自分の持つ力に無自覚なままではいられない。『恋じゃねぇから』渡辺ペコさんインタビュー

自分の持つ力に無自覚なままではいられない。『恋じゃねぇから』渡辺ペコさんインタビュー

漫画家の渡辺ペコさんの最新作『恋じゃねぇから』(講談社)1巻が4月21日に発売されました。前作の『1122(いいふうふ)』は135万部を突破。本作への注目度も高まっています。

「モーニング・ツー」(講談社)で連載中の本作は、40歳の主婦・茜が中学時代の塾講師・今井の「ある作品」を見たことから物語が展開していきます。「創作と性加害」「恋という名の暴力」「中年の友情」といったさまざまなテーマを持つ本作について、渡辺ペコさんにお話を聞きました。

©渡辺ペコ/講談社

「恋じゃなかった」を選ばなかった理由

——一巻を通して読ませてもらいました。この漫画でやろうとしていることがだんだんわかっていく感覚が面白かったです。

渡辺ペコさん(以下、渡辺):ありがとうございます。私は、「恋だった」とか「恋じゃないかも」という言葉を、ネームに何度も入れるのはしつこいんじゃないかと思うところもあったんです。だけど、それくらいしっかり繰り返したほうが読者に伝わると編集さんが仰って。私のやりたいままにやると、読んでくれた人にとっては重くなってしまいがちなので、エンタメとして見てもらえるようにと、打ち合わせの内容を、編集さんが取捨選択して思考をまとめてくれたのはとても良かったと思います。

SNSでの反応を見ても、早い段階からテーマにピンと来てくれている人も、一巻を通して、どういう話なのか徐々に見えてきたって人も、どっちもいるんだってことが伝わってきました。

——タイトルも、ストレートでいいですよね。

渡辺:この漫画のタイトルを決めるとき、『恋じゃなかった』になりかけていたんですよね。でも私は「それではちょっと綺麗すぎる」と思って。「恋じゃねえっつってんの!」っていう感じを出したかったっていうことを伝えたら、いいですねってことで現在のタイトルに決まりました。あまりにも「恋」の話があふれているので、「恋じゃない」ことを強調したくて。

タイトルにおいても、テーマをズバリ示しているし、回答が出ているので、ここでも「こんなにわかりやすくしていいのかな?」と思ったんですけど、エゴサしてみて「中年の恋の話だと思って読んだら、そうじゃないらしい」という反応もあって、いろんな伝わり方があるんだなと思いました。

——タイトルに関しては、読んでみて、「ああそのものズバリだったのか!」とわかるんですけど、最初のうちは深読みをしてるところもあったのかもしれません。それと、確かに『恋じゃなかった』だったら、そのときのことを良い思い出として捉えているニュアンスにも取れてしまいますもんね。

渡辺:過去の失恋の話とか、センチメンタルな懐古の物語として取られることが多かったんじゃないかなと思います。「そういう恋もあった」という話では決してないので、やっぱりタイトルのイメージは大切ですね。

「女子にならなきゃ」「恋愛しないと」となぜ思っていたのか

——タイトルのように「かつては恋だと思っていたけど、そうじゃなかった」と気づくような体験をした人ってけっこういるんじゃないかと思います。渡辺さんの中では、そういうことに気づくきっかけはあったんですか。

渡辺:自分が女性向けの漫画誌出身であったこともありますし、ドラマや映画でも恋愛を描いてない作品っていうのは少なかった気がします。今、40代半ばなんですけど、小中学生のときに、トレンディドラマを見ていて、その頃のドラマって、人間の関わりとしての恋愛を描いているものも多かったんですけど、それにしても恋愛がテーマの作品は多かったですよね。

私はもともと女の子っぽいタイプでもなかったんですけど、高校生になった頃から、ロマンティック・ラブ・イデオロギーを信じるというか、「女子にならなきゃ」とか「恋愛しないと」って思いはじめて。今より影響も受けやすかったです。でも今考えると、本当にしたかったかわからないまま、それをデフォルトだと思い込みすぎてたんじゃないかって。

