「恋愛はコスパが悪い」「恋愛は面倒」「正直セックスを楽しいと思えない」……そんなふうに思っている女性も少なくないのでは?
そんな「若者の恋愛・セックス離れ」を、社会学者の宮台真司(みやだい・しんじ)さんとAV監督の二村ヒトシ(にむら・ひとし)さんが真剣に語りあった『どうすれば愛しあえるの ~幸せな性愛のヒント~』(KKベストセラーズ)が発売され、刊行記念トークショーが11月15日に東京・高円寺の「文禄堂高円寺店」で開催されました。
約90分にわたって行われたトークショーでは恋愛に悩む女性にとってのヒントもたくさん飛び出しました。
というわけで、トークショーの内容をベースにお二人がウートピ読者向けに大幅に加筆。3回連載でお届けします。
“媚びる”セックス、しちゃってない?
頭もよくて仕事もできる、容姿だって悪くないのに「男運がない」女性。「恋愛体質」でいろいろな男性と知り合う機会も多いけれど、いつも恋愛が短命で終わってしまうという女性、あなたのまわりにもいませんか?
一方で、特定のパートナーがいてもいなくても恋愛やセックスを心から楽しんでいる女性も。両者のちがいって何なのでしょうか?
二村:男運が悪いって言う女性が増えています。『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(イースト・プレス刊)という本でヤリマンには「ポジティブなヤリマン」と「ネガティブなヤリマン」がいるって書いたんです。
ポジティブなヤリマンは、男から捨てられたっていう意識がなくて、セックスを「愛されること」の人質にしていない。そういう自己肯定感が揺るがないヤリマンがいる一方、セックスすればするほど傷ついていくヤリマンもいる。ネガティブなヤリマンはセックスや恋愛で、さみしさや心の穴を埋めようとしている。
「便所女」になっちゃってない?
宮台:そういう女はすぐわかるんだ。尊敬できないんだよ。尊敬できるかと思って付き合うと男に媚びてくる。そんなの愛じゃない、セルフィッシュなんだ。自己中心的に動いているのがすぐわかる。クズじゃないかって思うから男も“便所”としか扱わない。
ネガティブなヤリマンを僕は「便所女」と呼びます。もて遊ばれたりレイプされたりの性的トラウマで否定的自己像に苦しむ女がいます。⼥は否定的⾃⼰像を埋め合わせたくて「優しくされたい」と願います。そこで「ここが最寄りの便所だよ」とタテカンを立て、近くの男がこれ幸いと便所に⽴ち寄ります。
男は手近だから立ち寄ったのに、⼥は「⾃分を選んでくれた」と喜びます。程なく便所にすぎない事実を突きつけられます。女は事実を見たくないから男に固執します。固執するからこそ手ひどくフラれて否定的⾃⼰像が強化されます。それを埋め合せようと女は「優しくされたい」と願います。悪循環が止まらない。
ここにいらっしゃる皆さんは注意してください。モテない男を別にすると、女から媚びられた男は自動的に「尊敬」ならぬ「侮蔑」モードに入ります。尊敬されないと女は恋人になれません。せいぜい恋人とは名ばかりの「便所女」。昔なら女同性集団がシェアした知恵です。
でも2010年頃から⼥⼦会が性愛ネタを回避するようになって知恵が共有されなくなります。だから僕が喋るのです。「便所女」という強い言葉を使うのは女たちにそんな在り方を嫌悪してほしいからです。
楽しいセックスってどんなセックス?
二村:ネガティブなヤリマンとセックスしても、驚くものがないんです。なぜかというと、男に対して媚びるセックス、媚びる恋愛をしてくるから。こちらを”めまい”に引きずり込まないんです。エロいセックスをしているようでも予定調和で、変性意識状態(自分で自分をコントロールできない状態)を生まない。それだと彼女自身もセックスしてて、つまらないだろうし苦しいだろうなって思う。
ヤリチン男たちは、ネガティブなヤリマンを狙います。彼らは経験した女性の人数を増やしたいだけ、あるいは女性を支配したいだけで、セックスを通じて「自分も変わりたい」とは思ってないからです。だからネガティブなヤリマンがヤリチン男に恋してしまうと、悲惨なことになる。
ところが、ポジティブなヤリマンは男から支配されない。男も女から驚きを与えられている、女も男から驚きを与えられている、それがポジティブなヤリマンとの楽しいセックスなのかなって思います。
「便所女」の対極にある「奔放女」って?
宮台:ちなみに、尊敬できる女、「ヤリマン」なんだけれどポリアモラスな女っていうんだけれど、そういう女性って嫉妬の感情よりも博愛主義的な感情で動いている。求道者的な道を求める、「すごいなこいつ」って男に感染をさせるすごい女っているんです。
25年前に出した『サブカルチャー神話解体』(PARCO出版)という本で高橋留美子論として書いたことを話します。
かつては「見守る女と旅する男」という構図が映画や漫画の定番でしたが、1970年頃からリブの動きもあって廃れます。ところが70年代半ばから『宇宙戦艦ヤマト』がブームになり、「大宇宙」という設定が持ち込まれて「見守る女と旅する男」が復活します。
「母性に庇護されたフェイク父性」のクソ図式だと激怒したのが高橋留美子で、『うる星やつら』(78)以降、「大世界」を完全消去した「小世界」で、男の振る舞いに関係なく自由に振舞う女(ラムなど)を描き始めます。そう。それが「便所女」の対極にある「奔放女」です。
二村監督の「ポジティブなヤリマン」に当たります。「便所女」は付き纏(まと)いますが「奔放女」は浮動します。ラムは(『うる星やつら』の主人公の)あたるに付き纏(まと)っていると見えて、天から降ってきたようにいつ天に帰っても不思議じゃない。
「便所女」は男に振り回されますが「奔放女」は男を振り回します。そんな「奔放女」は男に畏怖されます。畏怖というのは恐れながらも惹かれる感覚です。「奔放女」を目指すべきです。
※第2回は12月13日公開です。
(構成:ウートピ編集部・堀池沙知子)