DJあおいの「私は仕事ができない。」task198

「いい人だよね」にモヤッ…都合の“いい人”にならないために大事なこと【DJあおい】

「いい人だよね」にモヤッ…都合の“いい人”にならないために大事なこと【DJあおい】

DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」198回目のボヤきは「いい人だよねって言われるけど……」です。

仕事で提案を受けたりお願いされたりすることが多いのですが、時々「ほかの人に断られたのかな?」と思うような案件をお願いされることもあります。「◯◯さん(私)はほんといい人だよね!」「◯◯さんにお願いすれば大抵のことは何とかなるよね」と言われることもありますが、本屋さんやネットで「いい人はどうでも“いい人”」「“いい人”をやめよう」というタイトルの本や記事を見かけることも多く、「私も利用されているのかな?」とモヤッとします。

まあ、他人の思惑なんてわからないし、自分が楽しく精いっぱいやれればいいやと前向きに考えているのですが、寝る前などふとしたときに「やっぱり私は都合のいい存在なのだろうか?」と思うこともあります。“いい人”ってあまりよくないことなのでしょうか?

「都合のいい人」になってしまうワケ

「優しいですね」と言われたら、その人の前では「優しい自分でいなければ」という心理が働いてしまうじゃないですか。

「面白いですね」と言われたら、その人の前では「面白い自分でいなければ」という心理が働いてしまうじゃないですか。

それと同じように「いい人ですね」と言われると、その人の前では「いい人でいなければ」という心理が働いてしまい、それが負担になっていざというときに「NO」と言えなくなってしまうんですよね。

断ることができなくなると、自分のことは後回しにして、自己犠牲を払ってまでその人の言うことを優先してしまうようになる。

こうして「都合のいい人」の出来上がりということです。

自己犠牲の「優しさ」は危険

他人を支配する術は二つあって、ひとつは暴言暴力などの「痛み」による支配なのですが、もうひとつは「いい人ですね」などの褒め言葉による「快楽」の支配。
他人に暴言暴力を行ってはいけないように、本当は「褒める」という行為も安易に行ってはいけないものなんですよ。

本来他者にささげる優しさとは「余裕の分だけ」に止めておくべきもの。

自分の腹が痛まない程度の優しさなら「他者にしてあげたことはすぐに忘れる」という無償の優しさになります。

無償の優しさほど有難いことはありませんから、こちらが忘れてしまったことでも、してもらった側からしたらいつまでも記憶に残っていたりするのです。

しかし、これが自己犠牲の優しさになってしまうと、人というのは必ず見返りを求めてしまうようになります。

「あれだけやってあげたのに」と自己犠牲の代償を求めて、その人に対する不平不満が生じてしまい、人間関係に亀裂が走ってしまうということです。

相手と良い関係を築くポイント

お互いがお互いの負担にならないような良い関係であるためには、「余裕の分だけ」というのが大きなポイント。

余裕の分だけ助け合っていれば、お互いが「してあげたことはすぐに忘れ、してもらったことはいつまでも覚えている」という理想の関係になることができるはず。

自己犠牲のボーダーラインを決して越えないように、自己管理をしっかりしていれば安易な褒め言葉に支配されることもないと思いますよ。

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