40代からの私

小島慶子さん「30歳の自分を、40代の自分は平気で裏切る」【#両立って必要?】

小島慶子さん「30歳の自分を、40代の自分は平気で裏切る」【#両立って必要?】

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仕事と恋愛、キャリアとプライベート、有能さと可愛げ……女性が日々求められる、あるいは自分に求めてしまうさまざまな両立。理想の自分になるためにがんばってはいるけれど、時々しんどくなってしまうことも。

今回、ウートピでは、そんな悩ましい両立について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。その両立は貴女の人生に本当に必要なものなの? 貴女が幸せになれる両立ってどんなカタチ? 一度、一緒に考えてみませんか?

現在オーストラリアと日本を行き来しながらタレント、作家として活躍されている小島慶子(こじま・けいこ)さん。小島さんがかつてアナウンサーという仕事に就いたのは、「男の稼ぎ」と「女の幸せ」の両方を手に入れたかったからなのだそう。

プロとして認められるような仕事に就いてしっかり稼ぎ続けたい。でも、そのうちに「女の幸せ」というやつもちゃんと手に入れるつもり。私たちが心の中で密かに立てている、そんな“両立計画”は果たして叶うのでしょうか? 小島慶子さんに書いていただきました。

「男の稼ぎ」と「女の幸せ」

女の幸せと仕事の充実をいかに両立させるか。30歳前後の女性にとっては大きな悩みです。だけどそもそも、「女の幸せ」って何でしょう。なんで「私の幸せ」じゃないの?

私はかつて、放送局のアナウンサーでした。一流企業正社員の恵まれた待遇と「みんなに欲しがられる女の子」の立場がどっちも手に入るオイシイ仕事です。うまくすれば玉の輿にも乗れます。女のピークは20代と信じていた学生時代の私は、男の稼ぎと女の幸せの両方が欲しかった。「女の幸せ」は、華やかな人気者になることだと思っていたのです。

しかしアナウンサーになってみると、若さゆえに重宝される世界は、若さと人気を失ったらどうすれば?という不安と道連れでした。実績や経験をどのように積んで、誰に評価してもらえばいいのだろう……? 20代の私には想像もつきませんでした。
 
そんなある日、ラジオ番組で「結婚したら仕事はやめるべき?」というテーマで意見を募集したところ(1998年てこんな時代だったんですね)、30代の女性と電話が繋がりました。

「働く女性で、普通に結婚して子供産んで幸せになっている人なんて見たことないから、怖くて挑戦できない……」

その時私は26歳でしたが、へえ、だったら私はやってみようかなと妙な闘志が湧いてきたのを覚えています。当時は今のように産後も活躍している局アナはほとんどおらず、なかなか未来が思い描けなかったのです。

というわけで、3年同棲した制作会社社員とためらうことなく28歳で結婚、30歳と33歳で出産。しかし復帰後、出演番組がほとんどなくなったときに、活躍している独身の後輩や、子供のいない先輩を見て焦りました。このまま後れをとってしまうのかな……と絶望的な気持ちになるたびに、いやいいのだ、今の私には「母」という立場があるのだから、と思い直しました。ときにそれは嫉妬とないまぜになり、私の方が幸せ!と言いたい気持ちに。そう、今度は「女の幸せ」は華やかな人気者になることではなく、「ママになること」だと考えたのです。素敵なママにならなきゃ、と。

私がこの「ママこそが女の幸せ」というしんどい発想をとっととやめたのは、それが自分を追い詰めるとわかったからです。家庭と仕事の完璧な両立なんて無理だと、長男が1歳になる頃には身にしみてわかりました。以来、傍目には破れかぶれなやり方でも、自分と家族がハッピーならそれでいい、と決めております。ママ友もめんどくさいので作りませんでした。

