月間約80万PVの人気ブログ「madameHのバラ色人生」が話題になり、今年になって相次いで2冊の著書を発表した“マダムH”こと佐藤治子(さとう・はるこ)さん(69)。最新の著書『スーツケースの中身で旅は決まる』(小石川書館)は10月6日に発売されるやいなや、わずか2日で3刷に。「旅じたく」をテーマに旅にまつわるエピソードや思い出についてつづったエッセイは、多くの女性から支持されています。
しかし、40年以上アパレルデザイナーとして第一線で活躍してきた佐藤さんも“どん底”を何度も味わったのだそう。今回は、佐藤さんの知られざる“どん底”エピソードを聞きしました。
31歳でシングルマザーに
佐藤さんがアパレル関係の会社にデザイナーとして就職したのは1969年、22歳の時。当時は「女は結婚したら仕事は辞めるもの」という風潮が、当たり前だった時代です。そんな時代でも、佐藤さんは夢中で仕事に取り組み、28歳には自分のブランドを任されるまでになりました。高度経済成長期だったこともあり、給料も右肩上がり。でも佐藤さんは「仕事だけではない人生」を求め、31歳の時、シングルマザーの道を選びました。
自分で選んだ道とはいえ、働かなければ子どもは育てられません。そのため3ヵ月だけ休んで、すぐに復職。「『どうにかなる』という楽天的な気持ちでしたね」と振り返る佐藤さんですが、社内では厳しい言葉を投げかけられることも。だからこそ、仕事では絶対に子どもを理由にしないで、毎日がむしゃらに目の前のことに向き合い続けました。
上司に目の前で罵倒されて
一方で、33歳の時にはヘッドハンティングされて転職。「欲が出たんですね。条件もよかったし、『自分のブランドを作ってくれる』と言われて」。しかし思ったように売り上げが伸びなかったため、せっかく任されたブランドを維持できなくなってしまいます。「天狗の鼻がへし折られたようなもの。実力不足を痛感しました」
出直しを余儀なくされた佐藤さんですが、ある時気がつきます。「これって1からの出直しじゃない」と。
「失敗したけれど、経験したことはムダにはならないし、新たな積み重ねもあったわけだから、次は2とか3とか、4からのスタートになっているはず。そういう意味で、積み重ねてきた仕事は裏切らないんですよね」
38歳で移った別の会社でも、さまざまなしがらみで、胃潰瘍になるほどの“どん底”を味わった、という佐藤さん。目の前で上司から、「このデザイナーはまったく使い物にならない、誰かいい人他にいない?」と当て付けのように言われたことも。結局、身体を壊して退職しましたが、心機一転、髪を短く切ろうと訪れたサロンでスタイリストだった“ムッシュー”こと夫の満さんと運命的な出会いを経験することに。
その後も、いくつものブランドの立ち上げや、ブラッシュアップに関わってきた佐藤さん。イギリスの「アクアスキュータム」や「イエーガー」など名だたるブランドでの活躍は知られている通りです。
「明日考えよう」―人生はシナリオ通りにいかないものだから
もしタイムマシンで“どん底”時代の自分に一言声をかけるなら……?
「『明日考えよう』というメッセージを送りたいですね。映画『風と共に去りぬ』で主人公・スカーレット・オハラがラストシーンで口にするセリフ、“Tomorrow is another day.”からきています。一晩寝て、朝日の中で考えた方が前向きな答えが出るはず。どんなにつらくても、明日は必ず来るんです」
30代で数々の“どん底”を味わったという佐藤さんですが、「人生最大の危機」は夫がくも膜下出血で入院したことでした。夫の看護のため佐藤さんも1年間仕事を休みました。当然旅どころではなくなり日々の生活に追われる時期がしばらく続いたといいます。
数年後、家族3人でタイ・チェンマイを訪れ、家庭的な暖かいホテルに滞在し、身も心も癒されたことで再び旅の楽しさを知るきっかけになりました。
夫の病気で「計り知れないことが人生には起きる」と改めて思い知り、1日1日をますます大事に、愛おしく過ごすようになったそうです。
69歳になって2冊の本を相次いで出したことは「思いがけない人生のプレゼントだった」という佐藤さん。「人生って自分のシナリオ通りにいかないもの。だから、あまり先々の計画を立てるより、目の前のことしか見えない、っていう生き方でいいんです」。そうすれば自然と道は開けていく。そう話す佐藤さんの瞳は、とても力強いものでした。
(Smart Sense 吉岡)