DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」74回目のボヤきは「たまには流されてみるのもあり?」です。
【今週のボヤき】
これまでの人生、すべて自分で選んできました。進学先も就職先も転職先もすべて自分で選んできて完璧とは言わないですが、自分としてはベストを尽くし、後悔はなく満足しています。
ところが先日、知り合いに「うちの会社に来ないか?」と誘われ、「たまには流されて乗っかってみるのもいいかな」と思って、転職しました。今のところ職場に馴染んでうまくやっています。
思いのほか波にうまく乗れたのですが、今まですべて自分で主体的に動いて自分で決めてきた私としては「これでいいのか?」と不安もあります。たまには乗っかってみるのもありなのかなと思う一方で、“自分で決めた感”が弱いことで、これから先、後悔して他人や周りのせいにしてしまいそうで怖いです。
こだわりがないことは流されてOK
自分の価値観というものは多ければ多いほど自分を縛り付ける足枷になってしまうもので、ある年齢までは価値観は付け足していくものなのですが、ある年齢からは余計な価値観は捨てていくものになるんですね。
経験を積めば積むほどどうでもいいことが増えてきて、余計な価値観は消えてなくなり、自由自在な自分になることができるんです。
価値観なんて本来そんなにたくさんあるものではなく、本当に大事にしなければならない価値観は三つ程度しかないものなんですよ。
自分の価値観に従い主体性を持って行動したいという気持ちもわからなくはないですが、何でもかんでも主体性を重視していたら窮屈でしょう。
こだわりがないことは人に流されてもOK、「これだけは譲れない」という価値観に抵触していなければ自分の尊厳は守られますからね。
最後に責任をとるのは自分
仕事もひとつの職場にこだわる人が多くて、転職することがまるで敗北者のようなイメージが先行したりするのですが、それって誤った価値観(偏見)でしかないんですよね。
自分の価値をより高く評価してくれる環境に移ることは自然なこと、自分の健康を守るためによりよい環境に移ることも自然なこと、自分をより必要としてくれる環境に移ることも自然なこと。
本来転職はもっと身軽にしてよりよい環境に移っていいものなんですよね。
ひとつの職場にしがみつこうとする価値観、その価値観を誤りだと気付き捨てていく人からより自由になり成功に近付いている印象を受けます。
そこが今よりよい環境だと思えるのならどんどん転職すべき。
それが人に流されることなら流されても全然OK、人に流されようが主体性を持ってやろうが結局最後は自分で責任を持たなければならないのですからその経緯は問いませんよ。
難しいことなんて考えなくてもよし。
人生なんて面白そうなほうを選んでおけば間違いはないよ。