トップ指揮者に上り詰めた「TAR/ター」が発揮する有害な男らしさ

トップ指揮者に上り詰めた「TAR/ター」が発揮する有害な男らしさ

ケイト・ブランシェットさんがベルリン・フィル初の女性首席指揮者を演じ、第95回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞をはじめとする主要6部門にノミネートされた『TAR/ター』(トッド・フィールド監督)が5月12日(金)に公開されました。本作について、5月11日に新刊『名曲の裏側:クラシック音楽家のヤバすぎる人生』(ポプラ新書)が発売されたばかりの、音楽プロデューサー・渋谷ゆう子さんに綴(つづ)っていただきました。

ベルリン・フィルのトップ指揮者に上り詰めたター

クラシック音楽の世界において、女性がプロの奏者になれるようになってから実はまだ日が浅い。世界トップオーケストラの一つ「ベルリン・フィル」は1980年代になってから、「ウィーン・フィル」では1997年に初めて正団員が誕生している。指揮者にいたってはさらに女性の数は少なく、オーケストラや歌劇場でのポスト争いは激しい。そのような厳しい男性社会が続いた音楽界で最高峰に君臨するベルリン・フィルで女性として初めて首席指揮者となった人物を取り上げたのが、本作『TAR/ター』である。主人公の指揮者リディア・ターをケイト・ブランシェットが演じた。

クラシック音楽を取り上げた作品として、オーケストラ音響の素晴らしさは言うまでもなく、指揮者を捉える下からの構図や、ベルリンの街を走る車の窓にあたる雨粒など、映像も美しい。さらには、カフェやレストランなどの雑踏や人のざわめきなど、環境音が効果的に音量を上げて使用されており、音の存在が物語の臨場感に大きな役割を果たしている。ターが違和感を感じる雑音の音場や残響なども繊細に作られており、音楽を扱う映画として音響スタッフの卓越したセンスが光り、その質を高めている。

ターは指揮者としてトップの地位を築き、作曲家としても活躍する。「ドイツグラモフォン」というクラシック音楽の老舗レーベルで、マーラーの交響曲全集が制作されているほど、才能も人気も持ち合わせる。アカデミー賞、グラミー賞など世界のアワードを制し、またアメリカのジュリアード音楽院という世界有数の音楽大学で講義を行い、若手演奏家を育てる基金の設立も果たすなど、とにもかくにもクラシック音楽の世界で文句のつけようのないブランド力をつけた指揮者として描かれている。ケイト・ブランシェット自身も指揮法を習い研究を重ねたという。両脇の下に空間をきちんと取って腕を上げ、背筋を伸ばして指揮棒を振る姿は神々しいほどだ。

このターという女性は架空の人物である。面白いところは、この架空の人物をとりまくオーケストラ、ベルリン・フィルや、師であるとする指揮者レナード・バーンスタイン、レコードレーベルのグラモフォン、ジュリアード音楽院、さらにはマネジメント会社CAMIに至るまで全て実在するもので構成されていることだ。劇中でターが制作していたマーラーの交響曲第5番のアルバムジャケットも、実在の指揮者クラウディオ・アバドがベルリン・フィルを指揮した名盤と同じポーズで制作しようとしている。また、他の指揮者やオペラ歌手の実名も劇中で登場するなど、クラシック音楽ファンにとっては知識欲を満たされる楽しさも加えられている。

「待望の女性指揮者」だったはずが…ターが発揮する“有害な男らしさ”

才能ある女性指揮者ター。プライベートではベルリン・フィルの女性コンサートマスターがパートナーであり、養子をとり3人家族として暮らしている。一方でアシスタント女性を翻弄(ほんろう)したり、若手女性指揮者と親密な様子を見せたりと奔放な生活を送っている。一方で若手に指揮者としての道が開きそうになると、それを妨害したりもする。新しくオーケストラに入ってきた若く魅力的なチェリストの女性にも近づき、協奏曲のソリストという大役を半ば強引に与え、海外へ同行させたりもする。

オーケストラに対しては、「よい音楽を作りたいなら私に従いなさい」と高圧的な態度で挑む。さらには、自分の音楽に意見する気に入らない副指揮者の年配男性は容赦なく解雇するなど、自分の地位を思うままに使うようになるター。そうして少しずつ、周囲への暴挙が明るみに出て、信頼を失っていく。積み上げてきた大事なキャリアを、人間関係の崩壊から一気に手放さざるを得ない事態が訪れて……というのが本作のストーリーだ。

ターは冒頭シーンのトークショーにおいて、「指揮者は時間を統制している」と発言する。指揮棒をいつ振り上げるか、どのテンポで進めるか。その音楽の時計を進めるのは指揮者であるとする。どれほど優秀なオーケストラであっても、指揮者が始めなければ音楽は鳴らない、と。時間を自由に操れること。それは神の領域である。そういうターの奢(おご)った万能感が、自身の人間関係を破綻に向かわせた。

