女社長、目が覚める
体中が痛くて起床。ここは病院で、昨晩手術をして右乳房を切ったことを痛みで思い出す。
傷口も痛ければ、両乳房をさらしのように巻いている巨大なテープや、変なチューブが体に刺さっていてなんだか痛い。おまけに、同じ体勢で寝続けていたせいで首も肩も腰も痛い。手術前に説明された話だと「痛み止めを我慢するな」とのことだったので、躊躇(ちゅうちょ)なくぱかぱかーっと飲んだら次第に痛みは軽くなってきた。
ちょっと動いてみたら起きられることが判明。早速持ち込んだノートパソコンを開いてSNSにログインしたりする。SNSの中では不思議なもので、私はいつものようにオフィスか家で作業しているかのように見える。乳がんの件はほとんどの人に内緒にしていたので、普段通り友人たちにコメントし、コミュニティで質問に答えながら、
「ふふふ。まさか私が今、病院でこれを書いているとは誰も思うまい」
と、ふと思う。さらには、
「まさか私が今、片乳でこれを書いているとは誰も思うまい」
という歪(ゆが)んだ楽しみにしばし耽溺(たんでき)する。手術の副作用で性格がいびつになってしまったのであろうか?
それはさて置き、今日は長年温めてきた新規事業「キャリ婚」のβ版ローンチの日であった。執事と連絡を取りながらアップをすると、たくさんの友人たちがシェアをしてくれた。結果、女性会員の申し込み100名限定枠が瞬く間に埋まっていく。婚活勉強会「魔女のサバト」の女性たちや私に相談に来る女性たちが、安心して婚活できる場をつくりたいと思って立ち上げた事業だったが、多くの友人たちが応援してくれて、たくさんの働く女性たちが共感してくれて、素晴らしいスタートが切れたことにあちこちの痛みがふっとぶ。これだから事業というものはやめられない。また、手術が昨日で、今日じゃなくて本当に良かった。やっぱり私はついているなぁと、病室から見える良く晴れた空を見て思う。
一人で機嫌良くにやついていると先生が回診にやってきた。すでに起きだしてパソコンをいじっている私を見た先生は一瞬とがめるような顔をしたが、
「元気そうですね。それでは傷口を見せてください」と、少しあきれたように言ったものの怒りはしなかった。
女社長、ニューおっぱいと対面する
先生が私の乳房にがっつり張られていたテープを剥がす。私としても、ニューおっぱいとのうれし恥ずかし初対面だ。
確かに、私の右乳房はだいぶ小ぶりながら膨らみはあった。
が、乳首が無い。そして、辻斬りにあったような太い傷が、脇の下から右おっぱいを横断する形で赤黒くうねっている。切りたてフレッシュな傷はまるで生き物のようでおどろおどろしく、傷のないところもあちこち内出血しており、ニューおっぱい初対面の感想としては「これはちょっと……娘たちに当分見せられないな」である。きっとショックを与えてしまうに違いないから。
先生は、乳首にも浸潤が見られたため切除したこと、リンパを開いたが転移は見られなかったこと、傷口は徐々にきれいになってゆくこと、右乳房を半年間かけて再建し、その後乳首の再建に取り掛かることなどを説明してくれた。
……そうであった。このギザギザなおっぱい(略してギザぱい)は、今誕生したばかりなのだ。赤ちゃんだってしわくちゃで赤黒く生まれ、つるんとした形状からは程遠かったではないか。と、私は思い直す。
先生が帰った後、気を取り直した私は「そうだ! ギザぱいの写真を撮っておこう!」と立ち上がる。病室で一人、44歳の女が半裸で自分のおっぱいを自撮りしている姿がたまらなく痛々しいわけだが、この際致し方なし。誰に見せるでもないが、生まれたての右乳房、そのスタート地点を記録せねばならないという「新生児の親のような使命感」に後押しされ私は決行したのだった。
女社長、保険でもうかる
術後3日目にもなると痛みもほとんどなく、普通に原稿書いたり仕事ができるようになった。これで私もいっぱしのノマドワーカーである。(病院だが)合間に、今回の手術に関係する保険の資料を整理する。
改めて資料を読むと、私はがんにかかったことによって図らずも、完全にもうかってしまっていた。
私が入っていたがん保険は、手術そのものと入院費が出るもの、そして、もう一つは生命保険なのだが、がんにかかったらまとまったお金が引き出せる保険にも入っていたのだ。高額医療制度(公的医療保険における制度の一つで、医療機関や薬局の窓口で支払った額が、暦月(月の初めから終わりまで)で一定額を超えた場合に、その超えた金額を支給する国の制度)も利用する予定で、2013年より乳房再建にも保険が適用されるので、この後化学療法をやって何年かたってもだいぶお釣りがくることになる。おまけに、がんになったから保険料の払い込みが免除となる。
何だろう。不謹慎ながら、ギャンブルに勝ってしまったようなこの爽快感は。
そして、この3つの保険に入ったのはリーマンショックの時期で、毎日取引先が倒産し、会社が危なかった時だったため私に収入はなかった。無収入だったくせに、赤か黒かのルーレットに渾身のBETを決め込んだのだ。その時の私が、どれだけがんになる気満々だったかがうかがえてしまうが結果オーライ、ビバ! 転ばぬ先の杖!
