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承認欲求がダダ漏れ? 依存的なコミュニケーションをする人の対処法

承認欲求がダダ漏れ? 依存的なコミュニケーションをする人の対処法

チームリーダーとして何人かの後輩と面談する機会が多いのですが、ひとり依存的なコミュニケーションをする人がいてちょっと困っています。仕事の困りごとを聞いているのにプライベートの困りごとを相談してきたり、仕事の先輩として声をかけただけなのに急になれなれしく接してきたりして、私の中で「この人に深入りすると危険!」アラームが鳴っています。私が相手に何かを期待をさせるコミュニケーションをしてしまっている可能性があるのでそこは気をつけなければと思っているのですが……。

面談も本当は1対1でやりたくないのですが、そうも言っていられないので、とりあえず敬語は絶対に崩さない、必要以上に話しかけない、(当たり前だけど)誰にも公平に接する、メッセージもダイレクトでは送らずにオープンチャンネルで送るようにしているのですがこのような人と接するときの注意点があれば教えてほしいです。

依存的なコミュニケーションをする人の特徴

話をしていて「楽しい」と思える人は、ちゃんとしたテーマがあって、お互いの意見を差し出し合い、建設的な話ができる人なのですが、依存的なコミュニケーションをする人というのはそれができないんですよね。

テーマも流動的で定まらず、異なる意見を差し出せば「でも、だって、どうせ」と無敵の3Dワードを駆使して、ことごとくこちらの意見を否定する始末。

コミュニケーションの目的はただただ同調を求めているだけなので、建設的な話とは対照的に終わりが見えないのが若干煩わしく感じるのかもしれません。

かといって面倒だからと適当に「はいはい」と調子を合わせていると、その人が言い出したことなのに自分が言い出したことになっていたり、いつの間にか仲間として認定され面倒なことに巻き込まれてしまったりするのが厄介だし、突き放すようなことを言えばあることないことを陰で吹聴する体質なので手がつけられません。

“ウザい”と感じるのは承認欲求が優先しているから

人は大人になり自分というものが確立されてくると、それほど他者の同調は必要としなくなるんですよね。

他者の同調を拠りどころにしなくても「自分」という存在を理解できているから、どちらかと言えば同調よりも自分とは異なる価値観に触れ、新しい価値観に更新してより完成された自分を作っていきたいという自己実現の欲求が優先されるわけです。

しかし、精神的にまだ大人に成りきれていない状態だと、自己実現の欲求より承認欲求が優先され、他者の同調のみを求めるようになってしまうということです。

「思春期」というと中高生を連想するのかもしれませんが、昨今では社会人になってもまだ思春期から脱することができず、中高生と同じような生態をした「思春期の大人」が増えているんですよ。

その未熟な精神が依存的なコミュニケーションに現れてしまうということですね。

会話の目的を設定しよう

そんな思春期の大人とコミュニケーションを取るときは、まず終わりのない漂流のコミュニケーションにならないように、こちらで目的地をナビに設定してあげること。

安易に同調を差し出さないように、目的地へ向かうことを第一にコミュニケーションを進めていけば、少なくとも無限ループの地獄のコミュニケーションは避けられるはずです。

くれぐれも相手のペースに合わせないように、大人としてコミュニケーションの主導権はがっちりと握ってください。

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