「余裕がない」ときに思い出したい2つのこと

「余裕がない」ときに思い出したい2つのこと

日々、仕事や生活に終われるなか「どうして自分はこんなに余裕がないのだろうか」と悩んでしまうことはありませんか。

自分だけが余裕がないのではないか、もう大人なのに情けない……そんな思いにとらわれてしまったときに思い出したいことについて、浄土真宗本願寺派 超勝寺の住職、大來尚順さんに寄稿していただきました。

人はみんな「余裕がない」

私生活のさまざまな営みをはじめ、仕事、人間関係など、社会を大きく変化させたコロナ禍も3年目に入りました。人によってはこの変化に順応し邁進(まいしん)されている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そんな人の姿を横目に、順応しきれていない自分に「余裕がない」と凹んでしまう人は少なくないと思います。

そんな方にお伝えしたいことが二つあります。一つは、実は誰しも「余裕がない」ということです。

つい自分と比較してしまう身近な人や、憧れの存在の人であっても、実際はいっぱいいっぱいで生活している人がほとんどだと思います。それを他人にさとられないように上手く隠しているのです。ご自身にも思い当たる節があるのではないでしょうか? 悩みや不安を常に周囲に露呈しながら生活する人はそうはいません。

私事で恐縮ですが、僧侶という職業柄もあり「余裕がある」と思われがちです。ときには「さとっている」とまで思われることもあるようです。しかし、それは単に私の演技が上手いだけです。実際のところ、多くの方と同じように悩み苦しむことは日常茶飯事です。

「余裕がない」のは自分だけではないことを忘れないようにしてください。

「余裕がない」のは一時的なもの

そして、もう一つのお伝えしたいことは、「余裕がない」と感じる状況は一時的な期間であるということです。

おそらく過去にも「余裕がない」ことで不安を抱えた経験は少なからずあったと思います。けれど、当時の状況が今でも続いているかと問われれば、そうではないはず。そのことに気が付いたら気持ちが落ち着いてきませんか?

物事は周囲だけではなく自分自身も含めて常に変化していきます。大切なのは、「余裕がない」と今の自分が抱える心情も一時的なことだと受け止めることです。

「現在」にスポットライトを当ててみる

このときに必要な心持ちとして、役立てていただきたい仏教の考え方があります。それは「而今」(にこん)という教えです。「過去」や「未来」に囚われることなく「現在」に目を向けて生きるという意味です。

発想を変えると、「余裕がない」ときには、そのときの自分でしか見たり感じたりできない経験があると思います。「現在」のこの点にスポットライトを当てるのです。

「転んでもただでは起きぬ」ではありませんが、この機会を自分の成長に必要なステップとして捉えみると、物事の受けとり方も変わってくるのではないでしょうか。今の状況を最大限活用するように心がけてみてください。

即効性はそこまで高くはないかもしれませんが、徐々に沈んだ心情も軽減され、自分のペースを取り戻すきっかけにも繋がっていくと思います。

「今この一瞬がすべて」

そして、最後にお伝えしたいことがあります。それは「而今」の真意です。実は、「今ここを生きなさい」という教えに加え、もう少し深いところに真意があります。それは「今この一瞬がすべて」ということです。

これまで「余裕がない」ときの心の処方として考え方を紹介してきましたが、究極的には「自分は自分でいい」ということです。

どんなときだって自分は自分でしかありません。そもそも周りと自分を比較する必要はないのです。どんな自分であっても誰からも文句を言われる筋合いはありません。

迷ったり、落ち込んだり、不安を抱えたり、未熟だと思う自分に対して思うことはいろいろあることでしょう。しかし、「転迷開悟」(てんめいかいご)という言葉があるように、迷いを転じることで悟りは開かれます。つまり、そもそも迷いがなければ気付きという成長はあり得ないということです。

「余裕のない」自分の姿を嫌わないように、大切にしてあげてください。

(大來尚順)

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