二十歳のキョウカにメイクをまなぶ②

イマドキメイクは「元の顔」を選ばない? 姪のメイクを見て考えたこと

イマドキメイクは「元の顔」を選ばない? 姪のメイクを見て考えたこと

こんにちは。アラフィフ作家のにらさわあきこです。1年ほど前から二十歳の女子大生、姪のキョウカと同居しています。

キョウカと同居して驚いたのが、メイクへの情熱と実力です。

キョウカは毎日2時間もかけてメイクをしているのですが、その結果、ビフォーとは別人のような顔を作ることに成功!

「いったいどうすればその顔に仕上がるの?」と、とても不思議に思うのですが、その秘密をひもとけば、我ら大人もメイクの悩みから解放されるかもしれません。

そこで、このコラムでは、イマドキ女子大生のキョウカからメイクのテクニックやマインドを学んで(盗んで)いこうと思っています。

まずは、イマドキっ子たちのメイクに対する姿勢からのぞいていきましょう。

イマドキメイクは顔を作るもの

キョウカと暮らすようになってから、キョウカのメイクを見るだけでなく、キョウカに教えられて知るようになったTikTokなどで活動しているイマドキっ子たちのメイクを見るようになったのですが、見ていて、気づいたことがありました。

それは、イマドキっ子たちのメイクが、「顔に寄っていない」ということです。

「顔に寄っていない」というのは、つまり、「元の顔を選ばない」と言いますか、「元の顔に縛られない」と言いますか、どんな顔の子でも自由に「理想の顔を目指そうとしている」ということです。

たとえば、私たち大人世代は、「元の顔を基準に」差し引きてメイクをしていきますよね。

「こういう顔だから、こうメイクする」というふうに、自分の顔をベースにして「補正したり」「演出したり」するのが、私のメイクイメージです。

が、イマドキっ子たちは、違います。

先に「理想とする顔」を目指して、メイクをスタートしているというか、「ゴール」が「元の顔」に左右されない印象を受けたのです。

我らが「ベース(=元の顔)先にありき」とするならば、「ゴール(=理想)先にありき」なのが、イマドキっ子のメイクとでもいいましょうか。

そのためなのか、イマドキっ子のメイクに対する私の印象は、「作るもの」。

「自分に加えるもの」というよりは、「理想を作るもの」というイメージです。

だから整形もはやるのかも? と思ったりするのですが、整形などしなくても十分、「理想の顔」を実現させてくれるのが、イマドキメイクなのでしょう。

もちろん、このように「理想を追求してメイクしようとする行動」は、ほんの一部の人たちに限ったことかもしれませんし、昔から同じようなことをする人たちもいただろうとも思います。

けれど、それを「より実現できるようにした」のが、現代のメイクグッズであり、テクニックであり、情報なのだと感じました。「メイクで好きな顔を作る」勢の裾野が広がってきているのでしょう。そしてその一角に我が姪、キョウカは確実に位置している! それを、オバは感じ取りました。ピピッ!

キョウカのメイクを見てオバが考えたこと

しかし、こうも思いました。「誰もがメイクで理想の顔を作れる」というのは、「ある意味、自由でいいな」と思うけれども、「本当に自由なのかな?」と。「顔はこうでなければ」とか、「こうならなきゃ」という意識が生まれるのは仕方がないことだとしても、その意識に縛られて、抜け出せなくなってしまうのではないかと。

しかも、本当にメイクで別人級の顔が作れてしまうとなると、「その人にとっての“自分の顔”って、AとB、どちらということになっているのだろうか?」とか、「その人のアイディンティティーというか、“自分らしさ”は、どこに行ってしまうのだろうか?」とも思ってしまうわけですよ。

さらに、メイクで本当に「なりたい顔」になれてしまうとするならば、似たような顔が量産されることになりかねないとも思うのですが、となると、自分と同じ顔の人が大勢いる状態になるわけで、「それでいいの?」と思ったり、「個性ってなに?」と思ったり。

韓流メイクには、すでにそのようなイメージがあったりするのですが、すると、「個ってなんだっけ?」「自分らしさとは?」「そもそも顔ってなに?」ということまでも、頭をよぎってしまうのでした。

とはいえ、かつてもガングロメイクがはやったり、安室メイクがはやったり……と、「人と同じ顔に作り込むブーム」は、いつの時代にもあったことはありました。

そう考えると、顔を理想的な「標準仕様」に作り込むムーブメントは、思春期後の心模様や生理が生み出す、ある意味、人としての衝動や行動なのかもしれません。標準仕様というよりも、ひな形と言うか、その世代のある種の「理想形」というか。

結局、人はメイクで個性を出したいのか、逆に個性を消したいのか、それともその思い自体すらも、揺れる心や時期に左右されるものなのか……。

今の時点では、わかりません。けれど確実に言えることが一つだけあります。

それは、「同居人の顔が変化しても、両方受け入れられるようになる」……というのを、ひとことで言うと、「慣れるよ!」

……以上、1日のうちで顔が変化する姪と同居するオバとして、お伝えしておきましょう。

はい、顔って慣れるんですよ、結局は(笑)。

●自己紹介

キョウカ
二十歳の女子大生で、にらさわの姪。専攻はメディア論だが、専門の勉強以上にメイクに時間と情熱を注いでいる。欲望にフタをしないタイプで、別人級のメイクを実現する。

にらさわあきこ
文筆家、時に美容研究家。美肌と美ボディ作りを追求していて、普段はノーメイク。著書は、『未婚当然時代』(ポプラ新書)、『婚活難民』(光文社)ほか多数。

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