累計発行部数100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、以下『ぼくイエ』)など、格差社会を題材にしたノンフィクションで知られるブレイディみかこさんが初の長編小説に挑戦した『両手にトカレフ』(ポプラ社)が6月8日に発売されました。
酒に溺れて働かない母親と弟の3人で暮らす14歳の少女・ミアが“カネコフミコ”の自伝を手に取ったのをきっかけに周りの世界が少しずつ変わっていく……というストーリー。
前編に引き続き、後編では「オルタナティブな世界」をテーマにブレイディさんにお話を伺いました。
別世界は“メタバース”ではない
——ネタバレになってしまうかもしれませんが、最後の終わり方がとてもブレイディさんらしいなと思いました。
ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):中高生にも読んでほしい本だから、もっと明るい終わり方もあるじゃないですか。何年かたったところから振り返って、「今はみんな幸せで頑張ってやってます」のような終わり方もあるけれど、やっぱり、自分が子供の頃の経験も入ってるから、そういう終わらせ方ができないんですよね。「そんなに楽に終わるものじゃない」と分かっているので、どう終わるかというのはすごく悩みました。こう言ってはなんですが、書き終えた瞬間に「私らしい終わり方だな」って私も思いました(笑)。
——ミアが「たぶん世界はここから、私たちがいるこの場所から変わって、こことは違う世界になるのかもしれないね」と気づいた場面が印象的でした。
ブレイディ:最近の社会運動って、「オルタナティブ(別世界)な世界を信じよう」みたいなのがすごくあるけど、オルタナティブな世界というのは、メタバースのように今の生活とはまったく関係ないところにポンとある仮想世界ではないんですよね。肉体が存在しないバーチャルな世界でつながることがオルタナティブな世界ではなくて、今生きている場所じゃないと飢えている子供は飢えたままです。ここに生きている私たちの世界を変えていかないと、本当の別の世界は立ち上がらない。
——自分と地続きの世界から世界は変わっていくということでしょうか?
ブレイディ:例えば、私は子供のときに海辺の街で育ったから、海や空を見ていると、「世界は広いな」って本当に思っていたんです。この空がずっとつながっているんだって。でも、それはメタバースじゃない。空想の世界ではないんです。海の向こうにある世界ももう一つの世界だけれど、この世界なんです。あの頃の私も、知らない世界に行きたいと思ってイギリスに来ましたけど、住んでしまえば同じ世界。みんな同じようなことで悩んでいたり、同じようなことが起きたり、どこに行っても人間が生きている泥くさい世界なんです。
だから、今ものすごく生きづらくて苦しんでいる人がいたとして、海外には行きづらくなったし、もう一つの世界なんて遠すぎるって思っているかもしれないけれど、そんなときこそ金子文子を思い出してほしい。何もかもに絶望して死のうとしたときに彼女は世界の美しさにはっとして「いま住んでいる世界だけが私の住む場所とは限らない」と気づきました。「視点の切り替えによって世界は変わる」と気づいた瞬間ですが、すごいエンパシー能力だと思います。他者の視点にガラッと切り替えたら、世界は変わって見えるかもしれない。
——日本社会に関しても、同じように考えられますか?
ブレイディ:今の日本社会の多くの人々も、「こういう社会しかあり得ない」と思い込んでいるのではないでしょうか。ガラッと視点を変えれば、この世界がまったく今とは違う世界になり得ると思っています。視点の転換って自分を縛っている思い込みからの解放でもあるから。呪いが解かれる瞬間でもあるし、扉が開かれる瞬間でもある。そうすればこの世界は変えられるって思えるようになるじゃないですか。
「社会が変えられる」「政治が変えられる」という大きいレベルじゃなくても、自分の身の回りの小さな単位の話でも世界は変えられると信じられるようになると思います。
最初からそれを書こうと思っていたわけではないのですが、ずっと金子文子を追ってきたし、「オルタナティブな世界って何だろう?」ということもこの本で考えてみたかった。少女の生活というミクロな視点で書き進めましたが、最後の最後に「別の世界はここからつながっている」「ここから始まる」という言葉がミアから出てきたときには、ああやっぱり今回もマクロに到着した、と思いました。
「しかたがない」に抗うために必要なこと
——「しかたがない」と諦めないために必要なことは何でしょうか?
