「家族」と言うと世間では“家族の絆”や「家族なんだからわかり合える」といった“美談”でもてはやされがちですが、「そうは言っても面倒なときもある」「うちの家族は違うよ」と思っている人も実は多いのではないでしょうか。
コラムニストのジェーン・スーさんが自身の父親についてつづったエッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)を上梓しました。
40代半ばに差し掛かったジェーン・スーさんが80歳になろうとしている父と、もう一度「父と娘」をやり直そうと向き合った日々をつづったエッセイです。
「母親とはよく話すけれど、父親とはちゃんと話してないな」「改まって何を話せばいいのかわからない」という人もいるはず。
ジェーン・スーさんに3回にわたって話を聞きました。
父親について書こうと思ったきっかけ
——お父様のことを書こうと思ったきっかけを教えてください。
ジェーン・スーさん(以下、ジェーン):うちの父の話って誰に話してもたいていウケるんですよ(笑)。私が会社員だったときからまわりのみんなにそれとなく話すと笑ってもらえる定番ネタだったんです。それで、何となくエピソードが溜まっていたというのもあって。
直接のきっかけとしては、父が「引っ越しをするから初期費用を出して」と言ってきたときに「じゃあ初期費用を出す代わりにあなたのことを書かせてよ」と言ったことから具体的にスタートしました。
そもそもは、20年前に母が亡くなったんですが、私が若かったのもあって母から母自身のことや妻としての本音など昔の話を聞くタイミングが一切なくて後悔したんです。父に対してはそういう思いをしたくないと思ったので、タイミングが合致したという感じですね。
——書いてみていかがでしたか?
ジェーン:想像していたより多くの人に共感してもらえて、ホッとしました(笑)。まあ墓参りの話ばかりなんですが、その日にあったことをつらつらと書くだけで自分の心情も入ってくるし、父親の言葉の外にある思いというのも入ってくる。思った以上に書くことがあったなと。
あとは、父について書かなきゃいけないので定期的に会うようになって話を聞けたのは結果的に非常によかったなと思っています。
——お父様と会うのが「面倒臭いな」とか「面倒臭いことを始めちゃったな」というのはなかったですか?
ジェーン:それはなかったですね。父は文章を書くための”コンテンツ”でもあるわけで。父が”コンテンツ”になったとたんに、会うのが全然苦じゃなくなりましたね。
——なるほど。本の中に「母が亡くなってから二度ほど同居を試みたことがあるが、散々だったので諦めた」とありました。一言で「父と娘」と言っても、その関係性はそれぞれ違うものだし、ぶつかるときもあれば友だちのように距離を縮めるときもある。決して一枚岩ではないのだなあと思いました。
ジェーン:我が家の場合は「父と娘」でしたけど、二人って家族の最少構成人数じゃないですか。なので、よっぽどうまくタッグを組んでいかないと簡単に壊れてしまうというか、疎遠になってしまうものだと思うんです。それをつなぎとめるという意味で、再構築するという意味で父の話を聞けたのは非常に意味があったなとは思いますね。
——とはいえ「親子だからわかり合えるよね」っていうスタンスで踏み込んでいくと……
ジェーン:大ゲンカになります。やっぱり他人なんですよね。親子だけれど他人だし、親子だけれど両方とも大人だし。逆に絶対的だった父親が、どんどん年齢とともに弱くなっていき、私は強くなっていき……というので、どこかで立場が逆転したりっていうことはありますよね。
そしてやっぱり異性なので、同性だったらまったく違う物語になったと思うんですけれど、「父と娘」という役割以外にも何となく男、女というところが出てきて面白いなと思いましたね。
——「父にほかの女性の影が」というお話も出てきましが、どうでしたか? お父様の男の顔。
ジェーン:それについては母がいなくなってからのほうが苛立ちが増したかもしれません。母がいなくなったからこそ、ここでちゃんと「父」をやってほしいという思いがずっとあった。今もないわけではないんですけれど、「できんものはできん」というか、「もうダメだこの人は」というのがわかったので、細かい部分はそんなに期待していないです。
今は余生と言われる年齢ですから、どうやって楽しく過ごしてもらえるかというか、立ち入りはしないですけれど多少サポートができたらいいなとは思いますね。
「ずっとテンプレの家族像にこだわっていた」
——じゃあ今はちょうどいい距離感を保っているんですね。
ジェーン:そうですね。
——いい距離感にいくまでって……。
ジェーン:私の場合は20年かかりました。人それぞれだと思うんですけれど、今から考えると、父は世間一般の「娘」の役割を私に何も求めてこなかったのに、私ばかりが躍起になって定型のテンプレの家族みたいなものにこだわっていたんだと思います。
——なぜこだわっていたんだろう。
ジェーン:安心したいからじゃないですか。どこから見てもおかしくないとか、後ろめたいことがない形ならば不安はないでしょう。私は親からちゃんと大切にされている、愛されているということは、テンプレ通りの型のなかで行われていると実感しやすくて安心しますよね。
——ジェーン・スーさんが「テンプレにこだわっていた」というのは意外です。
ジェーン:それはずっとありますよ。結婚しないと不完全な人なんじゃないか、とか。テンプレをなぞれない自分に対する自責の念はずっとありました。
——今はどうですか?
ジェーン:今もないとは言えないと思いますよ。子どもを産んでないこととか、結婚してないことに関しては「もういいじゃないですか」みたいな感じになってきましたけれど。
例えば、親に関しても他人(ひと)様からは「本を書いて親孝行ですね」って言われたりするんですけれど、結婚したり孫の顔を見せたりするほうがテンプレ的には親孝行なんだろうな、と思ったりはします。
——わかる気がします。私の話で恐縮なんですが、実家に帰るたびに「お前はもう大人なんだから好きなように生きればいい。お父さんは孫の顔を見たいとかは言わないよ」って父から言われるんですが、帰るたびに言われると本音では孫の顔を見たいのかな、とも思うんです。
ジェーン:そこは言葉通りにお父様の言葉を受け取ればよいと思いますよ。私がそうだったように、結局は私がヤキモキしてテンプレをやりたがってただけだったという……。
「家族なんて人それぞれ。幸せは異なりますよね」なんて口では言いながら、結局自分はテンプレが踏襲できないことを後ろめたく思っていたわけですから。意外ととらわれているのは自分のほうなんじゃないかって思いますね。
——そうかもしれないですね。
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)