東京移住女子 第11回

すべてに「男女平等」は必要? 地方で知る“男”の優しさと“女”であること

すべてに「男女平等」は必要? 地方で知る“男”の優しさと“女”であること

地方に引っ越してみて、東京時代は感じたことのなかった男性の優しさをふと、感じるシーンが増えた。改めて「男性性」「女性性」について考えさせられる。そして、東京と地方では、「男性のカッコ良さの基準」も変わってくる。

富山で感じる、地方男性の魅力

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富山に、立山町に引っ越してきて感じる特筆すべき点のひとつが、「男性の優しさ」だ。女友達を含めて、お母さんたち、富山の女性陣が面倒見が良くて親切なのは以前から感じていたが、こちらに来て感じるのは男性が優しいこと。

引っ越してきた翌日、仕事に行こうと玄関を出ると、見知らぬお父さんが立っていた。聞くと同じ集落に住む人だという。「今からどこに行くのか?」と聞かれ、私が行き先を告げると、「道もまだ分からないだろう」と、その場で、さらさらと手書きの地図を書いてくれた。

また、ある時は、スーパー「大阪屋ショップ」(富山にあるのになぜか「大阪屋」ショップ)で買ったものを段ボール箱に詰めている時、隣にいたお父さんが私の様子を見ながら、「もっと大きな箱にせんと、それじゃ、ぜんぶ入らんよ」とポツリ。

そう、富山ではエコバッグがかなり普及しているので、マイバッグを忘れると、スーパーに置いてある手ごろな大きさのダンボール箱に買ったものを詰めてクルマに乗せる人が多い。スーパーのレジ袋は5円で売っているけれど、よほどでない限り、誰も買わない。

「あ、本当だ。これじゃ小さいですね。ありがとうございます」と言いながら、照れ笑いの私。そう、都会なら、見てみぬふり、知らないふりをするところでも、丁寧に口に出して教えてくれる。

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他の日にはこんなこともあった。

普段、仕事では移住希望者へ空き家の案内をするので、物件の下調べなどで現地に行くこともある。普段は、地図で正確な場所を調べて出かけるのだが、夏のある日、うっかりして、住所しか持たずに出てしまった。「まぁ、何とかなるだろう」と、物件近くと思われる駐車スペースにクルマを停めた。

すると、何かもの言いたげな表情で近づいてくるお父さんが、ひとり(推定、御年70歳過ぎ)。

注意されるのかな?と思い、ドキドキしながらドアをあけると、「駐車スペースのど真ん中に停めないと、隣のクルマがドアをあけた時、あんたのドアが、かっつかれて(ぶつけられて)傷つくから気をつけんさい」とのこと。

ホッとしながら、「親切にありがとうございます」とドアをしめようすると、「あんた、どこの人か? 見ない顔だな。よそから来た田舎モンだろ?」と聞く(よほど私は、田舎モンに見えたのだろう……)。

「去年、東京から来ました」「ここで何しとるが?」「ええと、空き家の調査で」「空き家? 番地は?」「○○番地です」「あんた、そこは一人じゃ行けないから、ついてきなさい」

結局、細い路地裏を抜けた先に空き家物件はあって、「確かに自力ではたどり着けなかった」と思うような場所だった。

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今度こそお礼を言って爽やかに去ろうとしたら、なぜか私の年齢の話になった。

私がいまだ独身だと知ると、「いいか、男ってモンは、どんなに器量が良くてもツンツンしている女はダメだ。器量はたいしたことなくても、いつもニコニコして愛想がいいのが好きなんだ」と、何度も私の顔を繰り返し見つめながら、熱く語り始めるお父さん(この時点で朝の9時30分ころ)。

褒められているのか、けなされているのか、良く分からないのだが、総合的に判断すると、どうやらこのお父さんに気に入られたようだった。最後の方は、私を見ながら嬉しそうに話していたから。

と、こんな風に私の毎日は、小さな笑いが満載&稲垣潤一バリにドラマティックなのだ。

「生きること」が「カッコ良さ」になる

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都会で仕事をしていると、いい意味で、男女の性差を感じることはほとんどなかった。それが今は、遠い昔、男性は狩りに出かけ、女性は火をたきながら家を守った、そんな時代をふと、思う。

例えば、草刈り機や除雪機を動かすのは男性の仕事だし、猪や熊などを射止めるのも男性だ(女性ハンターもいるけれど)。つい最近は、鳥インフルエンザの話題でもちきりで、いざ町で発生した場合は、町役場の男性職員を中心にチームを組んで鳥の処分にあたる、というお達しが出た。

地方では「男性の仕事」を意識させられるケースが増えるのだ。

さらに、都会では「スマートかつスーピーディに仕事を進める」のが男性のカッコ良さだとすると、田舎では、軽トラで荷物を積む時、ロープで器用に縛れる、とか、トラクターを扱えるなど、そんなところに男性のカッコ良さを感じてしまう。

そう、「カッコ良さ」と「生きること」が直結しているのだ。

「いざ」という時、男性が出陣するという、昔ながらの気質がきちんと残っていること。
そして、そんな中で暮らしていると、改めて自分は「女」であり、何でもかんでも「男女平等」でなく、男性に任せるべき「領分」があることをしみじみと感じさせられる。

どんなに時代が進化しても、男性が力持ちであることに変わりはない。「男の仕事」を安心して任せられことには、やはり感謝している。
そして、そこには地方であろうと、都会であろうと、「気遣いや優しさ」があると思うのだ。

東京時代は考えたこともなかった、そんなことに思いを馳せる。

写真:松田秀明

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