何気ない日常の描写の中で、くすぶっている男女の感情のもつれや葛藤をほろ苦く描いた魚喃キリコ(なななん・きりこ)のマンガを映画化した『南瓜とマヨネーズ』(冨永昌敬監督)が11月11日から公開されます。
プロのミュージシャンを目指す恋人の夢を支えるためにキャバクラで働きながら、再会した元恋人との間で揺れうごく主人公・ツチダ。
その心情を、痛々しくも愛おしく描き、多くの女性ファンに支持されてきた作品です。主演を務める女優の臼田あさ美(うすだ・あさみ)さん(33)に、お話を伺いました。
「あなたのために」は自分が救われたいから
——臼田さん演じるツチダは、なかなか曲が書けず、家でごろごろしているプロのミュージシャン志望の恋人せいいち(太賀さん)を支えるために、夜の仕事をすることも厭わない女性です。
さらに、女性にルーズな昔の恋人ハギオ(オダギリジョーさん)と再会し、心を揺さぶられまくるなど、見ていてとても心許ない。思わず「しっかりして!」と背中を叩きたくなるような女性ですが、ツチダに共感できるところはありますか?
臼田あさ美さん(以下、臼田):撮影していた時も、終わった今も、変わらずに思っているのは、「私はツチダと同じような選択は絶対しない」ということでした。
ただ、せいちゃんに対してどうにかしてあげたいとい気持ちはわかる。「彼にはきっと才能があるし、彼がつくる歌はホントにいいから、どうにかしてあげたい」という気持ちは私自身のなかにもあると思います。
——「ツチダと同じような選択は絶対しない」とのことですが、ツチダは身体を売ってまでせいちゃんの夢を支えようとします。そこまでうだつが上がらない男に尽くしてしまう女性の心理を、演じられてどう感じましたか?
臼田:せいちゃんのためにこうしてあげたい、せいちゃんがこうなればいい……「せいちゃんのために」「せいちゃんのために」っていうのは、結局、全部自分のためなんだなって演じていて思いました。
「よかれと思ってやってあげたのに」という男女間の思惑って、たいがいお互いにズレがあったりするけど、まさにそれを象徴するような関係ですよね。
客観的に見たら「せいちゃんが喜ぶわけないじゃん」っていうことをツチダは選択していくんですけど、彼女は自分の時間やエネルギー、身体まで犠牲にしてせいちゃんのために何かをして、「この人がいい歌をつくること」が自分の夢みたいになってしまっている。そのあたり、自分の夢との履き違えだなというふうに、演じていてストンときました。
——せいちゃんもそんなツチダの思いを負担に感じていきますよね。
臼田:せいちゃんがツチダに放つ「便乗してんじゃねえよ!」っていう言葉はすごく図星で。
ツチダほどじゃなくても、世の中の女性がダメな男性をずるずる支えてしまうのも、そういうことなのかもしれないなって思います。「私がいないとこの人は……」と言うけれど、結局はその人といたいと思う自分がいなければ成立しないことですから。片方だけが原因ではなく、結局は自分に返ってくる問題だと思います。
「やらなきゃいけないこと」が自分を強くしてた
——私はあなたのためにこれだけしてあげてるのに…ってポロリと口にしてしまうような、ツチダはいわゆる「ちょっと重い女」。自分がこれだけ尽くすんだから、相手にも等しく自分を満たしてほしいと願う女性って少なからずいると思うのですが、臼田さんにもそんなご経験はありますか?
臼田:いえ、私は自分の人生が大事でしたから(笑)。17歳から仕事をしていたので、やらなきゃいけないことがあったということが、自分をすごく強くしてたなと思います。
——若い頃って自分のやりたいこととか、やりたい仕事に対する思いも曖昧だし、不安や迷いを抱えていたりする。臼田さんは、どんなふうに仕事に取り組んできたのでしょうか。
臼田:私は何に対してもゼロか100かみたいなタイプなので、あんまり迷いはなかったですね。かといって、「仕事をしている姿が私の生き様」とも思っていません。
私は私生活が豊かであるほど、良い仕事ができると思うんです。だけど、それもなかなか難しい。恋愛に依存しても、仕事に依存しても、人によってはそこで思うようにいかなかったとき、バランスを崩すこともある。私はそのあたりは冷静だったかもしれないですね。もちろん若い頃から人並みに恋愛もしてると思いますけど、依存に陥った経験はないです。
——自分の中に目指すものがある女性は、きっとツチダのようにはならないですよね。
臼田:そうですね。この映画に出てくる人は、何か特別なものを持っていそうで、実は何も持っていない。せいちゃんだって、スターになるような歌手ではないかもしれない。「自分はこんなもんじゃない」とか、誰もが少しは考えたりするような感情がうごめいている、本来なら映画の主人公としてスポットライトを浴びるような人たちではない気がします。
いいことばかりじゃない日々も過ぎれば尊い
——登場人物がみんな不器用。夢を持っていても、いなくても要領よく立ち回っていくのが「イマドキ」だとすれば、立ち止まってしまった人たちです。ある意味、不器用にしか生きられないところが愛おしくもあります。
臼田:もがき苦しんだり、何も生み出せない時間みたいなものは誰しもあると思うし、この映画はそれを可愛く思えるストーリーでもあるのですが、
でも、鬱屈した日々の中で相手を思いやる気持ちとか、「あの人がいてくれたから、こんな気持ちになった」とか、そういう感情がすごく尊いということも、この作品を通じて感じました。
一生懸命さのベクトルは間違っていても、なんてことない日々が輝いていたりする。ハギオにぐらぐらしつつも、せいちゃんのために頑張れていたツチダは、すごい愛を心に持っていたし、いいことばかりじゃなかった日々も、過ぎ去ってしまえばすごく尊い。この作品を観てくださる方にも、そう感じてもらえたら嬉しいなと思います。
(取材・文:新田理恵、写真:宇高尚弘/HEADS)
【作品情報】
『南瓜とマヨネーズ』
11月11日(土)より全国ロードショー
配給:S・D・P
(C)魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会