先輩が親切すぎるというかお節介で少々困っています。直属の先輩で仕事をいろいろ教えてくれるのはありがたいのですが、時々お節介というか過干渉? なときがあります。この前もある動画サイトを教えてもらったのですが「ねえ、あれ見た?」「あの動画で言ってたことやってみた?」としつこく聞いてきます。しばらく忙しかったので「まだちゃんと見られていないんです」と答えたら「あなたが興味あると思ってせっかく調べたんだからちゃんと見てね」と念押しされました。実家の母も過干渉だったのですが、ちょっとそれに近いというか……。
雑談で「風邪っぽいんですよね」と話したらわざわざ総務部まで行ってのど飴を持ってきてくれたり、「今日寒いですね」と言っていたらカイロを渡してきたり……。「何かお願いするときは言うのでそこまでしていただかなくて大丈夫です」と言いたいですが、傷つきそうなので黙っています。時々親切を超えた支配欲のようなものを感じてしまい、素直に先輩の親切が受け取れません。親切とお節介の違いって何でしょうか?
「親切」が「お節介」に変わるとき
目の前に困っている人がいたら助けてあげたくなるのは人間なら当然のことですよね。
でも実は「親切」という行為には利他的な博愛と、利己的な欲求が混在しています。
他者に親切にするといい気持ちになるのは利己的な欲求が満たされるためですね。
その利己的な欲求が肥大してしまうと、その親切はいわゆる「お節介」になりやすいです。
自分が気持ち良くなることだけが目的の親切になりますから、他人を思いやる気持ちがなくなり、他人が求めていない親切や、ときには迷惑になるような親切まで、押し売りに近い形で無理強いしてしまうわけですね。
「やらない善よりやる偽善」とは言いますが、自己満足が目的の善は欲求が発祥ですので暴走しやすく、その親切を断られると一転してその人を攻撃したり、自分の立場が弱くなると親切の見返りを回収しようとしますので、利己的な欲求を満たすためのお節介を押し付けてくる人とはなるべく関わらないように適切な距離感は保っておきたいですね。
欲求先行型の人は感情的で敵と味方の区別がハッキリとしている人に多く、仲間意識が強い傾向にあるので、うっかり仲間に入れられないように注意してください。
仲間に入れられるくらいなら敵と認識されたほうがマシな人種ですので、ほんのり塩対応で接するくらいでちょうどいいのかもしれません。
特別に秀でた観察能力がなくても「あ、こいつヤバいタイプの人だな」と直感が働くわかりやすいタイプのヤバい奴であることが唯一の救いですかね。
違和感を感じたらダッシュで安全圏まで離れることをお勧めしますよ。
「小さな親切」に宿る「大きな思いやり」
とはいえ、私たちも綺麗事だけではできていない「人間」ですので、親切にはいくばくかの利己的な欲求はどうしても混在してしまいます。
聡明な人はそれを抑制して他者に手を差し伸べるように努めていますね。
エゴが暴走しないように、自己満足にならないように、押し売りにならないように、見返りを求めないように。
その人を思いやり、もし余計なお世話なら余計なお世話だと言いやすいように、その人にとって必要なことを必要な分だけ、最小限の親切を恐る恐る差し出すようにしているんですよ。
そしてその人に喜んでもらえたら、わずかに残った欲求が心の中で小さくガッツポーズをするだけで満足しているんです。
小さな親切にこそ大きな思いやりが宿っていると思ってください。