がんになって初めて知った、仕事を手放すことの大切さ

がんになって初めて知った、仕事を手放すことの大切さ

ステージ4の末期がんから奇跡的に回復を遂げた私。海野優子、36歳。病気になる前は、webプロデューサーや広報など、バリバリ働く仕事大好きな俗に言うキラキラOL(内情はドロドロのボロボロだったかもしれないけど)として東京ライフを満喫しておりました。

しかし思いもよらず、死に直面するような大病を患い、私のキャリアは強制的にストップしてしまいました。世の中には努力してもどうにもならない事がある。まぁ仕事がすべてじゃないしね。そんなことを学んだ”はず”なのに……! 現在の私は、なんとか生き延びて「わざわざ生きてる」のに、この期に及んで再びこの東京のど真ん中で、仕事というある種の魔物から逃れられずに、再びあのときのキラキラした自分に戻ることを夢見ながらリハビリに励んでいるのでした。

現在、お仕事は休職中です。病気になっても、仕事だけはどうしても続けたかったので、ここに至るまでにはたくさんの葛藤がありました。今回は、私にとっての「仕事」の存在について、病気になる前と後でどんな変化があったのか、考えていきたいと思います。

「優子は、結婚しても仕事続けたいの?」

私がまだ新卒でIT企業に内定が決まったくらいのとき、久々に会った地元の友人に聞かれたことがあります。

「優子は、結婚しても仕事続けたいの?」

そのときは「そんなの当たり前じゃない?なんでそんなこと聞くの??」と思ったけど、当時(2008年)は今に比べると「働かないで済むなら働きたくない」あるいは「子育てや家事に専念したい」など、今よりも世間的に専業主婦思考が強かったのかもしれません。私のように「結婚して子どもを産んでも一生仕事がしたい」という人は、あまり多くないということをその時初めて知りました。

昔から要領の良いほうじゃなかったし、できる人と比べると実は大したことがないのだけど、なぜか私にとって仕事は何があっても手放したくない大切なものでした。実際、社会に出てからの私は、「仕事に依存していた」と言っても過言ではないように思います。

頑張ることなら、私にもできる

病気になる前までの私は、とにかく仕事が優先で、全てが仕事につながるように活かしたいと思っていたので、どんな誘いも断らずに営業だと思って出向き、人脈づくりに励んでいました。

なぜそこまで仕事というものに依存的だったのか。今ではその理由が客観的に理解できているのですが、おそらく私にとって、”仕事を頑張る自分”というのが、ある種の大切なアイデンティティだったのだと感じています。

「仕事を頑張っている自分」は、親や友人に唯一自慢できるものでした。「頑張ること」なら、私にもできる。そういう自信が昔からあって、結果が求められがちなこの時代にこんな事言ったらヌルいって怒られちゃいそうだけど、でも、人より結果を出す自信はあんまりなくても、頑張ることなら自分にだってできる。だから頑張りたい。そんな気持ちで仕事に向き合っていたので、私にとって仕事はいつのまにか人生から切り離せないものになっていたんだと思います。だってそうじゃないと、私の存在意義が曖昧になってしまうんじゃないか、って。

ウートピのプロデューサーとしてインタビュー連載も担当していた頃

ウートピのプロデューサーとしてインタビュー連載も担当していた頃

成長は、なくならない

そんな仕事を、いま、休職という形である意味手放す覚悟を持てたのは、夫からの一言でした。

「お前はそんなんで、これから歩けるようになる気はあるのか?」

それは、復職後、仕事も育児も全部うまくやりたいと焦りリハビリに専念できていない私への厳しいメッセージでした。治療に加えて育児、リハビリもしなければならない中、時短勤務で仕事をしていた私は毎日分刻みのスケジュールで動き、倒れるように寝る生活をしていたのです。せっかく生き延びたのに、今までと同じように仕事への執着心を捨てられず、何もかも中途半端になっていたことに気付きました。

