1980年代のニューヨークを舞台に、『エヴァの告白』『アド・アストラ』のジェームズ・グレイ監督の幼少期を投影した『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』が公開中です。日本でも人気のアン・ハサウェイさんとアンソニー・ホプキンスさん、ジェレミー・ストロングさんらが集結。
同作について、5月11日に新刊『名曲の裏側:クラシック音楽家のヤバすぎる人生』(ポプラ新書)が発売されたばかりの、音楽プロデューサー・渋谷ゆう子さんに綴(つづ)っていただきました。
1980年代のニューヨーク、アメリカの善と悪
社会派映画からSFまで多彩に制作するジェームズ・グレイ監督が自伝的作品に挑んだ本作。「アルマゲドン」とはキリスト教やユダヤ教の宗教用語で「善と悪の終末的な戦争」を意味する。アメリカの階級闘争を アルマゲドンに例えたジャマイカ出身のレゲエ歌手・ウィリー・ウィリアムズの名曲「アルマゲドン・タイム」(1979)からタイトルをとり、そしてそれをカヴァーしたTHE CLASHの音源を使用している。
レーガン大統領誕生前夜、1980年代のニューヨークを舞台にグレイ監督をモデルにした12歳のポール(バンクス・レペタ)とその母(アン・ハサウェイ)、父(ジェレミー・ストロング)、裕福な家庭の子供たちが通う私立学校生の兄(ライアン・セル)、そしてユダヤ人であるポールの祖父(アンソニー・ホプキンス)らが、白人社会で「強いアメリカ」を確立しようとする世情の中で黒人差別の問題にぶつかり、自分たちのルーツを見直し、ポールにアイデンティティの確立を促す物語である。
アン・ハサウェイは本来の女性的で溌剌(はつらつ)とした魅力を封印し、子育てと地域活動に悩む疲れた母親の姿を演じているのには、世の女性たちからの大いなる共感が得られそうだ。また名優アンソニー・ホプキンスはユダヤ人家族の歴史を背負った上で、人生哲学を構築した老人の生きざまを余裕のある感情表現で魅せた。
映画の冒頭、ブラックスクリーンのままに大勢の子供たちが遊んでいる歓声、学校の校庭での様子のような音を流す。そしてポールの通うニューヨークの公立学校が映される。ここは地域のさまざまなバックグラウンドを持つ子供たちが通う学校で、人種も家庭環境もさまざまだ。主人公ポールは、ここでひとりの黒人生徒ジョニー(ジェイリン・ウェッブ)と仲良くなる。
ジョニーに父母はおらず、年老いて寝たきりの祖母と暮らしている。ジョニーは担任教師から問題児扱いされているが、その様子は単に黒人であるから、またそれに起因した貧困の様相が気に入らないからという差別を含んだものとして映されている。こうした人種差別と階層の差が露呈する事件が起こり、ふたりの少年の運命が裂かれていく、というストーリーである。
“白鳥の苦悩”が意味するもの
この映画ではタイトルの「アルマゲドン・タイム」だけでなく、イギリスのパンクバンド「レインコーツ」の「Fairytale in the Supermarket」などとともに、実はクラシック音楽が非常に効果的に使われている。裕福な白人たちが子弟を進学させる私立学校のシーン、また白人社会の意識を際立たせるシーンで、それらはどれもクラシック音楽からイメージされるスノッブさ、優雅さを用いて、白人意識を際立たせることに役立っている。
中でも特に、二人の少年の貧富の差を見せつけたシーンにチャイコフスキー作曲のバレエ「白鳥の湖」の第二幕の曲が使われていたのには、その巧みさに衝撃を受けた。黒人のジョニーが社会科見学に行くお金も用意できないとして欠席をしようとするが、ポールが家から現金を持ち出し、ジョニーに手渡して参加させるシーンである。ポールは単に仲の良い友達と一緒に行きたいという思いだけだが、ジョニーと親しくなればなるほど、この二つの家庭の差が明らかになっていく。ポールは自分の無邪気さがかえって相手を傷つけていることには、この時まだ気がついていない。ふたつの階級、人種の差で生じる軋轢(あつれき)が潜むシーン。そこに突然にクラシックの、しかも優雅なバレエ音楽によって違和感を効果的に生じさせた。