ブレイディ:それこそ、「別の世界は可能なんだ」と想像することではないでしょうか。「こうじゃない世界があり得る」というのを信じられるのは想像力なんです。“ここではない世界”を想像する力ってエンパシーの集大成なんですね。自分ではない他者の気持ちを想像したり、自分とは異なる境遇を想像したりできるようになれば、その想像力はマクロな規模にも広がっていく。だから、他者への想像力は違う世界への想像力にもつながっているんです。
——ミアは「自分を取り巻く世界は変わりっこない」と思い込んでいて周りにも期待しないし自分の将来さえも諦めています。だからこそ見えていない部分がたくさんありますが、ミアの“見えてなさ”を解いていけば私たちが変われるヒントになりそうですね。
ブレイディ:日本の30代や40代の方たちから、「閉塞感があって息苦しい」というような言葉をよく聞きます。でも、そのような声は私が日本を出てきた頃からありました。ただ、だんだん悪化してきてるような気がしますし、非常にそういう言葉を聞く機会が増えているように思います。その一方で、「そろそろ変えなきゃいけないんじゃないか?」と思う人も増えているような兆しを感じてます。
例えば、多様性の概念が注目されているのもその表れでしょう。私は、『ぼくイエ』が売れたせいで、「多様性についてずっと言ってる人」みたいなイメージがついているかもしれませんが、人種やセクシュアリティなどの多様性についてはいろんな人が書いてるから、私はどちらかと言うと、もともとは貧困や階級、経済といった縦の軸で書きたいと思っていた書き手でした。
——縦の多様性ということでしょうか?
ブレイディ:お金がある/ないだけで見える世界が違ったり、住む世界が違ったりする。そういう意味で貧困や階級も人間の「差異」ですよね。そのなかで、お互いのことを分かり合う、お互いのことを想像してみるっていう、縦の軸のエンパシーがすごく大事だなって。それを書こうと試みたのが今回の本だと思っています。
人種やLGBTQが“横の軸のエンパシー”だとしたら、同じ人種や同じジェンダーや性的指向の人々の中にも格差が存在していて、そこにもエンパシーが必要なんだということです。話題になったカズオ・イシグロのインタビューで「縦の旅行」という言い方をしていましたが、彼が言わんとするのもそういうことなんじゃないかなと思います。自分が住んでいるストリートの隣の人でさえ、自分とはまったく違う仕事をして違う世界に住んでいるかもしれない。彼らのことを知ろうとしなければいけないし、今世界がギクシャクしているのはお互いを知らないからじゃないかって。
「私たちは私たちの世界を変えられる」
——最後に読者へのメッセージをお願いします。
ブレイディ:私がいつもエッセイや小説を日本語で書くのはやっぱり日本社会に向けて書いているからなんです。
今の日本社会を考えると古い砂時計の砂が落ち切りそうな状態なのかもしれない。でも、今回書いた金子文子には、「砂時計の砂がすべて落ち切って、もう一回ガラッと裏返る」ときのような強さがあるんですよね。彼女のすごみは、あんなにつらい人生を送ってるのにもかかわらずどこか楽天的な部分。ガラッと起死回生して、裏返す胆力がすごくある人だったんだと思います。
今回の本もミア一人の物語で終わってない気がして、ミアが、「ここから始まる」「ここから変えていける」「私は私の世界を変えられる」と気づいたのは、マクロに広げれば「私たちは私たちの世界を変えられる」ということでもあるんです。そしてその起点は「今」かもしれない。だから最後の一行はあの言葉になりました。自分の足元の「ここ」と社会全体はつながっている、切れているわけじゃないんだという、私らしいエンディングになったなと思います。
(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子、写真:Shu Tomioka)