北欧てしごと教室オーナー・大野真理さんインタビュー

弁護士から北欧クラフト教室のオーナーへ もがき続けて見つけた居場所

弁護士から北欧クラフト教室のオーナーへ もがき続けて見つけた居場所

“弁護士”から“北欧クラフト教室のオーナー”という180度の転身を遂げた大野真理(おおの・まり)さん。誰もがうらやむ肩書や高収入、親からの期待など、すべてを手放し、30歳を目前に「自分探し」をスタート。いくつも試行錯誤を経て、ようやく手にしたのは「自分の心が本当に喜ぶ仕事」でした。

「みんなもっと自由でいいし、自分の可能性を信じていいと思うんです」と大野さん。“ようやく小さな一歩を踏み出したばかり”と充実感に溢れた笑顔を見せる彼女に、やりたいことを見つけるまでの道のりを聞きました。

【大野さんが「やりたいこと」に出会うまで】
新米弁護士として大手事務所に勤務(27〜29歳)
→株式会社リクルートの法務部に勤めながら起業を勉強(29〜31歳)
→半年のデンマーク留学で「フォルケ・ホイスコーレ」に出会う(31歳)
→東京・神楽坂に「北欧クラフト教室」をオープン(32歳)

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”食いっぱぐれない職業”に就いてみたけれど

「“わっ、なんだかすごく華やかな舞台に来ちゃったな”というのが最初の印象。英語が飛び交うインターナショナルなオフィスで、クライアントもみんな有名企業ばかり。収入も20代の私には分不相応なほどでした。初めの数ヵ月は、すっかり浮かれていましたね(笑)」

人懐っこい笑顔を見せる目の前の女性。ふんわりと可愛らしい風貌からは想像しにくいけれど、実は彼女の前職は「弁護士」。しかも、超高層ビルにオフィスを構える国際的な大手事務所に所属し、企業のM&Aやビジネス法務を専門にしていた“バリキャリ”でした。

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そんな大野さんが、もやもやとした思いを抱え始めたのは、働き始めて数ヵ月が経った頃。「私がやっていることは、大きくて強い人たちをさらに強くするための手助け。でも、“本当にこれでいいのかな”と違和感を抱くようになったんです」

大野さんが弁護士になった理由は2つありました。まずは、“絶対に食いっぱぐれのない職業”だということ。「本当は子どもの頃から手芸や絵が大好きだったけれど、“アートじゃ食べていけないし……”と気持ちを封印。教員だった母の影響もあって安定志向でしたから、将来が安泰な仕事に就きたいと考えていました」

二つ目は、高校時代にアメリカ留学で目にした光景に心が動かされたことがきっかけでした。「留学先は、人種差別が残る南部の田舎町。貧しい黒人の子たちがおさがりの服を着たり、補助を受けて給食を食べているのに、豊かな白人の子たちは親からプレゼントをもらったり、外食を楽しんだり。これってなんかおかしくない?と憤りを感じました」

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“格差や貧困で困っている人たちを助けたい”という思いから、国連で働こうと考えるようになった大野さん。そのためには専門性が必要でした。「弁護士という仕事なら、そのための資格も得られ、親の期待も満たせると思いました」

猛勉強の末、ストレートで司法試験に合格し、27歳で就職。華々しいキャリアをスタートさせた大野さんでしたが、強い者の味方をする自分に矛盾を感じ、“これって私がやりたかったことのかな”とモヤモヤ。心の声は次第に大きくなり、深く自分の内面へと向かっていきました。

「自分の居場所はここじゃない」という感覚

自分の居場所は、ここじゃない――。けれども、やりたいことが見つからない以上、弁護士を辞めるわけにもいきません。試行錯誤の日々が始まりました。

ヒントになりそうな本を読み漁ったり、気になる人に直接話を聞いてみたり。アートを仕事にできないかと、アートセラピーのワークショップに行ったり、グラフィックデザイナー講座に通ったことも。悶々とした日々を過ごし、弁護士事務所を辞める決意を固めたのは、2年後のことでした。

