結婚がわからない・犬山紙子さん&花田菜々子さん 後編

イヤイヤ期の娘に激しく共感? 子育てで思い出した自分の子ども時代

イヤイヤ期の娘に激しく共感? 子育てで思い出した自分の子ども時代

「結婚がわからない」
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結婚とは何か、家族とは何かなど、世間では自明視されているような問題を常に問い直し、自身の体験を元に家族と個人のあり方について考察を続ける犬山紙子さんと花田菜々子さん。

そんなお二人をゲストにお招きして行われた座談会。前編では「子を持つとはどういうことなのか」について語り合った。

後編では子どもと関わり合う中で見えてきた問題や、二人の著書のタイトルにも入っている“問題”という言葉の意味などについても語り合ってみたい。

(左から)犬山さん、清田さん、花田さん

(左から)犬山さん、清田さん、花田さん

無自覚なまま加害者になってしまうかもしれない恐怖

清田隆之(以下、清田):花田さんの著書『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社)には「加害者になるのが怖い」という見出しのくだりがあります。中学生と小学生の男子たちと接する中で、自分の言動が加害的になってはいないかと葛藤する花田さんの心情が描かれていますが、特に下の子が花田さんにちんこを見せてこようとする場面が印象的で、ちょっと引用してみます。

〈さすがにどう対応したものか。というのは、私は小学2年生の男子のちんこを見てもさすがに性的には認識しない。けれど、私が「外から来た女の人」という存在であるならば、そういうものを見せたりしてはいけないよ、ということを教えなければならないはずだ。だが、もし「お母さん的な存在」であるならば、子どものちんこなど見て当然なわけだけど……。見てほしいのだろうか? なんで? そういう距離を測ってる?〉

花田菜々子(以下、花田):おそらく私を笑わせようとしていたわけで、「きゃーやめてー」的なリアクションをするのが正解なのかもしれないけど、「本気で嫌がってるわけではない」というメッセージとして伝わってしまうと性的同意の観点から歪んだ認識の形成につながりかねず……私にとっては判断の難しい場面でした。

犬山紙子(以下、犬山):こちらは何気ない気持ちで取ったリアクションでも、相手にとっては想像以上に大きな影響を及ぼしている可能性もありますもんね……。

花田:そうなんですよね。他にも例えば、彼らはよくYouTubeを見ているんですが、中には差別的な表現が含まれるものもあったりする。そういうときに自分なりの意見を言うべきか迷うんですが、一方で押しつけっぽくなるのも嫌だなって思いもあり、いつも悩むところです。あと、これも本に書いた話ですが、かわいいな、いい場面だなと思って子どもたちを何気なくiPhoneで撮影することがあるんですが、あるとき写真を見返していたら、上の子が下を向くなど顔を写らないようにしているものが多いことに気づき……ハッとしたんです。もしかしたら撮られることが嫌だったのに、それを言い出せずこういう写り方になっていたのかもしれないなって。

清田:そこ読んで自分もドキッとしました。自分も双子たちが泣いたり怒ったりしているときに、その姿がかわいいな、おもしろいなと思って写真を撮っちゃうときが結構あるんですが、向こうはどう感じていたんだろうって。よく考えたら気持ちをわかって欲しい場面かもしれないのに、親がキャッキャ笑ってカメラ向けてきたら悲しいし混乱するかもだよな……と反省しました。

犬山:私自身も小学1年生のとき、思い切り泣いているのを親に写真に撮られたことがありました。「いい顔だー」とか言って、父に。それが実家のリビングにずっと飾られていて、今はもういいけど、当時はちょっと嫌、でも泣いた顔もかわいいと思ってくれてるんだなとも、複雑な気持ち。でも……でもとか言っちゃいけないんだろうけど、私もかわいさのあまり、ときどき泣いてる娘をこっそり撮っちゃったりするんですよね。さすがに飾りはしませんが(笑)。

イヤイヤ期の娘に激しく共感!?

犬山:子どもと接していると、私自身がして欲しかったことに気づいて、子どもの頃の自分をケアしているような感覚になったりするんですよね。例えば娘が2歳くらいのときかな、ちょうどイヤイヤ期で何かにつけてギャーって泣いていたんですが、その姿を見て「わかるよー!!!」ってなって。

清田:そこでまさかの共感(笑)。

犬山:イヤイヤ期のときって、自分でやりたいのにそれを先に親にやられたからイヤってときもあると思うんですけど、そうじゃなくて、本当は甘えたくて泣いているんだけど、まだうまく言語化できないし、でも甘えたいという気持ちをこじらせると何もかも不愉快になって何をしてもイヤと言ってしまうんだよな……って、泣きじゃくる娘を見ながら、かつて自分が抱いていた気持ちをめちゃくちゃ思い出して。

花田:あー。

犬山:だから「わかるよー!」って、抱きしめながら娘の話を聞いていたんですが、それってかつての自分がして欲しかったことなんですよね。私が理不尽に怒ってしまうことの根元には、満たされなかった「甘えたい」という気持ちが強くあったんだなって、子育てを通じて気づきました。甘えるっていうのは、私と会話をしてくれるとか、受け入れてくれるとか、しんどいときにしんどいって言えるとかそういうことで、私はそれが本当に苦手だったんですけど、それが少しずつできるようになったのは、子育ての中で起こったポジティブな変化のひとつでした。

