あたそ日記〜インド編・後編〜

「日本人はどうしてキレイなの?」海外で投げかけられる言葉と私を窮屈にするものの正体

「日本人はどうしてキレイなの?」海外で投げかけられる言葉と私を窮屈にするものの正体

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祈りを捧げている人を見つめながら考えること

アーメダバードの旧市街には、カフェがない。当然、チャイやラッシーを飲める場所はあるのだが、コーヒーを飲み、Wi-Fiがある中で作業ができる場所がないのだ。

よく考えると、この旧市街一帯は2017年に世界遺産に登録されている。その関係もあってか、近代的な店は一切排除されているのかもしれない。

この辺りは田舎だからなのか、ラクダやゾウ、ロバなどが労働力のひとつとして駆使されていた。

この辺りは田舎だからなのか、ラクダやゾウ、ロバなどが労働力のひとつとして駆使されていた。

うーん、困った。今は19時を回らない時間で、どうやって時間をつぶすべきなのだろう。この日、私は夜行バスでブージという小さな街に向かう予定だったのだが、出発が22時半ということで、時間を持て余していた。

観光の目玉となる、階段井戸やモスク、寺院もあらかた見終えてしまっている。旅行も2日目。お土産を買うには荷物になるし、現実的ではない。そもそも、観光客が来ないからなのか、土産屋を見つけることすらできない。なんつー街なんだ、ここは。

文字は全くわからないが、壁に描かれた絵が素朴でかわいい。

文字は全くわからないが、壁に描かれた絵が素朴でかわいい。

することがない。そして、州の法律の関係からここでは酒が飲めない。そんな街で私ができることなんて、ある訳ないじゃないか! 謎の怒りも押し寄せてくる。

階段井戸の様子。中は気温も下がり、ひんやりとしている。何段にも重なっていて、美しい。

階段井戸の様子。中は気温も下がり、ひんやりとしている。何段にも重なっていて、美しい。

散歩がてら、昼間に行った『サイディ・サイイド・モスク』にもう一度行こうと思い立ち、地図が示す方向に歩みを進めていく。このモスクは、3分もあれば見終えてしまうような規模なのだが、モスク頭上に見える窓の繊細な彫刻が美しい。夜にはライトアップがされていて、昼とはまた異なる幻想的な雰囲気には見とれてしまう。

きめ細やかなサイディ・サイイド・モスクの彫刻。昔の人はこれを何日もかけて彫ったんだもんな……ため息が出る。

きめ細やかなサイディ・サイイド・モスクの彫刻。昔の人はこれを何日もかけて彫ったんだもんな……ため息が出る。

現在は礼拝堂としても使用されているらしく、現地の人が祈りを捧(ささ)げている。私は、祈りを捧げている人を眺めているのが結構好きだったりする。時間があるとき、30分くらいぼーっと眺めているくらいには。

こうして文章にすると明らかな変質者なのだが、日本では絶対に見ることのできない光景であり、この人たちと私は、「神様」という存在に対する考え方も、宗教を丸め込んだ生活習慣もまったく異なっている。その際、幸福について、いつも祈りの姿を見つめながら考えてしまうのだった。

きらびやかなヒンドゥー教の寺院。かわいい。

きらびやかなヒンドゥー教の寺院。かわいい。

香港から来たN君と出会う

まったく読めない……。

まったく読めない……。

外に出ようとすると、中国版の地球の歩き方を眺めている青年がいた。へ~。あのガイドブックって中国語でも出しているのか、手広いな。というか、彼は中国人なのだろうか? インドと中国は仲が悪く、アクションもののボリウッド映画では中国人の同僚が必ず一番に殺されるくらいだ。

インド国内でも中国人や中国語を見る機会は少なく、どちらの国の友人に聞いても大体嫌い合っている。珍しいな……と思っていたら、「どこから来たの? アジア人、全然見ないからびっくりしたよ!」と彼の方から声をかけてくれた。香港から来た人らしい。英語も流ちょうだったので、合点がいく。

先日香港に行った際に撮影した、どマイナーな村の様子や食べたごはんの写真などを見せるとすごく喜んでくれた。彼も彼で日本が好きで、大学でも日本語を勉強していたらしく、簡単な日本語であれば話せるようだった。

年のせいか、日本語を勉強している外国の方に会うと涙ぐんでしまう。話せる人が少なく、文法も異なり、さらに使用している文字も3種類と、実に使い勝手の悪い言語に興味を持ち、勉強してくれているのか……と思うと、感謝の念が沸々と湧き上がってくるのだ。

お互いに、時間を持て余している。やることないよね……私も困っていたもん。せっかくだし、2人して歩いてジャマー・マスジットへと向かった後、夕食を共にすることとなった。

ジャマー・マスジットもイスラム教のモスクなのだが、こちらは街中にある割に規模が大きい。そして、建物の中に女性が入ることはできない。

「写真撮ってくるね!」と軽々と入っていくNくん(香港人の彼)が、少しだけうらやましい。男女が平等に向かっているとしても、宗教上における男女の切り分けがなくなることはないんだろうな、というのは思う。良い・悪いという話ではなく。

