「傷つくのはお互いに真剣に渡り合っているから」そんな相手に出会ってほしい――京大名誉教授が語る妻との日々

「傷つくのはお互いに真剣に渡り合っているから」そんな相手に出会ってほしい――京大名誉教授が語る妻との日々

歌人で細胞生物学者の永田和宏(ながた・かずひろ)さんが、2010年に64歳で亡くなった妻で歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ)さんとの青春の日々をつづった『あの胸が岬のように遠かった―河野裕子との青春―』(新潮社)が3月24日に刊行されました。河野さんの死後に見つかった日記と300通もの手紙をもとに2人の出会いから結ばれるまでを綴っています。

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫(さら)って行っては呉れぬか」

この歌は河野さんの代表歌でもあり、永田さんを思って詠んだものと思われていました。しかし、河野さんが残した日記と手紙には、河野さんが永田さんと「N」という青年との間で揺れ動く胸のうちが綴(つづ)られていて……。

歌壇きってのおしどり夫婦として知られた永田さんと河野さん。「無様な青春だった」と振り返る永田さんにお話を伺いました。

「無様な青春だった」僕たちの青春

——『あの胸が岬のように遠かった』は新潮社の月刊読書情報誌『波』の連載をまとめたものですが、一冊の本になって思うことはありますか?

永田和宏さん(以下、永田):河野の一途さという部分から書き始めたのですが、結局自分も彼女に対して一途だったんだなあと。今の若い人たちはもう少しスマートな恋愛ができるのかなと思うのだけれど、傷つけて傷ついて、無様な青春だったけれども、2人でそんな時間を持ったことは誇らしいというか「こうだったんだぜ!」と知ってほしい気持ちになりました。まあ開き直りやな、これは(笑)。

——1年半の連載で執筆に苦労した部分や大変だったことはありますか?

永田:書きながら思ったのは、やっぱり日記を公開するというのは大変だということ。河野は当然、日記を公開されることを前提に書いているわけではないので、僕なりの責任の取り方を考えていました。最初から決めていたのは、僕にとって都合のいい部分だけをつまみ食いをして書くようなことはしないこと。書くと決めた限りは全部書く。それが河野に対しての一つの責任の取り方だと思いました。自殺未遂をしたことなど、自分にとって都合が悪いこともすべて書いた上で、自分たちの恋愛や関係を確認するという感じでした。変に脚色したり小説仕立てにしないというのも決めていました。

歌を詠むことで”特別な瞬間”になる

——手紙と一緒に河野さんが永田さんと出会う高校生の時から結婚する直前までの日記も見つかったそうですね。知らなかったことや”発見”がたくさんあったのでしょうか?

永田:発見はたくさんありました。特に、「この歌はこのときに作ったんだ」という発見が。例えば、「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫(さら)って行っては呉れぬか」は河野の代表歌で誰もが知っている歌ですが、どんな状況で作られたかというのは知られてなかったし、僕自身も知らなかったんです。でも、今回日記を読んで初めてそのときの状況を知って、自分でも忘れていた光景がそこに広がっていました。歌が全然違う表情を持ってよみがえってきたという感じもしましたね。

——それは歌が読まれた状況と歌の意味が一致するような”答え合わせ”のようなものなのでしょうか?

永田:うーん、ちょっと違う感じでしょうか。歌の背景って分からなくてもよくて、背景が分からなくても解釈はできるものなんです。もっと言えば、背景が分からないと解釈できないような歌はいい歌とは言えないんですね。

今回思ったのは、歌があったから(この本を)書けたのかなと。歌の背景がぴったり収まってよかったという意味ではなくて、自分の記憶の中に歌が一つあることでその物語というか歌が立ち上がってくる感じがしました。歌がなかったら一冊の本になってなかったんじゃないかなと言うくらい。

——この本にも歌がたくさん登場しますね。

永田:僕は19歳のときから50年以上歌を作っているのだけれど、時間ってダラダラと流れていくものです。でも、歌があるとその時間だけちょっと特別なものになる。うちの娘(歌人の永田紅さん)も歌を作っているのですが、20歳くらいに賞を取ったときに「歌は時間に錘(おもり)をつける」と言っていて、うまいこと言うなと思いました。本当にその通りでその時間だけほかの時間と別の時間になるというかね。

