3月下旬に初の著書『毎日ザレゴト 人と比べて生きるには人生は短すぎるのよ』(大和書房)を出版したナジャ・グランディーバさん。
「誰かと比較して落ち込むことも、うまくいかないからって悩むことも、疲れるだけじゃない? そんなしんどいこと、したくないの、私」
ピンクの表紙をめくると、最初に飛び込んでくるナジャさんの言葉。本の内容をもとに、「ぼちぼち幸せな毎日が私にはちょうどいい」と話す、ナジャさん流の生き方について話を聞きました。前後編の前編です。
今も聞かれるよ「まだついてるの?」って
——もう10年以上前のことですけど、私、ナジャさんのことをテレビで見てすごく驚いたことがあるんです。
ナジャ・グランディーバさん(以下、ナジャ):そうなん? なに?
——「私は男で、女装をしてる」とおっしゃっていたことに衝撃を受けました。それまで女装をする人たち、あるいは恋愛対象が男性の人たちは、女性になりたいんだと思い込んでいたんです。
ナジャ:あー。そう思う人は多いと思うわ。
——そうでない人たちもいる。そういう可能性を自分の中に持っていなかったと、反省しましたし、偏見に気づかされた瞬間でした。
ナジャ:うーん、どうやろ、それは偏見ではないと思うよ? 知らなかったっていうだけやから。知ってもなお「男を好きになるってことは、絶対女だ」って考えを変えないのは偏見やと思うけど。私の周りにもおったよ、「私が女の良さを教えてあげましょうか」って告白してくるオンナ。だから、そういうことじゃないのよって。ナジャはナジャ。
——本にも書いてありましたね。そのエピソード。
ナジャ:うん。だからね、「そういう人もいるんだな」って受け入れられる人は、知らなかったっていうだけで、偏見をもっているわけじゃないと思うな。だけどまだ、ほとんどの人の“女性”になりたいんでしょって目線は変わってない気がする。「まだついてるの?」「いつ手術するの?」っていまだに言われるし。今からじゃない? そこらへんの意識が変わっていくのは。
思ってた以上にダラダラ生きてた(笑)
——今でもそういうことを言われるんですね。
ナジャ:あるある。あるよ。「ゲイだから男と女の気持ちどっちもわかりますよね」とか。本にも書いたけど、ナジャはナジャの気持ちしかわかりません。身体が男とか女とか、心がどっちかとかゲイかドラァグクイーンか、ニューハーフか……どこに属するか、分類されるかが問題と違うと思う。結局みんなそれぞれ。唯一無二ってことじゃないですか。
——たしかに。ナジャさんの今回の本、章のタイトルが「男とか女とかオカマとか、関係ある?」とか「他人の人生にまで興味もってられないのよ」とか。気になる見出しが多かったです。そもそもどんなきっかけで本を出すことに?
ナジャ:出版社の方が「本を出しませんか?」って言うからですね。最初は「誰が読むの?」と思ったし、「私、文章は書けませんよ、書いたとしてもいつ書き終えるかわかりません」って答えました(笑)。
——正直が過ぎる。テーマとかはなかったんですか?
ナジャ:テーマはなかったかなあ。「ナジャさんの思うままでいいですよ」って感じだったと思う。逆にテーマが決まってたら「いや~めんどくさいな」と思って断った気がする。
書くのも取材してそれをライターさんがまとめてくれるっていうから、それならって思ったんです。そういうやり方なら、こっちはそんなにしんどくないし、気楽に、ありのままの自分をさらけだせばいいから。
——届いた原稿を読んで、「あ、私ってこういう人だったんだ」とか、新たな発見はありましたか?
ナジャ:そうやなあ。新たに発見したというよりも、思てた以上にダラダラ生きてんなっていうのを実感したって感じかな(笑)。ダラダラ生きてるって言うと言い方悪いけど。もともと自分は人と付き合いを密にしない、あんまり頑張ることもしないタイプだってわかってるわけ。だから、「ナジャ・グランディーバという人間はやっぱりそういう人だ」ってことを客観的にも納得したってくらいかな。
100%は疲れるから60%の安定を選ぶ
——本の中で印象的だったのが「常に6割くらいで生きてる」というところ。生きてるとつい頑張ってしまいがちだし、頑張らなきゃって空気もあるので、「6割でいい」ってラクになれる言葉だなって。
ナジャ:はたしてそれが正解なのかはわからへんよ!?(笑) 100%で頑張ってる人はもちろん素晴らしいです。でも、ずっと100%だとしんどないですかって聞きたいわけよ。100%で頑張って疲れて急に減速するのであれば、60%くらいの頑張りで最後まで完走するほうが安定もしてるし、そこまで疲れることもないんじゃないかなって思う。私は。
「目標を決めてここに達するまで必死に頑張るんだ!」というよりは、「その目標の少し下ぐらいでもゴールしたことにしてええやんか」っていう考え方だし、「自分はどんなに精一杯やっても、6割がMAXですよ」って受け入れるってことかな。
苦手な人とは平行線、爪痕を残そうとしない
——なるほど。ちなみに、ナジャさんが「6割で生きる」ために、しないと決めていることはありますか?