——確かに、ドラマだけじゃなくて、歌の歌詞とかにも急き立てられる感じはありましたね。

渡辺:今、40代になったこととか、時代もありますけど、あれってなんだったんだと思い返すことがいろいろあって。私は大学生の頃に美学美術史を専攻していて、割と美術の現場に近いところにいたんです。

その頃、例えば若い女の子が有名な写真家のモデルになることがあると、周りからも「すごいね、いいね」っていう雰囲気があったんです。セクシャルな、恋愛を匂わせた私的な写真のモデルになることを、大人も持ち上げていたし、私もそれをわからないといけないと思った感覚がありました。

でも、後になって考えると、そのときに「変だな」と思っていた感覚で合ってたんじゃないかと思えて。当時はそれを「わからない」とうことは、鈍くてつまらない感性なのでは?と思っていました。ちなみに時代を経て、その写真家は複数のモデルからセクハラの告発を受けています。

「嫉妬」だと思ったけれど…

©渡辺ペコ/講談社

——その感覚、非常にわかるし、思い出すと今でもチクっとした痛みがありますね。『恋じゃねえから』の中でも、主人公の茜とその友人の紫がまだ中学生のときに、学習塾の講師・今井という大人の男性が、紫のことを大人として認めるというか、性的な存在として認めることで、茜が嫉妬のようなものを感じる場面もありました。少女たちは、大人の目線によって簡単に分けられてしまう存在だったんだなと思いましたね。

渡辺:あの場面では嫉妬と描いたけれど、本当は「嫉妬」とは異なると思います。もっと細やかな感情なのですが、便宜的に「嫉妬」としました。例えば自分が「モブ」になってしまう切なさとか。

——モブにされるという感覚もわかりますね。私もあそこに関しては、嫉妬というより、嫉妬と思わされているものだと思いました。

渡辺:ただ、嫉妬として理解するしかない時期もあるかなと。女と女の嫉妬って簡単に言われるけれど、望む関係性の中に入れないことへの焦りなどもあるかなと。

——序列をつけられたことに対して、自分がモブ化されてしまったりしても、若かったりしたら焦りを抱いてしまいそうですね。

渡辺:わかりやすく序列をつける人もいますけど、本当はそんなに単純じゃないですよね。背景には構図や構造がありますし。でも、そういう構造の中で「君は特別だ」とか、「君には光るものがある」とか言われると、そこに何があるのか、人生経験が少ないうちは気づけないこともあると思うんですよね。

若い人には自分が「圧」になっているかもしれない

——「肯定してあげる」みたいなことは、表向きはいいことに見えてしまいますしね。それこそ、講師の今井って、わかりやすい有害さではなく、うっすらした見えにくい有害さを持ってる感じで。

渡辺:今井さんに関しても、ある意味典型的な人かもしれないんですけど、邪悪であったり過度に性的というわけでもなく、自分自身も加害性をわかってなくてぼんやりしていて。そういう人の方が避けにくいかもと。そして、年をとっても自分の加害性を顧みることのない人ってたくさんいるんじゃないかなと。

——判断しにくいので避けようがないというのはあるかもしれないですね。

渡辺:今、加害性という言葉を使ったんですが、この漫画では、私が正しさをわかっているから、搾取の構造を示そうと思って描いているのではないです。自分でも気づかない力の持ち方をしていると、自分では無自覚でも、若い人にとっては、加害に近い圧になっていることもあるんじゃないかなと。それは最近まで自分もわかってなかったところでしたね。

——それは私にも思い当たります。ちょっと前まで、まだ駆け出しで発言力もないと思っていても、年齢が上になったことだけとっても前と同じではないし、それに無自覚ではいけないなって。

渡辺:私も、漫画家として長いけどぜんぜん有名じゃないし~、とか思っていたけれど、もっと自覚しないといけないなと。その無自覚さって、セクハラやパワハラと地続きなんですよね。

——今井に対しても完全に他人事ではないという感覚もあるということですか?

