『ぼくイエ』で描かれなかった子供たち…ブレイディみかこが長編小説に初挑戦

『ぼくイエ』で描かれなかった子供たち…ブレイディみかこが長編小説に初挑戦

累計発行部数100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、以下『ぼくイエ』)など、格差社会を題材にしたノンフィクションで知られるブレイディみかこさんによる長編小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が6月8日に発売されました。

酒に溺れて働かない母親と弟の3人で暮らす14歳の少女・ミアが“カネコフミコ”の自伝を手に取ったのをきっかけに周りの世界が少しずつ変わっていく……というストーリーで、ブレイディさんが長編小説に初めて挑戦した意欲作です。

小説執筆の経緯や執筆を通して考えたことなど、ブレイディさんにお話を伺いました。前後編。

“ぼくイエ”で描かれなかった子供たちの存在

——『両手にトカレフ』はご自身初の長編小説ですが、執筆した経緯を教えてください。

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):実は、『ぼくイエ』を読んだ息子から「これは幸せな少年と幸せな学校の話だね」と言われまして……。彼が言うように、あの本で書かれている学校は、クラブ活動で音楽やダンスを思いっきりできるようにしたら、素行が良くなって成績も上がったという、“めでたしめでたし物語”にも読めるんですよね。息子から、「クラブ活動すらできない子もいるし、うちの学校の一面しか書いてない。そういう意味では、半分嘘だよね?」と言われて、グサッときました。

でもそれは、私も思っていたことなんです。「イギリスの学校はすごいね」とポジティブな希望の物語のように受け取られて、それは決して嘘ではないのですが、一方でその希望の陰に隠れた子供たちも存在している。

『子どもたちの階級闘争』では、貧困層の子供たちを預かる無料託児所について書きましたが、あそこに登場する子供たちは息子と同年代なので、もう中学生なんです。今でも付き合いがある子もいるし、知っている子もいる。そういう子たちは、ミアのようにクラブ活動ができない側の子供たちだったりするわけです。そんな子供たちの存在を、『ぼくイエ』では、見えなくしてしまったという気持ちがしこりのように残っていました。

ただ、そういう子供たちのことを書くとしても、ノンフィクションでは書けないと思いました。『子どもたちの階級闘争』のときは、まだ幼児だったから、事件が起こるとしても“三輪車強奪事件”とか、ほっこりした感じで済むんですけど……。中学生になると、子供たちが抱えている問題はもっと深刻になってくるから、心温まるエッセイとしては書けないんですよね。そういう経緯もあってフィクションという形で書くことにしました。

14歳の少女を主人公にした理由

——ミアは、同級生が当たり前に使っているスマホを持つことはおろか、その日の食べるものにも困る貧困生活を送っています。ある日、図書館で100年前の日本のアナキスト・金子文子の自伝と出会い、自伝を読み進めるうちに文子を誰よりも近くに感じるようになっていきますが、少女を主人公にした理由は?

ブレイディ:前に「少年とかおじさんとか男性のことは書くけど、女性のことは書かないよね」と言われたことがあったので、「よし、次は少女でいこう!」と決めていました。でも、私の中で経験値として知っていたのは、男の子より女の子のほうが大変ということ。女の子が巻き込まれる問題って、性的なものも含めた暴力の被害も存在するし、何年にもわたってヤングケアラーとして家族をケアしている子も多い。もちろん男の子のヤングケアラーもいますが、なぜか私の周囲には、小さい弟や妹、依存症とかメンタルヘルスに問題がある親の世話をしている子は、女の子が多いので、少女を主人公にしようと思いました。

そのときに、パーッとつながったのが金子文子だったんです。金子文子の境遇も、「よく生き抜いたな」という境遇じゃないですか。金子文子については『女たちのテロル』でも書きましたが、大人になってからの話だったので、いつか文子の子供の頃のことを書きたいと思っていました。

——イギリスの少女と金子文子がつながったんですね。

ブレイディ:私は金子文子が大好きで、私にとっての“永遠のヒーロー”じゃないですけど、この先もずっと書き続けていくんだろうなと思っています。私のほとんどの本の背景にいるミューズは金子文子なので、子供の頃のことは絶対に書かなきゃいけないと思っていました。今回は、うまくつながったという感じです。

14歳のミアの視点で書けたことがすごく面白かった

——小説を書くにあたって、実際に取材などはされたのでしょうか?

ブレイディ:コロナの時期でもありましたし、取材はしてないです。でも、これまで見聞きしてる話がたくさんありましたし、ソーシャル・ワーカーをしているママ友には相談したところがけっこうあります。私が10代だった頃のエピソードも結構入っています。実は時々「自伝を書かないか?」って言われるんですけど、まったく書く気はなくて。今後も書く気はないんですけど、それにもっとも近いものが、今回の本かもしれません。

——自伝を書く気はないというのは?

ブレイディ:「自分のことを書くからいいじゃないか」と言われますけれど、私だけしか出てこない自伝ってあり得ないじゃないですか。そこには家族がいたり、いい意味でも悪い意味でも影響を受けた人たちなどがいて、そういう人たちを傷つけてしまう内容もあります。彼ら・彼女たちは日本で暮らしていますからね。それに、私はそんなに自分のことを知ってほしいと思いません。私が書きたいのは「社会」のことで、なんとかこの堅い主題を読んでいただこうと(笑)書き方は工夫してますが、それは一貫してずっとそうです。

——一冊の本になってみていかがですか?

