこまで感じられるのは、文化としてもレベルの高い話だと思います。もし、そんなふうに自分なりの解釈を持って作品を受け取ってくれる人が、ひとりでもいるのであれば、うれしいことだし、作った意味があると思います。

作り手が余計な説明をしない

——誤読、解釈、余白。そういったものが心を豊かにしてくれる、物語の持つ力ってすごいなと思います。こういったインタビューでは「答え合わせ」になりがちなので、解釈の余地を奪ってしまわないかジレンマがあります。

オダギリ:作り手が余計な説明をしないことは大切ですよね。僕は『ある船頭の話』で音楽を最小限にしましたし、オリバーでもなるべくつけないように編集を行いました。というのも、音楽にはすごく大きな力があるから。簡単に感情を誘導してしまうことがあるんです。たとえば、劇伴を聞いてここは悲しいシーンなんだな、楽しいシーンなんだな、と判断したことはありませんか? 映画音楽は、作り手が「こう感じてほしい」と思ったことを伝えやすいツールの一つになるので、出来る限り頼りたくないという思いがあって。

そういう説明的なものが加わっていくと、解釈の可能性をどんどん狭めてしまいますよね。本当は、それだけが答えじゃないはずだし、いろんな人がいろんなことを感じられるべきなのに。だから、限定的な受け取り方にならざるを得ないものは、できるだけ外した方がいいと思っているんです。

ひとつの例として音楽をあげましたが、セリフのニュアンスだってそうです。今回、オリバーでは「ここは面白いから笑ってくださいね」と笑いを誘導するような演出はできる限り避けています。もちろん、脚本執筆の際には「ここで笑ってほしいな」と視聴者の心の動きは想像します。だけど、「笑わせよう」と過剰な演出はしたくない。役者の芝居は抑えてもらうし、笑いを促すような音楽もつけません。それを避けることで、受け取り側の可能性を広げたいんです。

他人の美学に合わせようとしなくていい

——シーズン1のインタビューで「自分が感じた気持ちを否定する必要はない」とおっしゃったことが印象に残っていて。ただ、自分の「好き/嫌い」が見つかっても、それを貫き通すのは難しいな、と思ったんです。自分もなんだかんだ社会や組織の中の一部なので。

オダギリ:僕は、わがままな生き方をしてきたので、社会と同調したいともするべきとも思っていなくて……。他人がいくら何かの作品を酷評しようと、その人の感想は実はどうでもいい問題で、自分がどう感じるかがいちばん大切だと思っているんですよね。

その人と自分は育った環境も違えば、価値観も違う。全く違う感想を持って当たり前だと思うんです。十人十色の反応があるのが当たり前で、だから大多数が良しとするなんて不思議でしかないんですよ(苦笑)。話を戻すと、社会の一部としてって意見を合わせる必要が、はたしてあるのか疑問に思います……。ただ、それぞれの環境や考え方があるので「みんな、わがままな生き方をしようぜ」とも言えないですけれど。

——自分を貫くために、社会に合わせることもあるかもしれません。

オダギリ:なるほど……どんな背景があるかわからないけれど、それってなんだか隠れキリシタンみたいですね。

——隠れキリシタン……?

オダギリ:彼らは、キリスト教を信仰しているけれど、江戸幕府が禁教令を出したから隠すしかなかったわけじゃないですか。でも、踏み絵を強いられても本心では信仰心を捨てませんよね。だって、それはそうでしょう。強く信じているものがあるわけだから。

僕は、踏み絵を死んでも踏まないなんて頑固である必要はないと思っちゃうんです。踏んだらいいと思うんです。それでも信仰心を捨てない、守りたいというのは美しいことですよね。その尊さは絶対に他人が奪えないものじゃないですか。……ってちょっと話大きすぎます?(苦笑)。

——大丈夫です。本当にそうだなと思って聞いていました。

オダギリ:自分が何かを信じているとか、どう生きたいかっていうのは、その人なりの美学で。それぞれの人がそれぞれの美学を持って生きているんだから、社会の中では尊重しあえばいいだけ。違いがあるからって、気を遣って合わせに行ったり、合わせるように強要したり、そんなことはしなくていいと思います。

小さな選択がどこに影響するかわからない

——オダギリさんは、監督として役者に接する際に、サングラスをかけたまま役者の側に行かないとか、なるべく椅子には座らないといったルールを設けているそうですね。「わがまま」であると同時に、自分を律する人なんだなと思いました。

オダギリ:(笑)それは、周りの人たちを敬いたいからです。自分の書いた脚本に集まってきていただいているスタッフやキャストの方を立たせながら、自分だけどっかりと座っているのは自分の美学に反する。ただそれだけなんですよ。良い作品を作りたいと思って参加してくださっているのに、監督の言動で違和感を与えてしまったら、信頼関係が築けませんよね。僕は、信頼関係が構築された中で、スタッフやキャストと同等に悩みたいし、同じ目線でモノづくりをしたいので、その思いを伝えるためにそういう行動を選択しています。

話すときはサングラスを外す、なんて些細な気遣いにしか見えないと思いますが、ちょっとしたことが及ぼす影響って意外なところから出てきたりしますよね。だから監督も俳優も——いろんな責任を負う立場の人たちは、感情的に全てを乱暴にこなすべきじゃない。そんなことを、年齢を重ねるごとに学んでいますね。

(ヘアメイク:砂原由弥、スタイリスト:西村哲也)
(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘、編集:須田奈津妃)

■放送予定

©NHK

第6話/10月4日(火)
午後10:00-10:45(NHK総合)

<再放送> 10月4日(火)第5話/11日(火)第6話 午後3:10-3:55(NHK総合)

【脚本・演出・編集】オダギリジョー
【制作統括】柴田直之(NHK) 坂部康二(NHKエンタープライズ) 山本喜彦(MMJ)
【出演】
池松壮亮、オダギリジョー、永瀬正敏、麻生久美子、本田翼、岡山天音、玉城ティナ、くっきー!(野性爆弾)/永山瑛太/川島鈴遥、佐藤緋美、浅川梨奈/染谷将太/仲野太賀/村上虹郎、佐久間由衣、寛一郎、千原せいじ(千原兄弟)、
河本準一(次長課長)/高良健吾/坂井真紀、葛山信吾、火野正平、竹内都子、
村上淳、嶋田久作、甲本雅裕、鈴木慶一/國村隼/細野晴臣、香椎由宇、
渋川清彦、我修院達也、宇野祥平/松たか子/黒木華/浜辺美波/濱田マリ、
シシド・カフカ、河合優実、佐藤玲/風吹ジュン/松田龍平、松田翔太/松重豊、
柄本明、橋爪功、佐藤浩市 ほか

※葛山信吾さんの「葛」の下の「人」は正式には「ヒ」です

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