DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」65回目のボヤきは「まだまだ調子に乗りたいのに……」です。
【今週のボヤき】
「そのうち自分がちっぽけな存在だって気づくよ」「自分で思っているほど、自分は大したことがないんだよ」と言ってくる人に遭遇することがあり、言われるたびに「どういうつもりなんだろう?」と思います。昔いた会社で上司に言われたこともありますし、この前は居酒屋で隣に座っていたおじさんに言われました。
私自身はまだまだいけると思っているし、まだまだ調子に乗りたいと思っています。せっかく前向きに生きようとしているのに、人のテンションを下げるようなことを言ってくる人が許せません。
まあ私も「気にしない」と言いつつも彼らの言葉を真に受けてしまっている部分があると思うのですが…下げてくる人に対しての対処法が知りたいです。
自分が前向きでいられる環境って?
まだまだ調子に乗りたい、前向きに生きてゆきたい。
その意気は結構、そのまま自分の思うように生きてみればいいと思いますよ。
でも前向きに、いつも向上心を絶やさないためにはどんな環境にいればいいのでしょうか? そこが天狗になってお山の大将でいられる環境になったら、その環境はもう自分がいるべき場所ではありません。
慢心してしまったらそこが限界、それ以上自分が大きくなることはないでしょう。
前向きに向上心を失わない環境とは、自分がちっぽけだと思える環境です。
自分なんか全然大したことないと思える環境に常に身を寄せることが、ずっと前向きに生きてゆける絶対的な条件なのですよ。
「自分はちっぽけ」と思える環境って?
自分がちっぽけに思える場所とは、言い方を変えればそれだけ広い場所だということです。
中学から高校、高校から大学、大学から社会へと環境が移り変わるたびに、その広い世界に驚き、自分の存在の小ささを痛感した経験は誰にでもあるものだと思います。
そしてその広い世界に必死に適応して、自分自身も大きく成長してこれたのだと思います。
思い返してみれば、学生の頃の自分とは比べ物にならないくらいに、今の自分は大きく成長したのではないですか?
それは自分がちっぽけだと思える環境に身を投じることができたからなんですよ。
次の環境に進むべきときは?
学生には「卒業」という決まりがあります。
時期がくれば否応なくその環境から追い出されてしまうシステムです。
しかし社会人に「卒業」という強制イベントはありません。
自分自身がその環境にいるべきか否かを決めなければならないのです。
自分がいなければ仕事が回らないほど成長してしまった環境は、もう自分がいてはいけない環境なのです。
調子に乗れるほど力をつけてしまった場所は、もうあなたがいるべき場所ではありません。
もっと広い世界に身を投じて、もっともっと大きく成長しなければならないということです。
退屈だらけの人生にしたくなかったら…
人はその人生が終わるまで成長し続けることができる生き物です。
自分が一番でいられる環境に甘んじてしまったらもうおしまい。
残りの人生をただの消化試合にしたくなかったら、自分がちっぽけだと思える広い環境に行ってください。
どこまで広い世界の住人になれるのか、その生涯を賭けて戦いを挑んでいれば、一生退屈することはなくなりますよ。
どんな思いで「そのうち自分がちっぽけな存在だって気づくよ」という言葉を使ったのか、その真意はわかりませんが、それは最高のエールにも聞こえる言葉です。
あなたがこの先も向上心を失わずに前向きに生き続けてゆくのなら、そのうち自分がちっぽけな存在だって気づくことができると思いますよ。