「〇〇って言わない女子」tweet.11

あなたは仙人なの?「相手を気遣う一言」がない彼に言いたいこと

あなたは仙人なの?「相手を気遣う一言」がない彼に言いたいこと

恋愛経験をある程度積み重ねてきて、酸いも甘いも知っているオトナだからこそ、パートナーにあえて「言わない」ことをあえて拾って、恋愛コラムニストの桐谷ヨウさんにアドバイスをいただく連載「◯◯って言わない女子」。

ヨウさーん! 今回はこんなつぶやきを発見しましたよーー!!

【今回のつぶやき】

「気遣う一言がほしいの」

研究職の彼と付き合っています。研究職だから……というわけではないと思うのですが、少々浮世離れしている彼で、カネやステータスといった俗世間的なものに執着がない「仙人」のような人です。

仕事や生き方で悩んだときは、ほかの人とは違う視点からアドバイスをくれるので感謝はしているのですが、一緒に過ごしているときにもやっとすることが多々あります。

私はわりと人に気を使うほうです。待ち合わせに遅れたら「ごめんね」と謝るし、別れ際には「今日は楽しかったよ」と一言添えるようにしています。ってか、これって大人なら普通のことですよね。彼はまったくそのような「一言」がありません。

むしろ「君は人に気を使いすぎなんだよ」といわれることも。プレゼントやお土産を渡しても特にリアクションもない彼を見ると(内心は喜んでいたとしても)悲しくなります。

「相手を気遣う一言を伝えるのは大事だよ」と言いたいですが、きっと彼は「まわりのことばかり気にしすぎ。自分に自信がないの?」と言うと思うので、何も言えません。最近は、パートナーとして一緒に生きていくのは(私のストレスがたまって)大変なので、友達に戻ろうかなと思っています。

「人の気持ち」は変わるもの

なかなか面白い彼氏さんですね。ご質問を拝読して思い出したのは「仏教」です。

2年近く前、恋愛についての書籍を書くタイミングにいわゆる“メンヘラ”についてマジメに考えたことがあるんです。ここで言う“メンヘラ”とは、「他人からの評価を過剰に気にしてしまったり、他者からの愛に執着したりする女性」という意味で、恋愛について考えるときにどうしても無視できなかったのです。

そう、キーワードは「過剰さをともなった執着」でした。特に人は恋愛という場面になると、感情を爆発させてしまう傾向があることが散見されたのです。

他人に期待するな、とは正論ですが愛する人に期待してしまう気持ちは俺だって分かります。それが人間ってもんです。

ほどほどの執着──他人からよく見られたい、もっと愛してほしい──これらは程度問題で誰しもが持っている感情です。でも、それが過剰なあまり、相手だけではなく自分自身をも苦しめている人たち(=メンヘラ)がいる。

そしてその執着が、恋愛という自分の多幸感(と不安)を暴走させる“ドラッグ”と出会ったとき、自分の制御ができなくなるのはなぜか? 恋愛という人間関係の究極系で、執着を爆発させずに自分自身をコントロールさせる客観的な手段は何か? と思いを巡らせずにはいられなかった。

そういった経験をしてこなかった自分は、なぜ「過剰な執着」を捨てられないのか……ということについての解を自分の中に持っていなかったのです。俺はそのヒントを仏教から着想することにしたのです。

有名なところでいうと仏教は「諸行無常」を説きます。はい、「祇園精舎の鐘の声」ですね。で、この「不変なものが存在しない」には自分の心も対象なんですよ。

自分の気持ちって確かなもので、ずっと変わらないと思いますか?

