恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。
きれいに決断したり解決したりできればラクなのに、3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいにいつまでもグダグダと続いていく。
何事もスパッとけじめをつけられない自分はダメ人間かも……なんて落ち込んでいないで、「π(パイ)な人生」を生きる術を身につけてみては?
そんなメッセージを込めて、エッセイストの小島慶子さんがアラサー世代に贈る連載が今回からスタートします。
「割り切れなきゃいけない」と思っていた頃
パイはご存知、円周率。直径に対する円周の比率ですが、永遠に割り切れません。永遠に……! にもかかわらず、円はごくありふれた存在で、コンパスを使って自分で描くことだってできます。
現に目の前にくっきり完結した円があるのに、定数を出そうとすると割り切れないなんて、何とも不思議な感じですね。見えているものに説明がつかないのは気味が悪い。けど同時に、何だかワクワクするものです。
どうやら生きていくのもそういうことらしいと、中年期になって気づきました。以前は、ああすればこうなるものだし、結果にはハッキリとした原因があると思っていました。何でも説明がつき、割り切れるものだと。そうしなくてならないと思っていたのです。だから何でも早めに備えて、計画を立てなきゃ、とかね。
45歳の今は「たいていの心配事は脳の作り話だから、悩むだけ無駄」という心境です。41歳で大黒柱になり、将来の不安に襲われまくって怯えまくった結果、せめてリアルに存在する問題から取り組もうと思い立ち、「リアルに存在する」問題を探したところ、ほとんどのものが自分の妄想に過ぎないことがわかったのです。
例えばある日「来月一つも仕事が入らなくて、それが一生続いたらどうしよう」とふと思ったとします。すると、何としてもその不安について考え続けねばならない、具体的な対策を練らねばならない、という気になるものですが、実際には仕事が来るか来ないかは、私が悩んだかどうかとは全く関係がないのです。当たり前ですね。
だったら悩まずに昼寝したり本を読んだり、好きな美術館にでも行った方が、クオリティ・オブ・ライフははるかに向上します。来月になる前に頓死するかもしれないですし。過去も未来も妄想でしかないという自明のことに、自分の体を使って納得するのにうんと時間がかかってしまいました。
出たとこ勝負を真剣に積み重ねる
20代の終わりから30代前半にかけては「今の時期に下した判断でこの先の一生が決まってしまう」と焦るものです(実際は全然そんなことないけど)。だから何でも完璧な答えを出さなきゃ、とか、逆に答えを出すのを先延ばしにしようとか、揺れ動いている人も多いでしょう。
同僚や友人はみんな周到に準備をしており、着々と駒を進めているように見えます。つい、会話もマウンティングとか探りの入れ合いとかになってしまいがち。お付き合いで女子会なんて行ってもろくなことがありません。
ウートピなんか読んじゃってる人は確実に心配性でしょうから、お金から結婚から出産からキャリアから、気の早い人は親の介護まで、あれこれ悩みまくって生きるのが怖くなっているかも。でもそれは、答えが出るはずだと思うから不安なのかもしれません。
そもそも正解なんて見つけられっこないので、ちょっといい加減ぐらいでちょうどいい。そのときそのときの出たとこ勝負を真剣に積み重ねるうちに、どこかへと辿り着いているものです。
いわゆる“女子アナ”という蔑称でおなじみの局アナ稼業をしていた私ですが、まさか自分が会社を辞めるとは思っていませんでした。週刊誌が勝手に作った「女子アナ30歳定年説」という差別感丸出しの定説のせいで、女性アナウンサーはたいてい27歳ぐらいになると悩み始めます。自分はこれまで、若くて可愛いからこそオイシイ思いができたのではないか、後輩がどんどん入ってきて、もう用無しになってしまうのではないか……。
当時は、20代で売れっ子になり、フリーになってお金持ちと結婚する、というのが人気女子アナの定番コースでした。ゴリゴリのオヤジ的風土の業界で、女子が女子でなくなったら市場価値がダダ下がりするに違いないと恐怖に震える女性アナウンサーの気持ちもわからないではありません。まだ、ママアナウンサーと言われるようなジャンルも開拓されていませんでした。
で、私はそのオヤジ的な風土に猛烈な反発を感じながらも、やはり女子アナとして成功しなければならないという強い思いに囚われていました。比較的早い時期にそのこだわりから自由になれたのは、女子アナ的評価が低かったから。でかいわ生意気だわめんどくせえわで、可愛がられる理由がありませんでした。
さすがに適性のなさは自覚したので、くっそー、私も「人気女子アナランキング」に入りたかったなーとか、「小島さんのバッグの中身、見せてください」なんて『JJ』とか『CLASSY.』に取材されたかったなあとかいう未練はありましたが、26歳ごろには、もう違う方向でやっていくしかねえな! と腹をくくりつつありました。
「正解」だけを生きようと思わないで
その頃、若さや可愛さよりも話の中身を重視するラジオという媒体に出会い、やけっぱちで好き放題喋っていたら思いがけず大きな賞に恵まれたので、こっちでやっていくか、と思えたのも幸運でした。入社するときにはその放送局にラジオ局があることも知らなかったのに、たった数年でラジオが天職なんて思うようになったのですから、人生は何があるかわかりません。
ラジオの仕事と同時にテレビの仕事もしていたのですが、不思議なことにラジオが面白くなると、今まではわからなかったテレビの仕事の面白さもわかるようになりました。若さと可愛さ以外の部分だって、ちゃんとテレビに映っているのだと気がついたのです。結局私も「30歳定年説」的なものの見方に長く縛られていたんだな、とわかりました。
会社を辞めたのは、37歳の時です。38歳になる直前に退職。丸15年働いて、それなりにやりたいこともできて、ふと、違う形でお金を稼いでみたくなったのです。せっかくの安定した正社員の立場を手放すなんて、正気の沙汰じゃないですね。でも、辞めてみたら会社員が性に合っていなかったことがわかりました。後悔したことはありません。
30歳前後なんて、まだいくらでも軌道修正できる年齢です。目の前に出されたお題がどれほど期待と違っても、まずはやってみることをお勧めします。私も振り返れば、仕事でも人生でも、大事なきっかけはいつも思ってもみない方向からやってきました。それが大事なきっかけだったというのも、後付けに過ぎません。気づいたらここにいた、という感じ。いつも正解だけ選んで生きようと思うと、いつまでも自分のちっぽけな脳みそから自由になれない。不安も正解も、どっちも妄想に過ぎないのです。
(小島慶子)