また夫は、「仕事なんて歩けるようになってからいくらでもできるじゃん」と当たり前のことを教えてくれたのでした……。そう、当たり前なんだけどね。怖いんだよ。。だって、今までどんな思いでキャリアを築いてきたか、それは私しか知らないことです。今仕事を手放せば、全て無くなってしまうんじゃないか、今までと同じ、あるいはもっと満足できる仕事には出会えないのではないかって。不安でいっぱいになりました。

必要なときに休職したり立ち止まったりするのは大切だけど、やっぱり当事者となると穏やかな気持ちではいられないんですね。

でも考えているうちに気づいたんですけど、本当はこれまで自分が頑張ってきた事は確かなことであり、消えない事実なんですよね。これまで培ってきたその努力や成長って、なくならないんですよ。なくなるなんて、幻想なんです。

恐れていたものは幻想だった

こうしてやっと、私は仕事を一旦手放す覚悟を持つことができました。今はわがままを言ってリハビリに専念することを会社にも認めてもらい、長い休暇をもらっています。そしてリハビリに専念できたことで、私の体感ではこれまでの3〜5倍くらいのスピードで改善に向けて進捗しており、ほとんど動かなかった左足の筋肉も目覚ましい成長を遂げています。

病気であろうが、なかろうが、きっと私と同じように、仕事やキャリアにある意味依存心を持っていたり、手放す事に臆病になっている人はたくさんいるのかなと思います。

いま転職しようか悩んでいる人も、仕事を辞めて海外に行ってみたいけどそんな勇気ないな…なんて考えている人も、みんな全て無くなってしまうという幻想に恐れているだけだったりするのかもしれません。

娘と過ごす時間も穏やかに

娘と過ごす時間もどことなく穏やかに

手放すことでかえって物事は前に進んでいく

今回私が改めて学んだこと。それは、手放すことで物事はかえってスーッと前に進んでいくということ。なんとなく、一旦でも手放すってすごく怖いことのように思いがちだけど、実はそんなことないんです。

逆に、何もかも全部、一気に手に入れようとすることで、全てが手に入らないことの方が多いように思います。

私の場合、もともとの計画では32歳くらいで新規事業のリーダーとして事業を軌道に乗せて、34歳で出産、38歳くらいまで育児の忙しい時期にブレーキがかかったとしても40代では完璧なマネジメントができる人材になっていて、また新しいチャレンジをする、みたいな感じをイメージしていました。40代以降はほぼ何も考えていなくて、1年、3年、5年刻みでしか人生を見ていなかったわけです。

でも病気になって、30代は治療やリハビリに専念、40歳くらいまでに歩けるようになったとしたら、仮に70歳くらいまで仕事したとしてもあと30年も仕事ができる!すごい!というプランに書き換わりました。そうやって人生プランを描く目盛がガラっと変わったことで、意図せぬ形で人生を長期スパンで捉えられるようになり、「あと30年も仕事ができるなら、今は仕事は手放して、リハビリや家族との時間を優先すればいいじゃん」と自然に思えたのでした。そう考えが変わった途端、肩の荷が降りたというか、やるべき事が鮮明に見えてすごくシンプルになり、思うように進まなかったリハビリが何倍ものスピードで進捗しました。

娘がスマホで(勝手に!)撮っていた、調理中の私

娘がスマホで(勝手に!)撮っていた、調理中の私

仕事が好き。これが私

それから、人生には余白がとても大事だということも学びました。仕事を手放して、何の予定もない時間を手に入れたことで今まで見えていなかった娘のことや夫のこと、料理が好きだった自分を思い出したり…人生が少し豊かになったのを感じます。

仕事を手放した今でも確実に言えること。それは、今でも私は仕事が大好きだということです。早く体を立て直して、またあの時みたいに”頑張ること”をとことんやりきりたい。だってそれが私だから。私が存在する意味だから。そんな思いで、いつかまた大切な仲間と共に切磋琢磨しながらキラキラと東京で働き、日々成長を実感できる自分でいられることを夢見て、今もリハビリに励んでいます。

次回、いよいよこの連載も最終回です。最後までお付き合いいただければ幸いです。

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