「やりたいことはまだ見つからないけれど、この先、自分のメッセージを積極的に発信していくには、フリーランスより、事業を興したほうがよさそうだという結論に至ったんです」

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“好きなこと”で起業するには、きちんとした経営のノウハウが必要。そう考えた大野さんは、29歳でリクルートに転職。企業内弁護士として法務部で2年間勤務します。

「いろんなプロジェクトに手を挙げてビジネスが生まれる場に立ち合い、そのエネルギーに刺激を受けました。私も早くやってみたい!と毎日ワクワクしていましたね」

その頃、プライベートでも転機が訪れます。結婚が決まり、キャリアパスとライフプランを重ね合わせて未来をシミュレーションするように。

「子どもは2人くらいほしいけれど、起業したら育休もないし、どうやって回すのか想像もつかない。それなら子育てが落ち着くまでここで働き、それから起業しようかな、なんてずる賢く考えたりして(笑)。でも、何の保証のないまま、人生をかけて突き進むなんて私にはとてもできないし、頑張れないなと」

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地図のない道を進むには、勇気だけでは踏み出せない。ある意味、堅実ともいえる未来図を描いていた大野さんでしたが、皮肉にも、転職前と同じ矛盾にぶつかります。

「会社が求めていたのは、競争の中で企業を強く大きくすることで成長を持続させるビジネスモデル。でもそれは、私の目指すものとはまったく違っていました。格差を作り出すのではなく、みんなが幸せになれるコミュニティのある社会を作りたかった。

だんだん仕事がつらくなり、結婚式の打ち合わせでもイライラしてプランナーさんに八つ当たり。そんな私を見た夫が、“そんなにイヤなら辞めたら? それだといつまでたってもやりたいことなんかできないよ”と。ハッとしました」

31歳で経験したデンマーク留学で「やっと見つけた」

夫の言葉に背中を押され、31歳でリクルートを辞めると、デンマークに半年間、留学。実は、2年前に旅行でデンマークを訪れた時に、独自の教育コンセプトを持つこの国に心をわし掴みにされ、“いつか通ってみたい”と思いを膨らませていたのだそう。

「北欧には『フォルケ・ホイスコーレ』という大人のための全寮制の教育施設がいくつもあり、生きるために必要な知識や技術が学べます。試験や成績表があるわけではなく、その人の興味を刺激してクリエイティビティを引き出す、いわば“自分探し”の場。ここでやりたいことを見つけて戻ってこようと心に決めていました」

大野さんが選んだのは、グラフィックデザインを学ぶ学校。しかし、そこで見つけた答えは、「“手しごと”をやる」というものでした。

「ある時、手芸の講習に参加し、卓上型のはた織り機を作ったら、本当に楽しくて時間を忘れて没頭してしまったんです。人の温かみが感じられるほっこりとした世界観は、私が求めていたそのものでした。やっと見つけた、これを仕事にしたいとはっきり思いました」

こうして、約5年間の“自分探し”はようやく幕を閉じました。

DIYで作った教室をオープン

帰国後、北欧カフェのアルバイトを経て、今年の9月から「北欧てしごと教室」をオープン。真っ白な壁は、自分でペンキを塗ってDIY。留学をきっかけに知り合った人などを講師に迎え、ようやく一歩を踏み出しました。

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「でも、私にとっては、やっとたどりついた大きな一歩。いっぱい遠回りをしたけれど、やりたいことから目を背けないで本当によかった。弁護士時代と比べると時間単価はすごく低いし、収入も全然違う。でも、今の私はこれくらいのミニマムさが心地よいし、毎日こんな楽しくていいのかなと思うくらい(笑)。10年後にデンマークの教育施設のような“自分の個性を引き出せる場”を作ることが次の目標です」

やりたいことが見つからずにあきらめてしまう人は多いけれど、「もっと自由でいいし、自分の個性を突き詰めて、可能性を信じてほしい」と大野さん。「本当に納得感のある生き方は、そのなかでみつかっていくと信じています」

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