花田:おもしろいですよね。私も10歳前後の子どもたちと過ごす中で、今まで思い出したこともなかったようなことがよみがえり、自分の親との関係をたびたび考えるようになりました。怒りが30年ぶりくらいに再発することもあれば、親からしたらあれはしょうがなかっただろうなと思うこともあったりで、いろいろ考えますよ。私は彼らの母親ではないけれど、自分が親にされて嫌だったことはしないようにしたいって気持ちが強くあって、茶化したり、子ども扱いしたり、「泣いてるだけじゃわかんないよ」って無理に言語化を迫ったり……そういうことはしたくないなって。

清田:双子たちはイヤイヤ期の兆候が見えてきたくらいのところでして、泣かれると疲弊するし腹立たしく感じたりもするんですが、一方でうらやましさみたいな気持ちもちょっとあって。というのも、泣き叫ぶとか全身で悔しそうにするとか、自分はそういうのが昔から全然できないんですよ。男らしさの呪縛もあると思うし、自分の中には親に感情を受け止めてもらえなかったという思いがあって、その影響も大きいと考えているんですが、全力で泣いたり怒ったりできる双子たちがまぶしく感じる瞬間もあって(笑)。子どもとの関わり合いって、自分自身と向き合わされる時間でもありますよね。

対話の重要性とジェンダーバイアス

清田:花田さんの著書、そして犬山さんの近著『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』(扶桑社新書)には“問題”という言葉が含まれています。自分もこの言葉にすごく興味があって、これがクイズの文脈ならquestionのような意味になるし、文脈によってはtroubleやproblemといったネガティブなニュアンスになることもあるし、topic、issue、matterのように比較的フラットな意味で使われることもある。問題っておもしろくて幅の広い言葉だなと。

花田:確かにそうですね。それで言うと私の本は議論する課題というニュアンスを含む、issueなのかな。

清田:花田さんの本も犬山さんの本も、最初にカオスな現実に飛び込んでいって、そこから考えるべきことや言語化すべきことをつかみ取り、問題を提起して答えや出口を模索して……というふうに進んでいくじゃないですか。「どれだけ近しい人であっても未知なる他者」という地点から出発し、内省や対話を重ねながらすれ違ったり歩み寄ったりを繰り返していく姿勢がかっこいいなと思いました。

そんなお二人に聞いてみたいんですが、自分は以前、対話の重要性について考える記事を書いたとき、「対話って言うほど簡単じゃないでしょ」「リテラシーの高い人じゃないとできないと思う」という主旨のコメントをいくつかもらい、返答できなかったことがあって……これについてどう思いますか?

犬山:私は「相手の話をちゃんと聞く」というのが対話の基本だと考えていて、リテラシーの有無に限らず相手の意見を尊重することはできると思っています。それがない相手とは一緒にいてもより孤独になる関係性だから、会話が成り立たなくなったら離れる目安だなって。もちろんそれぞれの事情があって簡単に離れられない人もいるとは思いますが、家族でも仕事相手でも、チームとして話し合えるかどうかが大事だと思っているので、それが成り立たないと「人として扱われていない」くらいの気持ちになってしまうかもしれません。

清田:男女で分けられる話ではないかもしれませんが、拙著『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)の中で「話を聞かない男たち」「話し合いができない男たち」という問題について書きました。対話が成り立たない男性にモヤモヤしている女の人たちから寄せられたエピソードが本当にたくさんあって。

犬山:特に男尊女卑っぽいところのある男性にその傾向を感じますよね。女の言うことはとりあえず聞き流せばいい、仕事してない主婦がなんか言ってるわ、適当に相づち打っとけば大丈夫……みたいなことを本気で思ってる男性も一定数いる。相手の話をしっかり聞かないで、問題を過小評価し、男である自分の言ってることが正しいって、そういう人と一緒にいるのは本当にきついなって思います。

花田:本当にそうですよね。そこに付け加えるとするならば、男尊女卑の構造の中で、男の人が女を人間だと思っていないと同時に、自分のことも人間だと思っていない気がするんですよね。清田さんもよく書いていますが、自分の感情を言語化できない男性はとても多い。「自分はこう感じた」「自分はこうしたい」みたいな部分が抜け落ちていて、「夫婦なんだからこうあるべき」とか「お前は母親なんだからこうするべき」とか、なんかマニュアル的というか、正解みたいなものを求める態度を感じてしまう。「妻が怒っているときはアイスを買って帰ればバッチリ!」みたいな捉え方しかできないから対話にならないというか。もちろん男性ばかりの話ではないので自戒を込めてですが……。

清田:相手の話に耳を傾け、内容を的確に理解し、ジェンダーバイアスをできるだけ取り除き、自分の気持ちも言語化しながら粘り強くコミュニケーションを重ねていくのは確かに簡単なことではないかもしれませんが、その先には豊かな景色が広がっていることをお二人の著書は教えてくれるように思います。このたびはありがとうございました!

(文:清田隆之/桃山商事)

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普段は恋愛相談や失恋話ばかり聞いている桃山商事の清田さんに、自分自身の結婚や、どんな毎日を送っているかをつづっていただきます。

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