それは単に出来事や事柄を歌っているからではなくて、そのときに自分が何を感じていたかが立ち上がってくる。そのときの風の匂いまでよみがえってくるんです。これまで詠んだ歌はもう六千か七千首ぐらいあるけれど、歌を作ってこなかった人生と作ってきた人生を考えてみると、やっぱり歌を詠むことで豊かな人生の時間を感じてこられたんじゃないかなと、そんな気がします。

「傷つくのはお互いに真剣に渡り合っているから」

——「無様な青春」とおっしゃっていましたが、永田さんと河野さんの青春を羨ましいなと思いました。というのは、今の時代って傷つきを避けるあまり濃い人間関係を避ける傾向にあるんじゃないかなと個人的に思っています。この本を読んでこんなにも武骨にぶつかり合った人たちがいたんだと感動すら覚えました。

永田:やっぱり傷つくというのはお互いに真剣に渡り合っているからなんですよね。自分が相手を本当に知りたいと思わなかったら傷ついたりはしない。傷つくというのは一方的に言葉を投げつけられて傷つくものではなくて、一生懸命向き合っているから。そういう意味で、本気でお互いを思い合いながらも傷ついたり傷つけたりという相手に巡り合ったことがやっぱり幸せだったんじゃないかと思いますね。

——河野さんと出会う前の幼年時代についても書かれています。河野さんが永田さんにとってかけがえのない存在になったゆえんに関する重要な章ですが、改めて河野さんは永田さんにとってどんな存在だったのでしょうか?

永田:僕は河野に対して「この人にはいっぱい喋れる」という気持ちがあったんだと思います。「この人には知っておいてほしい」と言うのかな。僕が特になんとしてもしんどいと感じるのは、河野がいたときは僕のことを誰かに知っておいてほしいとは思わなかったんです。僕が言ったことや書いたことは彼女が全部知っていてくれたから。すごく大きな安心感があったのだけれど、河野がいなくなって僕のことを本当に知ってくれている人間は誰がいるのだろうかと思ったらすごく不安で……。寄る辺のなさをひしひしと感じるんです。息子や娘にも書いたものを送っているんですけれどね。人間ってやっぱりね、全部知ってくれている人間がいることに安心感のようなものを感じるんですよね。誰か一人でもいいから自分のことを全部知ってくれている人がいる。それは大きな安心につながるんじゃないでしょうか。

誰かを好きになるということ

——この本のテーマは永田さんと河野さんの恋愛、青春ですが、人と人とのつながりというか根本的な部分について考えさせられました。最後に読者へのメッセージをお願いします。

永田:誰かを好きになるってことは、より多く相手を知りたいと思うことなのかなあって。そのときに「適当にこの辺で」と思わないでほしいということ。「まあ、人間ってのはこの程度だ」とか「こういう人っていうのはこのぐらいだ」とか、人と人との関係を円滑にしようと思うと「この程度でまあいいや」と思いがちだけれど、その人が好きだったらとことん自分のことを知ってほしいと思うし、とことん相手のことを知りたいと思うし……。

時には関係がぎくしゃくしたりお互いに傷つけ合ったりすることもあるけれど、そこで消極的にならないでほしいかな。うーん、まあ、そういうことやな。あんまり言うとそらぞらしくなるからこのへんでやめるけど(笑)。

——大人になるにつれて逃げ方がうまくなってしまう部分もありますが、ちゃんと向き合わなきゃいけないときは向き合わなきゃいけないなと思いました。

永田:恋愛で言えば、向き合うというかもっと切実に相手を欲する感じかな。切実に相手を全部欲しいというか、そういう相手にめぐりあってほしいという気がしますね。まあ僕らの恋愛がすべてというか絶対であるとは全然思っていないので、ほんの一例です。こんな青春もあったよというのを知ってほしいという気持ちですね。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

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