「正しさの証明」に必死になる年頃

20代の終わりから30代にかけてというのは、つい人と自分を比べてしまいがちな時期です。自分の可能性が無限に思える時期でもあります。結婚するかしないか、子供を産むか産まないか、仕事を頑張るかペースを落とすか……女性にはいろんな選択肢があるだけに、みんな絶対に失敗したくない。何かを選べば、他の可能性は全部手放してしまうことになる!と焦ります。いざ決断したら、今度は自分の選んだ道が正しかったのかどうか不安になって、人と比べてしまうのです。そして、正しさの証明に必死になる。

自分の気持ちよりも、親の希望とか、世間体とか、友達の動向とか、将来のリスクとか、いろんなことを勘案しているうちに、身動きが取れなくなってしまう。それはきっと、あなたが聡明だからでしょう。

でもね、未来の自分は恩知らずですよ。今あなたが先のことを考えて悩みに悩んでいることなんか、40歳になったあなたはすっかり忘れて「あの頃の私は青かったー」なんて平気で言いますから。でもって、あなたが今必死になって立てた計画と全然違うことをやって「今が最高」とか言いやがります。案の定失敗してもなお、「結局これでよかった!」とか言うのです。「30歳の頃に先々のことを考えておいてよかった。その通り順調に生きられて、すごく幸せ!」なんて言っている40代に、私は会ったことがありません。

人生は決して思い通りになりません。夢は叶いません。ええ、叶いませんとも。その代わり、今は絶対に思いつかないようなことが必ず起こります。いいことも、悪いことも。大事なのは、それを前提に生きていくことです。できることは、今、目の前の最適解を選び取ること。最適解は、ある時は安全重視、ある時は面白重視、ある時は他に選べるものがないからかもしれない。ただ一つ言えるのは「こうしておくのが、世間的には正解なのだろう」という選び方では、絶対に後悔するということです。世間の正解よりも、まずは自分の欲望に執着しましょう。

「私の幸せ」を始めるには

「私の幸せ」ってやつは多分、他人を信用しないところから始まります。誰かのことを考えて望まれる答えを出しても、彼らは彼ら自身の人生以上にあなたのことを大切にしてくれるわけではありません。人はみんな、生きるのに忙しい。だから自分の人生は自分で守らなければならないのです。つまり、他人がなんと言おうとやりたいことはやってしまわないと、誰もあなたの幸せなんかに構っちゃくれないということです。

共働きがデフォルトになり、白馬の王子が死んだ国では「女の幸せとは」なんて問い自体が成り立たなくなりました。

にもかかわらず、女であることを他人によって意識させられることのなんと多いことよ。職場のセクハラや性差別。対等に働いているはずなのに、理不尽な形で女という性を否応なく意識させられた経験のある人はたくさんいるはず。家庭でも、家事や育児は女の仕事、と一方的に役割を押し付けられ、シェアしてもらえないことも。

目指すべきは、あなたが女である以前にあなたであることが尊重される場所、あなたが「女」っていう箱に放り込まれて合同墓地みたいなところに葬られずにすむ場所で生きることです。

そうそう、疲弊しきって、自分の幸せを問うことすらできずにいる傍らの男たちも、あなたの仲間なのだと気づいて下さいね。彼らは「男は弱音吐くな」とか「稼がない男はクズ」とかそれはまあひどいこと言われても、ひどいと感じることすら禁じられていますから。それで辛い思いをしている男の人もいっぱいいます。

「女の幸せ」「男の生きがい」の押し付けをしているのは、男の強者とは限りません。子供思いのお母さんとか、仕事大好きな上司とか、自力で家のローンを完済した父親とか、善意の友人とか、結構身近なところにもいるのです。幸せ探しがこんなにややこしいのは、あるべき働き方や家族の形を押し付ける人と、それで迷惑している人とのギャップゆえなのですね。

外野はワーワーうるさいし、将来は心配だし、つい自分の気持ちは後回しになってしまいがちだけど、もう一度言いますよ。未来の自分は恩知らずです。今の欲望を大切に。

(小島慶子)

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