人生の後半とどう向き合いたいか「50 to 100」として、50代から100歳以上の著者の本から考えてみる本連載。
4冊目に紹介するのは、72歳でカメラを始めると“自虐自撮り”が話題となり、個展や写真集を発売。95歳の現在はInstagramのフォロワーが31万人超の西本喜美子さんの『94歳、自撮りおばあちゃん やりたい放題のひとり暮らし』(宝島社)です。
作家の南 綾子さんは、この本を読んで、ある人のことを思い出したと言います——。
自撮りおばあちゃんの本を読んで思い出したのは…
本書を読み終わったあと、わたしはある一人の男のことを思い出していた。
それは、山本太郎である。
あの山本太郎である。みんなしってる山本太郎。この本と全然関係ない。でも最近の若い人たちは彼の政治家としての姿しかしらないという話も聞くので、少し山本太郎の説明をさせていただきたい。
彼は高校生のとき、かつての人気番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』において、競泳用水着と水泳帽のいでたちで「メロリンキュー!」と叫びながら奇妙なダンスを踊るというパフォーマンスで世に出た。その後は俳優デビューを果たし、大河ドラマなどで重要な役どころを演じることもあったが、2012年に衆院選に立候補、俳優を引退して政治家に転身、今に至る。
わたしは彼のあるパフォーマンスを思い出したのである。もちろんメロリンキューではない。そうではなくて、2015年の一人牛歩戦術である。
安倍晋三首相問責決議案の投票の際、それに続く安全保障関連法案の採決を引き延ばす目的で、彼は投票箱に向かってたった一人でちょこちょこと極端に遅く歩いた。
周囲からやじられても、自民党議員に真横に立たれて直接たしなめられても全部無視して、ちょこちょこと歩き続けていた。ふざけてペンギンの真似をしているようにも見えた。
なんだか共感性羞恥のようなものを感じる一方で、このパフォーマンスは俳優として恥の殻を破りながら鍛え続けた表現力のたまものだな、とわたしは妙に感心してしまったのである。
恥ずかしさを乗り越えた表現は強い
”表現”は恥ずかしいものだ。けれども恥ずかしさの壁を乗り越えないままの表現は得てしてつまらないし、見る人の心を動かせない。
恥ずかしさを乗り越えた表現は強い。山本太郎の一人牛歩は他人のひんしゅくを買うだけの常識はずれの迷惑行為でしかないと思う人もいるだろう。しかし、とにもかくにも彼は自分の考えを広く主張することに成功した。表現力を本当の意味で身につけると、他人には難しいことも簡単に実現できてしまうことがあるという一例だと思う。
そこで本書の著書、西本喜美子さんについてである(やっと名前が出せた……)。喜美子さんは72歳でカメラという表現手段を得た。そして、ごみ袋の中に入る、物干し竿につられるなどといった、常識で考えたらだいぶ恥ずかしいパフォーマンスによって知名度を広げた。
喜美子さんはもしかしたら「そんなの全然恥ずかしくない」というかもしれないけれど、本当にそうであるなら、本人がいうように、72歳まで「ごくごく普通の専業主婦」として世間の中に埋もれた存在でい続けることはないと思う。ここまで有名にはならなくとも、「近所の人にうわさされるちょっと変わった専業主婦」ぐらいにはなっていたのではないだろうか。
年を重ねたことなのか、子供が巣立って肩の荷がおりたことなのか、なにかはわからないけれど、恥の殻のようなものが壊れるきっかけみたいなものがあって、あの写真につながったように思う。
「仲間こそが私の宝物なんだと思います」
そして喜美子さんが表現力によって得たもの、実現したこと。それは単に有名になるということではないし、むしろ本人にとっては自分の知名度なんかどうでもいいようだ(なぜか本書に特別寄稿しているASKA氏もそのようなことを書いている)。本人がこの本で最後の最後に書いている言葉。
本当は、作品よりも、仲間こそが私の宝物なんだと思います。
仲間。この言葉は本書に頻出する。家族よりも仲間の登場頻度のほうがずっと多く、喜美子さんの今の生活にとって、仲間の存在はかけがえのないものであることがよくわかる。表現活動を通して得られた仲間たち。活動の幅が広がるにしたがって、地方や世界まで人とのつながりも広がっていく。夜はLINEの返信で忙しいらしい。そんな後期高齢者などそうそういないだろう。そもそもゴミ袋の中に入ったのも物干し竿につられたのも、写真塾の仲間に喜んでほしいからだった。
大人になって新しい知り合い、友達を得ようとする場合、基本的に方法は一つしかないはずだ。言葉によるコミュニケーションだ。言うまでもなく、難しい。腹の探り合いだけで会話が終わってしまうこともしばしばある。
けれども何らかの表現手段をもっていれば、喜美子さんのように70歳、80歳をこえてもたくさんの仲間を得ることも可能なのだ。
老後に孤独に陥らないためには、人とのつながりを確保しておくことが重要だ、などと最近はよくいわれるが、新しい知り合いを一人作るのだって難しいのにどうすりゃいいんだと思う人もいるだろう。
そんな人は友達を作ろう、趣味仲間を作ろうと焦るのではなく、恥の殻をやぶって何かを表現してみるのもいいのかもしれない。
新しい友達ができるだけなく、ひょっとするともっと大きな願望を実現させられるかも? たまたま美しく撮れた自分の写真やキラキラした生活をSNSでひけらかすのも表現といえば表現だけれど、恥の殻にヒビすら入っていない表現は、やっぱりどこかつまらない。一生、恥の殻にとじこもったまま死ぬ、という人もきっと少なくない。そんな人はぜひ、この本を読んで”やりたい放題のキミちゃん”をしってほしい。
(南 綾子)