モスクとNくん。

モスクとNくん。

おなか空いたよね。ご飯はどうしようか? アーメダバードでは、なかなか肉を食べることができない。私も最後にお肉を食べたのは成田からデリーに向かう飛行機の中だった。2人で歩き回り、肉屋の並ぶ通りに面したお店に入る。カレーのほかにもチキンビリヤニがあるようで、2人で同じメニューを頼む。

おいしそう! ビリヤニは、インド版の炊き込みご飯で、日本でもはやり出している……気がする。とにかくおいしいんですよ。インドに長期滞在をして、カレーに飽きると毎回食べている気がする。まあ、これもスパイスが入っているので、カレー味なんだけど……。

ビリヤニ。おいしかった!

ビリヤニ。おいしかった!

小ぎれいな人がいっぱいの国・日本

2人で、コーラを片手にビリヤニを食べながら、これからの旅の予定や今まで行った場所、香港のデモや日本の観光地の話をする。Nくんが、「日本人って、男の人も女の人もキレイな人が多いよね。なんでなの?」という。

最近、この質問をされることが本当に多い。今年は、ソウルでも香港でも同じ質問をされた。特にアジア人から聞かれる気がする。

いやあ、なんでなんすかね……外見至上主義だからじゃないでしょうか。人からどう見られているかを気にしている人が多いのかも。日本人は、特に外見において完璧でなければならないという考えがあるんだと思う。アニメみたいにね! というようなことを言った気がする。

確かに、日本人は小ぎれいな人が多い。穴の開いた服を着ている人もいないし、すっぴんに頭がぼさぼさの人も見かけない。コーディネートだってしっかり決めている人のほうが大多数だ。みんな、ちゃんとしている。清潔感もあるし、純粋にきれいなのだと思う。

それなのに、国内にいると「私はブスだから」「太っているから痩せないと」と、自分にコンプレックスを抱き、自信を持てない人が本当にたくさんいるように思う。

この窮屈な感じは一体なんだろう。なぜ、私たちはここまで外見を気にし、執着するのだろう。

そして、日本の外に出たときの、人目を気にしないフリーダムな雰囲気に私は毎度のこと驚かされるのだ。

この前、香港に行ったとき、おねえさんの脇からは黒々と生い茂る毛が生えていた。あれはあれで、死ぬほどときめいてしまったのだが、日本では見られない光景であるように思う。

神の使いと信じられている牛は本当にどこにでもいる……。

神の使いと信じられている牛は本当にどこにでもいる……。

「自信という名の自己肯定感をひとりでつくるのは難しい」

海外に行くと褒めてもらえる機会が多い。「君はキレイだね」とか「すごく笑顔がすてきね!」とか。英語だからか、私もその言葉をすんなりと受け入れることができる。

こうやって褒めてくれる人が周囲にたくさんいて、外見に対して何か言ってくる人がいなかったとしたら、きっと私はもっと自分に自信を持つことができたんだろうな、としみじみ思う。

自信という名の自己肯定感は、やはり自分ひとりだけでつくり出し、そして維持し続けるのは、なかなか難しい。周囲からの言葉は栄養のようなもので、人からの何気ない褒め言葉が、肩の荷を下ろしたり、支えになったりする。

私にも、自分を守ってくれた言葉がいくつもある。人のコンプレックスはどこに眠っているか分からないし、完全に捨て去ることはできない。一生かけて付き合い続けるものなのだと思う。難しいよね。なかなかできることではない。私の言葉が誰かのコンプレックスを軽くすることはできるのだろうか。誰かのためにならなかったとしても、さらに深いものにせずにいられればいいな、と思う。

猫とヤギ。スパイス、健康に悪そうですけど……。

猫とヤギ。スパイス、健康に悪そうですけど……。

ビリヤニを食べ終わると、Nくんがおごってくれた。「こんなキレイな人と一緒にディナーができたんだから!」だそうだ。おお、ありがとう。そのあと、続けて「あ、でも心配しないで! 僕、ゲイだから」という。笑ってしまった。「日本人はどうしてキレイなの?」というまるっきり同じ質問を、香港で知り合ったゲイの男の子にもされたからだ。

やっぱり、香港は日本よりもずっと多様性の幅が広いんだろうか。お互い笑い合いながら話を続け、私はNくんのことが好きだなあ、と思うのだった。お互いにお互いの国によく行くので、Nくんが日本に来たときは、私がおすすめの居酒屋に一緒に行く約束をする。

時間が来るまで街を一緒に歩き、別れる時も特に名残惜しむことはなく、サッと別れる。あっさりした別れが、またすぐに会えそうな気がした。

バスのなかにもシヴァとパールヴァティ。

バスのなかにもシヴァとパールヴァティ。

(あたそ)

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