のほほんと働いているせいか、時々「あなたは恵まれているから分からないかもしれないけれど」とか「新卒ですっと大企業に入った人には分からないよ」とか「なんだかんだ運がいいよね」と言われることがあって、そのたびにどうしていいか分からなくなります。
確かに周りに恵まれていますが、だからと言って嫌なこともないわけではなかったし、苦労をしてないわけではありません。振り返ってみると就活は氷河期ですごく大変だったし、もっとさかのぼれば大学は経済的事情で現役で国立大学に入るように言われていたので、そのプレッシャーは大きかったです。分かりやすい苦労はしていないけれど、私は私なりに大変なこともあったんだけどなーと思います。とはいえ、大変だったことはすぐ忘れてしまうのと、苦労マウンティングや不幸自慢はしたくないので普段は黙って何でもないような顔をしていますが、時々言われたことを思い出すとすごく悔しい気持ちになります。気持ちの持っていき方を知りたいです。
苦労してない人なんていない
自分の苦労って、あまり人には話さないじゃないですか。
同情されたくないし、変な気を使わせたくないし、よほど信頼の置ける人でないと自分の苦労話はしないんですよね。
だから他者から信頼されている人ほど「苦労をしていない人などいない、人は例外なく苦労の上に立っている」という世の中の真理を知っているのですが、残念ながら他者からあまり信頼されない人って、その真理が全く分からないんです。
誰も苦労を見せてくれないから、周りの人がなんの悩みも葛藤もなく真っすぐに現時点にたどり着いたのだと思い込み、自分ばかりが苦労をしていると相対的劣等感に苛(さいな)まれ、ついには「より苦労をしているほうが勝者」という訳の分からない勝負の土俵に他者を引きずりこんでしまうわけですね。
「人は自分に誇るものがないとついには不幸まで誇るようになる」という見本みたいなものです。
そんな人に苦労勝負を挑まれたとしても、こちらとしては信頼の置けない人に自分の苦労なんて見せたくないじゃないですか。
明らかに自分よりヒューマンステージが下のやつに苦労話を聞かせて同情なんかされたら、それこそ自分の自尊心がぶっ壊れてしまうじゃないですか。
だから苦労マウント合戦を挑まれても、「こいつに同情されるくらいなら負けたほうがマシ」という計算が働き、こちらとしては負けることが精いっぱいの自己防衛になってしまうというわけですね。
だからクズの苦労マウントは負け知らずの必勝法になってしまうんですよ。
そんな勝負に勝って何がうれしいのか謎で仕方がないですけどね。
苦労マウントされたら…
もしその人を懲らしめたいと思うのなら、その人の苦労話を聞き出して同情してあげることです。
「大変だったね、苦労したんだね」と同情してあげれば、「より苦労をしているほうが勝者」というルールから「より苦労をしているほうが不憫(ふびん)」というルールに変わります。
元々同情されないように弱みを武器に変えて勝負を挑んでいるわけですから、やつらは過度に同情を嫌う傾向にあります。
同情してあげたらきっとカブトムシの裏側みたいな顔をして悔しがると思いますよ。
あまり波風を立てたくないのなら、勝って得るものがない勝負は負けてあげることですね。