渡辺:そうですね。何かを作って発表することのできる「力」に対して慎重でないと危険だと思います。いわゆる被害者の立場にある主人公の茜や紫と、表現をしている立場の今井夫婦、彼らが対峙するときに、作る人の武装の仕方を考えるのは、自分にとっては身近なものでした。

——誰にでも、気づかずに誰かを踏んでることがありうるということが、頭の片隅にないと怖いですよね。もちろん、自分自身に対してもなんですけど。

渡辺:当事者ではないことに対して、口を出すとき、恐れるあまり口をつぐんでしまうこと、それが習性になってしまうことは怖いことだとも思います。でも難しいですよね。私の場合はいくつかの事例が忘れられず自分の中でも波紋が生じて、それをやり過ごしたくないと思ったことが何度かあり、それを漫画にしたいと思いました。それって、自分が正しいから描けるというわけではなく、自分がどちらに転ぶかわからない怖さを持ちながら描くしかないんですよね。

「好みのタイプ」が変わらないことについて

——今井は、中学生時代の紫に恋愛感情を抱いていたわけですが、現在になって、彼の横にいる妻の紅子が、彼よりも若くて、その上、若いときの紫にそっくりなのを見て、「うわっ」ってなってしまいました。

渡辺:設定としては紅子はそこまで若くはないんですけど。今、まさにその「好みのタイプ」について描こうとしていて。人には、いわゆるタイプっていうのはあると思うし、それは自由だと思います。でも、自分が年をとってもなお、相手に求めるものが変わらないということを見てしまうと、「うわっ」って感覚にはなりますよね……。

——紅子は、今は茜や紫の言っていることと折り合わない感じではありますが、実は茜と紫からつきつけられているものを理解していないわけじゃないですよね。だから、紅子がどうなっていくのかに、興味があります。

渡辺:そうですね。わかってないわけではないけど耳を傾けてないですね。それはなぜなのかというのをこれから描きたいなとも思っていて。紅子のことは、ある種の「強い人」として描きたいんです。読んだ人に「すげえ嫌な奴が出てきた」と言われたけど、私は「嫌な奴」だとは思ってないです。

基本ユニットが「漫画家」と「編集者」だからできること

——漫画を描く上で、全体像というのは、最初から固まって書いているんでしょうか。

渡辺:全体像は大きくは変わらないんですけど、連載なので、描きながら見えてくるものがあったり、反応を見ることもあります。エンタメなので、読者の方に楽しんでもらいながら、描きたいことをどうやったら読んでもらえるか、ひとりだと辿り着けないので、見せ方に関しては、編集さんにとても助けてもらっています。

——そういう話を聞いていると、いつも思うのは、テレビドラマや映画と違って、漫画家の方って、今個人的に感じていることを、比較的、横やりなく表現できていますよね。だから、漫画っていうのは、すごく健全なメディアだなって思うんです。大きな企画だとどうしても、いろんな人の意見が入ってきて、作家が考えていることを表現するってことに辿り着きにくい感じがして。

渡辺:それって、海外から入ってきた映画やドラマのポスターのデザインが、もっとわかりやすく、もっと恋する感じにしてって言われるうちにダサくなる現象と似てる気がしますね。

——テレビや映画の世界で、自分の問題意識を反映したいとなると、企画者の言うことに沿いながらも、自分の色もさりげなく挟み込みつつ、かつ視聴率や興行の面で結果を出してやっと、自分の表現に少しだけ近づくということはあるかもしれません。

渡辺:そういう大きな場では、いわゆる「政治的」なふるまいや配慮など、いろんな能力が必要とされそうですね。味方がいないと大変でしょうし、制作期間も長いでしょうし……。漫画は、考えてみると、基本的にはユニットが漫画家と編集者というふたりなんですよね。もちろん、商売ですし「売る」のは重要で大変ではあるけれど、規模としては小回りがきくし、おつきあいの長い編集者さんとなら、共有できているものも多いし。自分の考えていることを伝えやすい、投げかけやすいメディアなのかなと思いますね。

(聞き手:西森路代、編集:安次富陽子)

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