ターは確かに、女性指揮者としてクラシック音楽の歴史上初の称号を次々与えられるキャラクターである。女性の社会進出と重用、そして多様化を善とするこの時代から考えれば、拍手で称えたいキャリアである。しかし一方で、その人物の描かれ方、社会的地位と名誉や経済力を得た指揮者がその力をハラスメントとして行使する姿は、前時代的な地位ある男性のステレオタイプである。劇中でも、ターと他の指揮者との会話の中で、ハラスメントで訴えられて職を失った実在の指揮者の名前が複数挙げられている。実際のクラシック音楽界を知っているものから見れば、具体例が的確すぎて恐ろしくもあるシーンだ。

繰り返すが、ターは女性である。レズビアンという設定からパートナーらも女性である。その性別に目が行きがちで見失いそうになるが、この映画での力関係は、性別のいかんに関わらず、ハラスメントが周りに及ぼす影響と、その後に自身に降りかかってくる因果応報、キャンセルカルチャーの物語である。これを今、女性にその役を担わせて物語を作る意味はどこにあるのだろうか。

多様性が重視され、LGBTQなどジェンダーの相互理解について現在はまだその過渡期にある。その中で、最も保守的だとされてきたクラシック音楽の世界で、女性に活躍の場を与える未来を描いていることは歓迎されるべきところであろう。

実際にベルリン・フィルでは未だ女性の首席指揮者・芸術監督は生まれていない。また、この映画が欧州で公開された後、2023年2月にベルリン・フィルに歴史上初めて女性のコンサートマスターが誕生したばかりだ。それくらいクラシック音楽業界の組織では女性が責任あるポジションに簡単に就ける状況ではない。

加えて言えば、私がいる録音業界においては、現場で女性に会うことのほうが稀(まれ)だ。これは日本も他国も同じである。本作に登場するレコーディングエンジニアも男性しかいなかった。そうした世界から見れば、この映画はある種の女性登用の希望であるはずだ。しかし、ターの人物像は、その未来への明るい希望からは全くかけ離れた旧時代のものである。

ハラスメントはどこから生まれる? “ターなるもの”の正体

J.S.バッハに興味が持てないという、入学したばかりの有色人種の若い学生に対してターが、「出自や人種、性的指向ではなく音楽の本質を捉えろ」と強く諭すシーンがある。それはそのままこれまでマイノリティーであった女性たち、ジェンダーに悩む人たちが訴えてきたことである。私たちをカテゴリー分けするのでなく、本質を理解してほしいと。しかしその際のターの物言いは威圧的で、結果学生を怒らせてその場を去らせている。結局ターはマジョリティー側、つまり旧時代の男性的存在だと、強く印象づけるシーンだ。

誤解を恐れずに言えば、この映画はマッチョイズムの再定義ではないだろうか。多様性とジェンダー問題解決の先に、女性が男性と同等の力を持った後に現れるのが、“ター”なのだと。男性がこれまで担わされてきた“男性たるもの”の一面としてのマッチョイズムは、男性だから持っていたわけではなく、その地位にいるものであれば誰しもが持つ可能性があるのだと。

「有害な男らしさ」やハラスメントなどの暴力性は“男性性”の表面化ではなく、その役割がもたらしたものであり、だから時代の変革の先にはそれと同じことが、持たざるものとして定義されてきた女性にも現れるのだと。ターの存在からは、そのマッチョイズムの移動の可能性から目を逸らさせるものかという、強烈な意図を感じるのだ。

いや、私たち女性はそうはならないと言い切れない、リアルな恐ろしさがターにあり、そしてそのパートナーや恋人たちも、ターと同じく旧時代的な社会で生きている。一時代前であればそれらは、「女の怖さ」という、ある種女性を下に見た嘲笑で済んでいたかもしれない。しかし、もうその時期は過ぎたということだ。

男性監督であるトッド・フィールドが作るこの『TAR/ター』は、我々女性に何を訴え、何を分からせようとしているのか。この映画を多くの女性たちと見て、一緒に考えてみたいと思う。この映画がもし、異性愛者の男性指揮者を主人公にしていたらどうだっただろう。

“ターなるもの”が、ジェンダーに関係なく誰しも自分たちの中に生まれる可能性があるということを認められるかどうかで、この先のジェンダー問題の解決方法も確かなものになっていくのではないか。ハラスメントは性別が生むものではなく、役割がもたらすものではないか。この問題提起について、多くの女性たちと共に語りたくなる、そんな映画である。

(渋谷ゆう子)

■作品情報

タイトル:『TAR/ター』
監督・脚本・製作:トッド・フィールド『イン・ザ・ベッドルーム』『リトル・チルドレン』
出演:ケイト・ブランシェット『ブルージャスミン』、ニーナ・ホス『あの日のように抱きしめて』、マーク・ストロング『キングスマン』、ジュリアン・グローヴァ―『インディー・ジョーンズ/最後の聖戦』音楽:ヒドゥル・グドナドッティル 『ジョーカー』(アカデミー賞作曲賞受賞)
原題:TÀR/アメリカ/2022年 (C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
配給:ギャガ

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