ナジャ:そうね……嫌いな人との付き合いをゼロにするのは無理だけど、近づきすぎないようにしてるかな。うまいこと平行線で付き合ってく。無理して付き合いをゼロにしようとは考えない。
あとは……。たとえば2時間のテレビ番組があったとするやん。番組の終盤になっても、この2時間なんかずっと活躍できてないなって思うときがあるんですよ。でもそこで「なんか爪痕残さなあかんな」って無理することはしない。活躍できなかったとしても、頑張らないというか無理はしないというのは決めてる。
——それはなぜですか?
ナジャ:そこで無理しても、空回りして逆に損するってわかってるから。自然の流れじゃないと自然の自分も出せない。無理してるナジャを出しても結局そんなウケないし、ガツガツ前に出る感じのキャラでもないから、テレビを見ている人も、ナジャのそんな姿を求めてないと思うんですよね。
だから爪痕残そうと無理はしない……って言い続けて、ほとんどの番組で爪痕残せてないけど(笑)。でも、それでもいいかなと思てるの。
チャンスは「出会い、時代、自分」が揃うとき
——ナジャさんは18歳でゲイバーのママにスカウトされて働きはじめたり、番組プロデューサーから声がかかってテレビのレギュラー出演がトントン拍子で決まったり……と、流れに任せてみるのがお上手ですよね。「ここは身を任せてみよう」と判断するポイントはどう見極めているんですか?
ナジャ:うーん。出会いと世の中の流れ、自分がやりたいことの3つがばちっと合ったからかな。ゲイバーのママにスカウトされたときは大学生で、バイトせなあかんなってときだったっていうのと、ゲイの友達がおれへんかったからほしいなっていうのが一致したからやってみよって思った。
テレビ出演も、当時はそんなに出たいとは思ってなかったけど、マツコ(デラックス)とミッツ(マングローブ)がテレビに出だしてて、流れ的にこういうのがきてるなーと思てるときに声をかけてもらったからやってみようと思っただけ。
——あの……。ちなみに、よくマツコさんとかミッツさんと比べられたり、ライバルとして意識していますかって聞かれると思うんですけど、それはイヤですか?
ナジャ:全然イヤじゃないけど、みんなそれが一番聞きたいんやなとは思うかな。マツコとは方向性や得意なところが違うから嫉妬することもない。ミッツは……ミッツにはちょっとライバル心がある。なぜかインスタのフォロワー数が気になるのよね(笑)。だけどみんなそれぞれ、比べずに自分が楽しくやるのがええんちゃうかな。
大きな一歩より「やってみてもいいかな」で踏み出してみる
——ナジャさんみたいな背中を押してもらえるような出会いって、どうやったら見つけられると思いますか? 日頃からやりたいことを発信するとか?
ナジャ:私になんでそんな人が現れるんやろね? 考えたことなかったな。でも、誰にでも、不思議なタイミングで不思議な人が現れることはあるんやないかな。なぜそういう人と出会うのかって、自分が望んだわけではないからこそ、かもよ。
——私が本を読んでいて感じたのは、ナジャさんの自己肯定感の高さ。自分にはこんな道はない、絶対こんな道はありえない、と可能性を閉ざさないから道が開けていくのかなと。
ナジャ:なるほどねえ。一歩踏み出すことに関しては、「やってみてもいいかな」くらいの軽い気持ちと、声かけられるうちが華かなという気持ちもあるから、頼まれるならやってみよかなというのはあると思う。この本もまさにそう。自分から動いたことって、実はほぼないのよ。
インタビュー後編は4月27日(水)公開予定です。
(聞き手:安次富陽子、構成:須田奈津妃、撮影:面川雄大)