病室にいると暇すぎたり、苦しそうな人を見たりして気分が落ち込みがちだが、「そうだ! 退院したら豪遊旅行でもしよう!」と思い立つ。がん患者と言えば湯治である。私は温泉で豪遊をしようと目論(もくろ)んで浮き浮きと検索し始めた。おっぱい切ってこんなに楽しい気持ちになれるのは保険のおかげである。改めて、あんな大不況時にがん保険を勧めてくれた友人二人に感謝したい。
その友人のうちの一人、泉さんが今日は病院にお見舞いに来てくれた。入院前から何かと動いてくれていたのだが、正確な数字とお見舞いを持ってやってきてくれたのだ。
「相変わらず損して得とるね。ほんとすごいわ(笑)」
と、彼は笑っていた。そして、
「また、深みが出るね。このこと、書くんでしょ?」
と、15年来の友人にはバレていた。もう書き始めてるし、「ウートピ」さんとも掲載の約束を取り付けてると言うと、
「役目ってあるよね。」
と、言ってくれてその言葉に私はやっと、この一連の「乳がんプロジェクト」が生まれた意味を見出すことができるのだった。
女社長がそれでも「日記を書く」理由
なんでもかんでも自分のした経験に意味があるとは言えない。また、世の中には経験せずとも現象を咀嚼(そしゃく)できる勘や頭の良い人はたくさんいる。
ただ私は女性たちに、私が肉を切って血を流した経験を持ってしてしか伝えられないのだ。カウンセリングや講演や執筆を通じて、女性たちの悩みを完全に払拭(ふっしょく)させることなどできないけれど、私の経験を、失敗を、絶望の中にある希望をありのままに提供することはできる。だから乳がんになったと分かった時、すぐにこの日記を書こうと決めた。そして、これからも月一で続きを更新したいと思っている。まだまだこの乳がんプロジェクトを通じて、女性たちに伝えたいことがたくさんあるからだ。
検診に行ってほしいこと、保険に入ってほしいこと、乳房再建のこと、誰でも本当は周囲の人にたくさん支えられていること、深刻な状態でも生活の中には笑いもあること、解決しない問題はないこと、生きているだけでそれはもう本当に、人生はとてつもなく素晴らしいこと。
今回、このブログを発表したことでたくさんのコメントをいただいたが、中には私や家族、事業へのリスクを心配して助言してくださる方もいた。励ましのメッセージ含め、全ての人に有り難くて胸が震えたし、世間に対する自分の役割などたかが知れているが、「経験したことを伝える」という至極単純なことを私はやり続けてゆきたい。
そして、女性たちが特有の病気や大病を罹患(りかん)した時、大切な人や大切な仕事を失くした時、生きていく意味が分からなくなった時、「そう言えば、ギザギザなおっぱい携えて、保険金で温泉行くって言ってた人いたな」と、このブログを思い出し、少しでもあきれて笑ってくれたらそれこそ、「女のプロ」の本懐である。
(川崎貴子)