社内の大事なプロジェクトに参加することになりました。わりと大変なプロジェクトなので責任が重いなあと思っているのですが、前向きな気持ちで取り組んでいます。ちょっとウザいなと思うのが周りの反応で「火中の栗を拾って大変だね」とか「なんか顔色悪いけどストレスなんじゃない?」とわざわざ声をかけてくる人が結構います。まわりも心配してくれているのだとは思いますが、心配してくれたところで手が出せないのなら静かに見守ってくれたほうがいいのにというのが本音です。大変だったらヘルプを出すし、ストレスだったらこちらから言うのに、先回りして「かわいそうに」「大変でしょう?」と決め付けられるのはいい気はしません。気にしないで仕事に集中したほうがいいとはわかっていますが、地味にまわりの“雑音”(酷い言い方だけど)が気になってしまいます。対処法があれば知りたいです。
「大丈夫?」にイライラしてしまう理由
例えば自分が今にも押し潰されそうな不安を抱えているときに、「大丈夫?」と心配してくれる人がいると、それはそれで嬉しいと感じる人は多いと思います。
例えば「よし、頑張ろう」と前向きな気持ちになっているときに、「頑張って!」と応援してくれる人がいると、それはそれで励みになって嬉しいと感じる人も多いと思います。
これが逆になってしまうと少しややこしい問題になってしまうんです。
今にも押し潰されそうな不安を抱えているときに「頑張って!」なんて応援をされたら、その応援がプレッシャーになってしまい、ますます精神的に追い込まれてしまうので、その応援に反発心が生じてしまいます。
それと同じように「よし、頑張ろう」と前向きになっているときに「大丈夫?」なんて心配をされたら、「あれ? 大丈夫じゃないのかな?』と前向きな気持ちが削がれてしまうので、その心配に反発心が生じてしまいます。
その反発心こそがイライラの正体。
心配も応援も同じ労りの言葉なのに、自分の気持ちと掛けてくれる言葉の不一致で、イライラが生じてしまうということですね。
精神的に追い込まれている人に「頑張って」と簡単に応援してはいけないということは、昨今では広く認知されてきたのですが、それと同様の意味で、頑張ろうとしている人に「大丈夫?』と心配の声を掛けてもいけないんですよ。
「応援している私」「心配している私」の押し売りになってない?
心配の声を掛けるべきか、応援の声を掛けるべきか、そこら辺の選択がうまい人って、ちゃんと相手の言動や態度から情報を得て適切な言葉を掛けているわけですが、下手くそな人は相手を見て言葉を選んでいるわけではなく、「応援している私」あるいは「心配している私」というものを押し売りしているだけなんですよ。
他者本意の言葉ではないから言葉の選択を間違え、反発心を煽(あお)る結果になってしまうということですね。
他者を思いやってこその心配や応援であって、自分本位の言葉は真の意味での心配や応援ではありません。
それは真に受けて反発する必要もないくらいに中身のない言葉ですので、過剰に反応することなく「柳に風大作戦」で結構だと思いますよ。