社内外問わず、仕事を依頼する機会がかなりあるのですが、時々発注したものと違うものが納品されることがあります。例えば「ラーメン」って注文しているのに、「麻婆豆腐」が出てきちゃったみたいな。私の説明の仕方やお願いの仕方が間違っているのかなあと分析してみたのですが、そうは言っても「麻婆豆腐」を出してくる人は10人中1人くらいなのであまり間違っているとは思えず……。
そこで、信頼できる上司に相談したところ、「プライベートで“マウンティング”はする必要ないけれど、仕事では“マウンティング”はある程度必要だと思うよ。誰が依頼主で誰が責任をもつのかを明確にするっていう意味でね。話を聞いていると、おそらく舐(な)められちゃっているんだと思う。だから、先方があなたの説明を聞かないのかもね。優しいというより甘いんだよ」とアドバイスされました。かなり思い当たることがあり「なるほどね」と思ったのですが、仕事で必要な“マウンティング”があるとすれば、どんな“マウンティング”なのでしょうか? あおいさんの意見も伺いたいです。
愛されること=恐れられること
プライベートで“マウンティング”はする必要ないけれど、仕事では“マウンティング”はある程度必要。
マキャヴェリの君主論で言えば「愛されるより恐れられよ」ってことですかね。
でも私は、愛されることと恐れられることは同義だと思っています。
だって愛する人の信用を失うことは、想像しただけで背筋が冷たくなるほど恐ろしいことですからね。
恐怖に愛が付随することはないけれど、愛には必ず恐怖が付随する。
10人にラーメンを発注して9人がそれに応えてくれたということは、10人中9人に愛されているということであり、それはすなわち9人に恐れられているということ。
違う言い方をすれば、9人にはマウントポジションが取れているとも言えます。これはなかなか良い成績だと私は思いますけどね。
謙虚な態度が効かない相手には…
ただ、自分の地位や能力におごることなく、控えめで謙虚な態度は、賢明な人に対しては親しみと同時に恐れを与えることができる武器になるのですが、残念ながら頭がよろしくない人には効果がないんです。
いわば謙虚な態度は頭のよろしくない人を炙(あぶ)り出す操作手順だと思ってください。
そこで炙(あぶ)り出された残念な人には別途の対応で恐怖を植え付ける必要があります。
かといって権威を傘にしてマウントを取ったり、感情的に怒ったところで恐怖心を与えることはできません。
むしろ恐怖とは正反対のベクトルにある軽蔑感を与えてしまうことになりかねません。
嘲笑の対象にはなっても、恐怖の対象にはならないので、かえって舐(な)められてしまうかもしれません。
頭のよろしくない人が最も恐怖を覚えるのは「尋問」です。
彼らは受け答えが苦手な傾向にありますので、すぐに謝罪をして逃げようとしますが、そこで決して逃さないでください。
謝罪は求めないで理由を求めるスタイルで、なぜミスを犯したのか、どういった経緯で間違ってしまったのか、今後はどうすれば再発を防止できるのか、こちらが納得できるまで徹底的に尋問して、最後には今後は二度とこのようなことが起こらないように約束を取り付けることです。
もしかしたら尋問の途中で、ふてくされたり怒ったりするのかもしれませんが、それならそれで構いません。
怒りは敗北宣言、恐怖を感じたほうが先に怒るようにできていますからね。
それはそれで恐怖心を植え付けたことになりますので大成功だと思ってください。