昨日の細やかな感情の起伏を思い出せる人はとても少ないはずです。もっと言えば、15分前の怒りの感情ですら、いま訪れた喜びの感情に塗り替えられていることなんて多々あります。

そう、私たちって「日常のイベント」「誰かの言葉」に”反応”して、自分の“心の在り方”を変えてしまっているんですよね。ウキウキ気分でいたのに、誰かの心ない言葉でテンションがめちゃ下がる、みたいに。

で、まぁめっちゃシンプルに書くとお釈迦様はポジティブもネガティブも万物を「やむなし」と受け容れよ……と説くわけです。

また、負の感情を自分の心から湧き上がらせないようにしなさい、と。

そして大事なことは「心が動いたこと」を俯瞰して、対象に囚われている自分に気づくことだ、と。

すごく乱暴に都合よく抜粋してるのでどこかの住職さんに怒られそうですが、要は仏教って宗教というよりも、個人のためのメンタルトレーニングの実践手段ってノリなんですよ。興味が湧きませんか?

「気遣いができる人」こそ覚えておいてほしいこと

さて、ご相談に立ち返りましょう。

「少々浮世離れしている彼」のことを、他者がもたらすイベント(行動・言葉)に反応しない人、というふうに解釈し直してみてもらえませんか?

彼の見え方がガラッと変わってくるはずです。

彼は「一言を伝えるのは大事」だと思ってないんですよ。他者との言動により揺れ動く心の動きに価値を置かない人なんです。(言いすぎかもしれないけど)

だからこそカネやステータスみたいな俗世間的なものに執着しないでいられるんですよ。他人に対して妬み嫉みを感じたり、優越感を持とうとしていないから。言い方は悪いですが、心の不感症みたいなもんです(笑)。

そう、だから逆の視点では、彼の言葉もある意味では真実なんです。

「君は人に気を使いすぎなんだよ」

人に気を使うというのは、相手の心の動きを操作したい……ということです。もちろん悪意でコントロールしようとしてるわけじゃないのは分かってますよ。

でも、「気持ちよくなってほしい」「喜んでほしい」という思いですら、他者へのコントロール欲求の表現なんです。純粋な善意であれ、偽善であれ、それは自分の意図した方向に相手の心を動かしたいという執着に他ならないから。

これは周囲から気がきくとよく言われるような人こそ、心の奥底に刻んでおくべき事柄だと俺は思っています。そう、自分の傲慢さを自覚しなくてはいけない。

いみじくもご相談者様は書かれています。「大人なら普通のこと」だと。うん、大人としてのエチケットだと思います。思っきり、俗世間の流儀の。

もちろんご質問者様が過剰な執着で自分と他人を苦しめている(メンヘラ性)を持っている……とは感じないですよ。ただし、強く認識して欲しいのは彼の世界の当たり前は、我々が生きる俗世間(他者への反応・執着)の外側に存在することなのです。

ここまで書けば仏教とは出家と切り離せないことが分かってきますよね。俗世、娑婆(シャバ)とは断絶せざるを得ないんですよ。それこそかつて仏教においては、妻帯すらも大きなテーマのひとつだったんですから。

そろそろ文章を締めていきます。

仙人の彼と娑婆に生きる私

結論から言うと、きっとあなたはまだまだシャバっ気がたーっぷりあるんですよ。人に感情を震わされたいし、自分も揺り動かしてあげたいと思っているんです。愛と欲と情にまみれていけばいいじゃないですか。

そして俗世間から離れた彼の説法を聞くことは、恋愛関係でなくても可能なはずです。いや、別れろとは思ってないですよ。彼のメンタルから学べることってめっちゃあると個人的には思ってます。

心の機微に敏感なあなたは、自分が他人に与える言動にも、他人が自分に与える言動にも、繊細で臆病なはずです。「必要以上に気にしていないか?」という俯瞰的な視点を、彼から教えてもらえることはきっと多々あるはずです。

今回は明確な提言はしません。今日、お渡ししたフレームでもってご自身と彼の世界観について捉え直してみてください。そうすれば自ずとどのように進んでいきたいのか、答えは出るのではないでしょうか。

ちなみに俺は、“俗世間の欲にまみれたうさんくさい仙人”になりたい! と常々思っています。ご質問者様はいかがでしょうか?  応援しています。お互いがんばりましょう。

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