DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」53回目のボヤきは「見返りを求めないほうがうまくいく?」です。
【今週のボヤき】
社内にとても仕事がデキる同期がいます。彼は「仕事相手に見返りを求めない」というスタンスなのですが、なぜか不思議と彼のまわりにはいい仕事も人も集まっています。あるとき「思うような結果が出なかったり、裏切られたときはどうするの?」と質問したところ、「そうなったら泣くしかないよね」と話していたのが印象的でした。
仕事ってどうしても見返りを求めてしまうものだと思うのですが……。あおいさんの意見を聞きたいです。
損得勘定がないほうが人に恵まれる
人ってわりと意地悪な心理が働くんですよね。
見返りを求めている気持ちが見えると、見返りを返してあげたくなくなるし、見返りを求めていない気持ちが見えると、見返りを返してあげたくなるんです。
得をしようとすると損をして、損を覚悟でやると得をして、その人の思惑とは逆のものを与えようとする心理が働くものなんです。
ですので損得勘定抜きの人付き合いをしていたほうが人間関係に恵まれたりするんですよ。
自己犠牲モードは危険!
気をつけなければいけないのは、それが自己犠牲にならないこと。
見返りを求めてしまう気持ちが生じてしまうときというのは自己犠牲を捧げているとき。
後になって「こんなに労力を捧げてあげたのに、こんなに苦労をしてあげたのに」と言いたくなってしまうようなことはしないこと。
裏切られても構わない程度の労力を人に捧げることです。
自分にある余裕の領域を越えてしまうとそれは自己犠牲となり、見返りを求める気持ちが生じてしまい、それは報われない労力になってしまうということですね。
「余裕」があるからこそ労力を捧げられる
もちろんこれは誰にでもできることではありません。
自分のことだけで精一杯な新卒や新人に同じことを求めるのは酷というもの。
地位や経験、仕事の能力等の「余裕」というものがなければできないということです。
だから本来は上の立場にいる人ほど、下の者に余裕の分だけ労力を捧げて信頼を得て、自分の後進となる人材を育てていかなければならないものなんですよ。
そしてその人材がいつか誰かの上の立場になったとき、また下の者に余裕の分だけ労力を捧げて信頼を得て育てるという良循環を築いていくんです。
これが組織のあるべき上下関係の姿であり、上の者が得をするために下の者に鞭を打つというやり方では、下の者が自己犠牲にするしかなくなって、その見返りが戻ってこない下の者が損をするだけのブラックな組織体質になってしまうということですね。
くれぐれも見返りを求めない気持ちの分量を間違えないように。
注意するのはそこだけですよ。