DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」61回目のボヤきは「『将来はどうなっていたい?』の質問に困惑」です。
【今週のボヤき】
よく聞かれて困る質問があります。マネージャークラスの人からよくされる質問なのですが、「○○さん(私)はこの先、どんなキャリアを積んでどんなふうになっていたいの?」と聞かれて返答に困りました。
つい「今の時点で思い描ける未来は想定内の未来でしかないんです。未来ってそもそも想定外じゃないですか?」と自己啓発的な回答をしてしまいそうになりますが、わりと本心です。
何も答えないと「考えていないやつ」みたいですし……。私としては日々の仕事を精一杯やるだけだと思っているのですが、それは「意識が低い」ことなのでしょうか? この手の質問にはどういう意図があるのかわからず困惑します。
未来はそもそも想定外だから…
「今の時点で思い描ける未来は想定内でしかない、未来はそもそも想定外」
まさしくその通りですよね。
私も今は本を出版させていただいたり、様々な媒体で記事を書かせていただいたりして、有難いことに分に合わない報酬もいただける身にもなりましたが、決して「こうなりたい!」という明確なビジョンがあって努力を重ねてきたわけではないんです。
現状はまさに想定外、ただ運がよかっただけ。いい意味で「こんなはずじゃなかった」と思う毎日です。
自分が思い描いていた未来はもっとずっと堅実なもので、普通に働いて、普通に報酬をいただいて、普通に家庭を築き、普通に年老いて、普通に人生が終わればそれでよし、という未来をずっと思い描いていました。
欲しかったものは「普通」という普遍的なものであり、仕事はその普通を維持していくための触媒に過ぎないもの。
仕事に人生を捧げるつもりなんてなくて、ただ私は「普通の生活」が欲しかっただけ、そのためだけに朝早くから夜遅くまで頑張って働いていたようなものでした。
仕事というものは目的ではなかったんですよね、普通の生活を維持していくための手段でしかなかったんですよ。
「普通」を夢見るのは意識が低いこと?
それを「夢がない、目標がない、意識が足りない」と蔑む人もいましたが、「普通」を夢見ることって、そんなに志が低いものなんですかね? そんなに意識が低いことなのですかね?
そりゃ意識を高くして仕事に使命を燃やす人は立派だと思いますよ、なくてはならない人材だとも思いますし応援もしたいと思います。
でも、普通を望んでいる人だって、ただ普通に仕事をしているわけではないんです。
「普通」を手に入れるために、それを維持していくために、どれほどの労力を必要とすることか、どれほどの努力を必要とするものか、社会人なら誰でも知っていることだと思います。
大事なのは「精一杯に“想定内”を具現化する」こと
全身全霊を掛けてやっと普通、それが私たち凡人の精一杯、だから精一杯に想定内を具現化して、精一杯に「普通」を夢見ているんですよ。
立派な夢や目標がある人にとっては「普通」というものは意識の低いものに感じられるのかもしれませんが、私たちにとって「普通」とは垂涎(すいぜん)の的。
目指しているものは違っても意識の高さは同列、それは決して意識の低いものではないと私は思います。
立派な夢や目標がなくてもいいんですよ、そんなものを持っているのはごく一部の人間だけなんですよ。
ほとんどの人は普通になりたくて精一杯に働いているだけです。
だからそれをコンプレックスに感じる必要はありません。
「あなたはどうなっていたい?」と問われたら、胸を張って「普通になっていたい」と答えてください。