焦らなかったのは“おぼっちゃん”だったからかも…
スー:映画って、そもそも途中で企画が消滅しがちなコンテンツなんですか?
松居:10本開発して1本成立すればいいくらいですね。9本は墓場行きです。スーさんの『生きるとか死ぬとか父親とか』もドラマ(テレビ東京毎週金曜深夜0時12分O.A.)になってよかったと思いましたもん。それまでお話ってありました?
スー:ほぼ初めて。でも、ほかの作品で映像化の話がなくなったことはあるから、理解できます。
そうか、そもそも映画というコンテンツは「やりましょう」って話が立ち上がってから最終的に着地するまでに10分の1になる特性があるわけですね。
松居:さらに監督なんて二、三年拘束されて一括の監督料ですからね。日給にしたら1000円とか2000円のレベルです。
スー:加えて松居さんは脚本も書きますからね。
松居:墓場に行った脚本はギャラももらえなかったりですし。舞台ももちろん全然食えない。となると、ドラマの本を書くのが一番お金がもらえる。周りでドラマのほうに行く人がいっぱいいます。でも焦らなかったのは、もともとおぼっちゃんだったからかも。
スー:わはは! 言ったね自分で。おぼっちゃんというか、松居さんのところも、私のところも、お互い親が大コケしてますけどね。
松居:親を見てるので、なるべく自分らしく、じゃないけど、無理しないようにしようって思っていたかもしれないですね。
スー:自分の信念とは別に売れるほうへとか、拡大していくほうに舵を切ると、名前を聞かなくなる傾向にあるんですかね?
松居:その瞬間はちょっと遠くに届くけど、一番近くにいる人がいなくなったりしますよね。
スー:あはは。嫌なこと言いますね(笑)。
松居:そういうの見てきました。
スー:今まで支えてきた人が愛想を尽かすとか?
松居:それこそ自主(映画)くらいから一緒にやってきた、一番近くにいた役者とか、ずっと支えてくれていた人がいなくなって。ちょっとは飛ぶけど、もう飛べなくなるとか。
スー:へー! そんなわかりやすいことが起きるんだ。
松居:今だからわかるけど、当時だとわからないですね。自分がこういう飛び方になっているということを俯瞰できないし。
スー:松居さんは、なんでそうならなかったんだろう。もちろんハウツーに落とし込めるような話ではないことは承知の上ですけど、心がけたことはあります?
松居:うーん、初心を忘れないようにとか……。経験や技術を重ねて、予算が増えたりすると、スタッフと話すときにカッコつけたくなるんですよ。そこでそもそも何をやりたいかを忘れないように。あと、「おまえ今ダサいよ」とか指摘してくれる人がいますね。ダサいって思われたくないって思う人も、スーさんもそうだし、何人かいる。
スー:何をダサいって言われたか、覚えてます?
松居:えーと。「顔が変だよ」とか「誰のためにやってるの?」とか。「モテようとしてんじゃん」って言われたり。
スー:でたー! モテ欲!「モテ」といえば、この『さあハイヒール折れろ』の松居さんの序文はあまりに名文すぎて、昨夜読み返して声出して笑いました。
松居:迷文のほうでしょ、迷いのほう(笑)。
スー:こんなに正直に、赤裸々に人は語っていいの? って。その部分、ちょっと読みますね。
「モテてぇ」とかは言うんですけど、本当にモテたいということではなく、そういう会話をただ単にして間を埋めてふざけ合いたいだけで。
これ。モテたいわけではなく、非モテを媒介にして男友達との連帯を維持するという話。我々の対談もハチャメチャなんですよね(笑)。当時の松居さんが25歳、私が37歳。読み返して全身から血の気が引きました。ほかの人とは穏やかな談義なのに、私だけ至近距離から散弾銃でずっと松居さんを撃ってる。こんな決めつけた喋り方、乱暴な口のきき方で、よく縁を切らずにいてくれましたね。
松居:逃げ出しませんでしたね(笑)。共感とかではなくて、見えてる景色が違うから、そこで情報交換できますしね。
スー:我々の関係はなんだろう。でも、どっちかしか残ってなかったら縁は切れてたのかもしれないな。
松居:ですね。どちらかが好きじゃない感じで残っていても切れているかもしれません。
スー:フフフ。それはそうだ。