もともと同時に何かをやるのが苦手なのですが、最近振られる仕事が増えて自分が何をやっているのかわからなくなっています。会議がぶっ続けで続いたと思ったら打ち合わせが入り、チャットやメールでも連絡がきて、みんなどんなふうに頭を切り替えているんだろう? と不思議です。家に帰ってもぼーっとしていることが多く、休日も泥のように眠るだけ。友人に会って「あの映画見た?」と話題を振られても、そんな余裕がなく「お気楽でいいな」と思うようになってしまいました。確実に自分に余裕がなくなっている…頭の切り替え方というか自分に余裕がないときの対処法を知りたいです。
なぜ切り替えスイッチが入らないの?
二歳児なんかを観察しているとよくわかるのですが、例えば積み木で遊んでいたとしても、自分の思うようにいかないとご機嫌が悪くなるんですよね。
そんなに気に入らないのなら違う遊びをすればいいのに、積み木に執着して最後にはガシャーン!と癇癪(かんしゃく)を起こす始末。
その後はもう最悪で、「ご飯だよ」と言っても「イヤ!」と拒否。
「お風呂に入りましょ」と言っても「イヤア!」と大拒否。
「さあもう寝ましょ」と言っても「イヤアアアアアア!!」と特大拒否。
もう森羅万象のあらゆるものを拒絶するかのごとく何もかもを拒否してしまう。
そう、「切り替え」ができていないのです。
彼らにとっての切り替えスイッチとは満足度。
二歳児には二歳児なりの満足度があって、ある程度自分が満足できるところまでやり切らないと、切り替えのスイッチが入らず全てを拒絶してしまうようです。
満足とは「。」という句点みたいなものなのでしょうね。
ダメなほうの「無の境地」に到達しないために…
大人になっても切り替えのスイッチは、ある程度の満足になるわけですが、特にイヤな仕事や、時間に追われている仕事等の目的は「満足すること」ではなく「早く終わらせること」
になってしまいがちです。
ひとつの仕事をやっつけると「早く終わらせること」という目的は達成されて、一時的な安堵感を得ることはできるのですが、決して満足はしていないんですよね。
満足することが「。」という句点なら、終わらせることは「…」という3点リーダーのようなもので、後ろ髪を引かれるような気持ち悪さが残ってしまうんです。
二歳児なら癇癪(かんしゃく)を起こしてすべてを拒否してしまうところですが、年齢だけは責任のある大人ですから、えも言われぬ未解決な不満を抱えて次の仕事へ、そしてその仕事でも満足感を得られず次の仕事へと、エンドレスに不満を蓄積させて、やがて「無気力」というダメなほうの無の境地へ到達してしまうわけです。
そうなると休日を楽しむ気にもなれないし、そもそも起きる気にもなれないし、歯を磨くことさえ面倒で、生きる屍となって休日を「終わらせること」しかできなくなってしまうわけですね。
大事なのは「満足感」
大事なのは、ひとつひとつの仕事に満足感を求めること。
ちょっとした爪痕をひとつ残す程度の満足感を得ることができれば、その仕事には「。」という句点が打たれ、次の仕事に取り掛かるための切り替えスイッチがオンになるはずです。
それができれば休日にも満足を求めるようになり、充実した一週間にすることができるはずですよ。