この人ともっと話したい! コロナ禍を通じて気づいた「快」をもたらす人のコミュ力

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「なーに考えてるの?」
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コラムニストの桐谷ヨウさんによる連載「なーに考えてるの?」。ヨウさんがA to Z形式で日頃考えていることや気づいたこと、感じたことを読者とシェアして一緒に考えていきます。第32回目のテーマは「F=Finesse(フィネス)」です。

「フィネス」って知ってる?

ワインの世界にフィネスという表現がある。「このワインは卓越したフィネスを持ち合わせている」というふうに使われる言葉である。

厳密な意味合いは難しいんだけど、「優雅」で「繊細」で「上質」で「匠の技」で「気品がある」みたいな言葉をブレンド(ワイン界ではアッサンブラージュと言います)した感じが、一番ニュアンスが近いのかな、と。まぁ、とにかくかなりイケてるワインへの褒め言葉です。

ワインという飲み物はかなり面白くて、幅が広く、奥が深い。まぁとにかくうんちく好きにはたまらない要素があるらしい。やはりオタク気質の人、アカデミックなことが好きな人がハマる傾向にある。自分はうんちくも嫌いじゃないけど、本格的に学び始めると(例…ワイン・エキスパート=ソムリエと同じような資格の取得を目指すなど)、受験勉強の暗記なみにしんどいので、ほどほどのところで止まっている。

ワイン自体には、10年くらい前から興味を持っていたんだけど、本格的に飲み始めたのはここ数年である。テイスティング会に行ったり、知り合いのワイン会に呼んでもらうことで、自分ではなかなか買うことができない金額のワインを飲む機会がめちゃくちゃ増えた。それで思うことは、本当に良いワインは、おいしいのである。

安くてもおいしいワインはたしかにある。だけど、一定のレベルを超えたワインを飲むには、一定以上の金額を出さなくてはいけないことにも気づかされた。それはやはり、ワインを作るのにアドバンテージを持った限られた土地(テロワール)で、匠の技を持った醸造家が丹精を込めてつくるから、それなりの金額になってしまうのである。さらにワインの場合は、その希少性が投機的な側面を持ってしまうので、一部の伝統のある銘柄やカルトワインと呼ばれる銘柄は、バカみたいに高くなるのである。

と、ここまでワインの話を進めてきたが、今回の本題はワインではない。(ワインはWINEかVINOの回でやらせてください)

人に対して、どういうときにフィネスを感じるか? というのが今回のテーマである。

人間関係の“フィネス”

緊急事態宣言が解除されてから、会いたい人にはそれなりに会うことができるようになって、「この人はたまらないなぁ」とあらためて感じさせてくれる人が何人もいた。

一方、なんなら会っても会わなくてもどっちでもいい人との会にお呼ばれしたりして(段々とそうなりませんか?)、「んー、微妙だなぁ(向こうも思ってんだろうけど)」と感じる会った後の満足(不満)感、自分の言葉で言うと、「対人の読後感」にギャップがあったのである。

俺なりに現状分析をすると、みんなコミュニケーションの機会が減っているので、コミュニケーション能力が誰しも下がっているのである。そうなると血肉化したその人のむき出しのコミュニケーション・スキルが露出してくる。そこに快・不快を感じるのであろう。

そして、こういうときに快を感じさせてくれる人、少なくとも不快感を感じさせない人は、自分にとって本当にフィットする人ということなんだろう。

さてフィネスを感じさせるという側面で、「優雅」で「繊細」で「上質」で「匠の技」で「気品がある」人って、やっぱりなかなか、いない(笑)。

ただ、ここ最近の酒席で感じたのは、「余裕がある人は素晴らしいな」ということである。男でも、女でも、年がいってても、若くても、余裕を感じさせる態度を取っている人は、他人に快を与えられるんだな、ということである。

コミュニケーションにおける「余裕」をひとことで言うのは難しいけど、自分のエゴを制御できるということだろう。これをとにかく喋りたい。自分が主役になりたい。そういうものは一切なく、他人のコミュニケーションをうまく受け止めて、巧みに打ち返せる人というか。そういう人ははた目にも優雅に見えるし、繊細なバランス感覚を持っていると感じるし、他人をむげにしない意味で上質な付き合い方を知っていると思えるというか。

俺の観測がうがっているのかもしれないけど、コロナ禍の影響なのか「俺(私)論」をぶちまけたい人がちょっと増えたように思える。自分の思いを、考えを、どこかにぶつける機会が激減しちゃったからだろうか。アウトプットの便秘がもたらす弊害のように思える。荒々しく他人に対してぶつけている人が散見されたように感じているのだ。自分なんかはちょっと面白いなぁと思いながらそういうのを聞いていたのだけど、人によっては人付き合いのうっとうしさをひさしぶりに思い出しているのではないだろうか。

2022年はどんな年になっていくだろうか。このままコロナが本当におさまっていくのか、人々の共通見解がもう必要以上に気にするのはやめようとなるのか、まだもう少しだけ終わりない尋常でない日常を過ごすことになるのか。そのなかでリアルで対面したときの他人のコミュニケーション・スタイルがどのように変わっていくのか、楽しみである。しばらくは「余裕」という切り口で、他人の言動を見つめて、自分自身の振る舞いを戒めていきたいな、と感じている。

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