チャイコフスキー作曲の三大バレエのひとつ「白鳥の湖」は、ある国の王女が悪魔の魔法によって白鳥の姿に変えられてしまう物語である。王女に恋し助けようとする王子が現れるが、悪魔はさらに黒鳥の姫を使って王子をだまし、黒鳥と王子を結婚させようともくろむ。
映画『アルマゲドン・タイム」に使われたメロディは、この「白鳥の湖」第二幕のシーンから取られている。第二幕には、王子がはじめて白鳥になった王女に出会う重要な場面がある。この時に白鳥の王女は王子に向かって、自身の窮状を切々と説明する。バレエはセリフのない舞台である。ここではマイム(身ぶり手ぶり)でしっかりと王子に、そして観客に対して、白鳥にされた事情や現状のつらさを説明しなければならない。ストーリー進行にも非常に重要で難しいシーンでもある。
『アルマゲドン・タイム』は黒人差別が社会に存在し、自分もその中にいや応なく巻き込まれていくポール少年の物語である。そして同時に、白人の中にも階級が存在し、ユダヤ人迫害の問題もあり、白人も決して楽に「持てる者」としての幸福を得ているわけではないことをポールの、そしてその家族の目を通して訴えている。
これはまさに、白鳥の湖の第二幕での窮状説明と同じ構図である。白鳥の王女は自身の苦悩を切に訴える。その対岸の立場にある黒鳥の事情は関係ない。この白と黒という色分けされた明確な対比は、『アルマゲドン・タイム』の中で監督が強調した白人と黒人の人種問題そのものである。さらには、本作もバレエ同様に視点はつねに白い側であり、白人たちも生きる上で苦悩があると訴え続ける。ポールの家族は黒人の事情もわかっているし、それについて差別を行うのが正しいわけではないとまっとうな分別もある、しかしそれらをアルマゲドンとして受け入れて生き、その苦悩を吐露しているのだ。これは白鳥の王女が第二幕で自身の苦悩を丁寧に説明したという同じ意図で、この映画の根本である。
「徹底的に正直であろうと努力した」グレイ監督が語ったこと
ジェームズ・グレイ監督はこの映画を制作するにあたって、「私たち(白人側:筆者註)が持つ特権は現実のものであり、同時にとても悩ましいものでもあった」と語っている。そして同時に、「徹底的に正直であろうと努力した」とも。過去に向き合い、嘘のない表現をした結果として、差別をする側の視点からアメリカ社会をもう一度、少年の目で表現する手法をとった。
映画の最後は、ブラックスクリーンのエンドクレジットとともに、冒頭と同様に子供たちの学校での歓声が再び流される。冒頭のシーンと違うのは、その子供の歓声とともに、テニスボールの弾む音が含まれているところである。整備された校庭で優雅に自由にテニスができる生徒たち。それは裕福な家庭の通う私立学校の音だ。環境音のこうした少しの違いで、社会のどの層にいるかを示すグレイ監督の繊細さ、同時に残酷な社会から目を逸(そ)らそうとしない正直さを、映画の最後の最後でまた、観客はまざまざと知ることになる。
善と悪、支配するものとされるもの、持つものと持たざるものは、いつも明確に白と黒に分離できるわけではない。しかし自身の立ち位置を明確にしなければ、正直に語ることはできない。いつもどちらにもつかないグレーの濃度を調整しながら立ち位置を決めるのではなく、白鳥の立場に立って誠実に語ったグレイ監督を、勇気ある人として大きな賛辞を贈りたい。
(渋谷ゆう子)
■映画情報
『アルマゲドン・タイム』
製作・監督・脚本:ジェームズ・グレイ
出演:アン・ハサウェイ、ジェレミー・ストロング、バンクス・レペタ、ジェイリン・ウェッブ、アンソニー・ホプキンス
2022年/アメリカ・ブラジル/スコープサイズ/115分/カラー/英語/5.1ch/原題『Armageddon Time』/日本語字幕翻訳:松浦美奈/PG-12
配給:パルコ ユニバーサル映画 宣伝:フラニー&Co.(C)2022 Focus Features, LLC.