ブレイディ:大変でしたが、私自身がミアの視点で書けたので面白かったですね。ノンフィクションやエッセイを書くときは、出来事を見聞きしているのは私だから、当たり前ですが私の視点になるけれど、今回は14歳のミアの視点で書けたことが面白かったです。

これまでの私だったらおそらくミアの母親のことも書いたと思うんです。母親はどういう生い立ちで男の人たちとの間でどんな経験があったのかとか、母親目線で書いていたと思うのですが、14歳の少女の目線だったから、学校生活が中心で母親の細かいエピソードは書きませんでした。今回は母親の名前すら出していません。

もう一つ面白かったのが、フィクションは書き直せるんだなと(笑)。ノンフィクションだと、「この展開は面白くないから変えましょう」「暗すぎるから話を変えましょう」ということはないけれど、今回は、編集者さんたちと話し合って、ああだこうだと書き直したり、内容を変えたりしたのが共同作業のようで面白かったですね。

未来を諦めていたかつての自分…ミアの視点で書いて気づいたこと

——ミアの視点で書いたことで発見はありましたか?

ブレイディ:当事者研究じゃないですけど、貧困が生きる上でのある種の障害と捉えると、貧困は子供の未来を制限してしまうし、私もそこにいたんだなと改めて思いました。

例えば、ミアは試験中に開始何分かで教室を出て行ったり、どこか諦めているというか何もかも捨てているような態度を取るんですよね。でも、それって私が10代の頃に実際にやっていたことなんです。ミアを書くことで、当時の自分を研究しているというか、貧困の当事者として過去の自分を振り返って、そのときに感じていたことを再確認するような部分がありました。「なるほど、あの時に感じていたのはこういうことだったんだな」と、今になって分かった部分はありましたね。

——当時は自分が抱えている問題について意識していなかったということでしょうか?

ブレイディ:試験が始まってすぐにバーッと教室から出て行くのを「パンクでかっこいい!」って思ってました(笑)。でも実は、私は未来を諦めてただけなんじゃないかって。周りの子は、大学入試のために塾に行ったりしてるけど、私は自分の未来がないって分かっていて、現実を見て惨めになりたくなかったから、「すごいパンク!」とか自分に言い聞かせていたんだろうなとこの本を書いていて分かりました。

——小説にも壁として立ちはだかる現実を前に「しかたない」と諦める場面が何度か登場します。

ブレイディ:「しかたない」から、自分の中で逃げ道を見つけるために、かっこ悪くならないように、パンクだと思い込もうとしてたのかもしれない。結果として、それが悪かったとも思いませんけどね。パンクは私に反抗心というものを与えてくれたので。でも、そういう意味では10代の頃の自分を深い意味で振り返るということをして、すごく面白い体験でした。

武装しているがゆえに見えないもの

——小説には、ミアの世界が変化するきっかけとなるウィル、いつもミアに話しかけてくるレイラ、かつてはミアの「親友」だったけれど今は華やかなグループに所属しているイーヴィなど同級生たちも登場しますが、キャラクター作りで意識されたことはありますか?

ブレイディ:ミアは自分と弟のチャーリーしか信じられず、周りに期待をしないで自分たちだけでやっていくしかないと自己武装してる子です。ただ、彼女が武装を解除すれば、もっと分かり合えたり、話し合えたりできた子がいたと思うんです。

私も10代のときに、すごく貧しくて、自分しか信じられなくて、誰にも本当のことを言えないという状況がありましたが、自分の中の武装を解除すれば友達になれた子もいたかもしれないなって。ミアがもう少し武装を緩めたら友達になって分かり合えるような子たちを周りに配置しました。

——ミアを小さい頃から見守っていたイーヴィの母・ゾーイやソーシャル・ワーカーの人たちなど、ミアたち一家に手を差し伸べてくれる人もいるのに、ミアがなかなか周りに助けを求めようとしないことに歯痒さも感じました。

ブレイディ:ミアも視点を変えてみれば、金子文子のように「世界は美しかった」と感じるかもしれない。例えば同級生のレイラとイーヴィが一緒にミアのもとを訪ねてきた場面でも、ミアは「あり得ない」と思っているわけですよね。レイラとイーヴィはスクールカーストも違うし、住んでいる世界も違うから「友達になんかなれっこない」と思い込んでいる。でも、ひょんなことをきっかけに彼女たちが並んでいるのを見て世界が変わり始めていることを実感する。それはミアが武装しているがゆえに見えてなかった部分が見えてきたことでもあるんですよね。

『両手にトカレフ』の意味

——『両手にトカレフ』というタイトルの意味を教えていただけますか?

ブレイディ:『女たちのテロル』の表紙の絵を描いてくれたアジサカコウジさんという画家の友人の絵からいただきました。彼の作品で、「両手にトカレフ」というタイトルの絵があるんです。「めっちゃかっこいいタイトルだ!」と思って、絵も欲しかったんですけど、売れちゃったみたいで……。その絵は、女の子の顔が描いてあるんですけど、銃はどこにも描かれてないんです。

「銃を持っていないのになぜこのタイトルなの?」と彼に聞いたところ、彼がベルギーで暮らしているときに貧乏な生活を送っていて、その苦しさや怒りをぶつけて描いた絵だそうです。

彼が話してくれた、「この女の子は顔だけしか見えてないけど、見えない部分で銃を握ってるんだ」という話にグッときて、本人に承諾を得て『両手にトカレフ』にしました。この本も、女の子が銃で撃ち合ったりするアクション小説ではない。人には見えない心の中で、ひそかに銃を握って闘っている。そんな少女を描きたいと思いました。

(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子、写真:Shu Tomioka)

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